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死にたくなってきました①

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

①バイト
私は飲食店でバイトをしているのですが、バイトで人手が足りない時間 
  帯(おやつの時間辺り)には必ず2つのポジションを任されます。
  お母さんが言うには「成長してきたって事やろ」なんて言われましたが、
  こっちにとってはむしろ迷惑でしかありません。
  任されてミスをしたら怒られるのはこっちだし、何よりも本人が全然成長し
  ていないと感じるのです。
 
  あと、この間バイトで僕が店長に「こっちの手伝いに来れるなら来て」と言
  われ私は少し手が空いたので手伝いに行くと新しいバイト(高校生)が入っ
  ていてその人から「いいです、いいです」と小声でずっと言われていて悔し
  い思いをしました。(決して自分優れているからとかではなく、拒絶され
  た事に屈辱を受けました)
  それに関してもお母さんは「高校生は頭が弱いから気にしなくていいよ」と
  言われました。 

②日常
  昨日友達と遊ぼうと思い3人に声を掛けてみたのですが、3人が3人とも遊
  べないと言われてしまい、とても嫌な思いをしました。
  これだけを見れば僕が自己中心的だと感じる人も居るでしょう。
  そう思ってもらっても構わないのですがこれだけは理解して欲しいです。
  普段から誘っても全く遊ばないと言うのも最低じゃないでしょうか。
  僕\は友達から誘われたらなるべく遊ぶ様にしています。何故なら、誘って  くれる事自体が有難いからです。
  僕は高校生の頃までは最低でも1クラス、多くて1学年の人間に嫌われて  いました。(その理由は1回目の質問で話したので敢えてお話はしません)
  それで、友達が少ないが故に友達を大事にする様になったのですが、僕  の友達は僕の事を全く大事にしてくれていません。(この事に関してはもし  かしたら大事にされてるかもよなんて回答は止めて下さい。)
  誘っても誘っても遊んでくれない、大人数で遊びたくない友達の為に少人  数で我慢してる、大体遊びを計画するのは僕ばかり・・・。
  今度は13日に遊ぶ計画をしていたのですが、正直止めてしまいたいで
  す。

→②に続く


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きるって大変なことだよね

お疲れちゃんです。
まずひとつずつ、片付けて、自分に納得のいく理解を勧めてみましょう。
まずバイトの件は、せっかく手伝いに行ったのに「いいです」なんて門前払いみたいで悔しかったでしょうね。店長にもバイト君にも配慮が無かったと思いますが、おそらくバタバタしていたんでしょうか、手が足りてきたので、善意のつもりで「いいです、いいです」と言っただけだと思いますよう。深読みしないことです。わたしなんか高校生時代は無愛想極まりなくてよく「なに怒ってんの」と言われたものです。
相手が笑顔でなくとも、人間不器用なもんですから傷付いた分、笑顔でいることを大切にしよう。
あなたの気持ちを深くくみ取ってくださらなかったのですね。せっかく休みの時に手伝いに行ったのに、こっちへのねぎらいの言葉が無かったことは辛かったでしょうね。
人は拒絶されると悲しい思いをしますよ。
駅前のティッシュ配りの人は何度も何度も断られます。
だから受け取ってくれる人にはとても笑顔になるそうです。 
一度や二度の拒絶どころではないですから、割り切って考え直しましょう。
 
友達に関して
何となーく一緒に居て楽な人間がいるものです。
それが友達、ですかね。
私も中学時代の親友でも年に数回会えるかどうか、程度です。
最近は、人生において大切な人はせいぜい数十人であると思っています。
でもだれがその大事な数十人かはあなたが決める事です。
結局みんな一緒に居ながらも、自分をやっているのです。
あなたと遊ばなくても彼らは自分をやっている。
彼らがあなたと遊んでくれなくても、あなたも自分をやっている。
人と一緒にすることであっても、人間自分の事をずっとやっているんだっていう視点を持ってみましょうよ。ある意味でトコトン一人になる。自分を生きるということです。人といたって自分生きるということ。人と会えなくても遊べなくても自分を生きること。
そうすると、まず「何で俺ばっかり」とか「なんで俺だけこんな目に」という気持ちがなくなります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

アドバイス頂きありがとうございます

先日お母さんから提案がありました。
「昼が嫌なら夜に入ってみる?」と言われ私はとても嬉しかったです。
お母さんと一緒に働くのは気がちょっと楽だろうし、夜には生意気な高校生(他の高校生は良い人ばかりなんです)が居ない、昼の忙しさはたぶん無い。
と言う事で夜でも良いかなと思っています。
しかも、夜だとちょっと給料が上がる為良い事尽くめです。
ただ、夜はまだ入った事が無いのでちょっと不安です。

確かにティッシュ配りの人なんて良く断られてますよね。
それを考えたら私なんてまだ1回言われたぐらい・・・。
この機会にそういうのにも慣れていきたいと思います。

そうですね、私には親友と呼べる人が1人居ますがその人は仕事をしている為中々会えません。
私にとってはその人が一緒に居て楽な人だと思っています。
なのでその人を大切にしたいと思います。
そして私は今までも1人で過ごしてきましたが、今度は楽しい1人の時間を過ごしていきたいと思います。

ありがとうございました。

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