苦手なグループワーク回答受付中
こんにちは。
私は、今看護学校に通ってます。一度私は人間関係に躓き、うつ状態になったり、友達と一度離れることがあったりしました。だから、今、看護学校に通っててとても怖いものです。何するにもグループだっだり、もちろん実習もグループです。気の強い子や、いじめ体質のある子など学校にはいます。本当に怖いです。みんながみんな落ち着いてる子だったらいいのですが。そして、私は実際仲間ハズレにも今の学校の授業内でもありました。あの時の恐怖を忘れられません。その時は仲悪いままなんとか乗り越えたのですが。学校に通うことが恐怖になることも怖いです。わがままですが、守ってくれる誰か欲しいなと。所詮自分は親にも迷惑かけてばかりいるので、そんな甘いこと言うなって言う話ですが。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
孤独に生きましょう
人間は社会的動物ですので、集団に受け入れられないことを恐れます。
特に日本では幼い頃から、集団行動の重要さ、皆と仲良くすること、和を乱さないことを教わりますので、より一層、集団への所属欲求が高まる傾向にあります。
これに対してお釈迦さまは、
【愚かなものを仲間にするな。1人で行く方がよい。孤独に歩め。林の中の象のように】
とおっしゃっています。
良き仲間と共に学ぶことは素晴らしいですが、愚かな人と近づくくらいなら1人で学ぶ方がよいということです。
グループ活動でやむを得ないところもあるかと存じますが、心の中では、イジメをするような人とはしっかり距離を置いておくことが大切です。
志を持ち、孤独に歩む中で、必ず本当の仲間と出会えます。
よくない仲間は自分の価値を下げます。
孤独を恐れず、グループワークは適当な距離感で。
良きご縁があり、本当の仲間と出会えるようお祈りしております。
👩🔬🎒 様 相談ありがとうございます。
人は過去にいじめや仲間外れなど、辛い体験をすると、恐怖を記憶します。
その恐怖は脅威感情となり、その感情が優先されて、逃走や凍りつき反応を引き起こし、対人関係を苦手にします。
グループワークが苦手なのは、おそらくそのような脅威感情のせいでしょう。
でもこの脅威感情は、あなたの心身を守るために自然と発出されていて、あなたのせいでもないし、あなたの責任ではありません。あなたが悪いのではないのです。
そして、この恐怖や脅威感情に向き合い、和らげていくのは、まずは自分を責めないことです。先述しました「自分が悪くない、自分に責任はない」と繰り返し思うことが大切です。
そして、身心が癒されること、安心安全を感じることが必要です。
あなたが「守ってくれる誰か欲しいな」と思うのは当然で、甘えてることとは違います。あなたには誰かの優しさや思いやりを向けてもらうことで、守ってもらっているような安心安全を感じることが必要なのです。その安心安全を感じるからこそ、心にエネルギーが溜まり、自分に思いやりが向けられ、自分を穏やかにすることができて、だんだんと勇気を持てるようになり、強い気持ちで対人関係やグループワークが落ち着いた穏やかものになっていくのです。
イジメるような相手でも、自らの安全を感じる距離感をつかむにようになるのです。
ですので、まずは自分に優しさや思いやりが向けられるように、リラックスして癒されて安心安全を感じるようにしてみてください。呼吸法やマインドフルネスの瞑想・慈悲の瞑想などが有効です。
私のところには看護専門学校の学生が死生観を学びに来ますが、その時にも、自分に思いやりが向けれるようにお伝えしております。忙しい看護職には癒しや思いやりが必要なのです。もし宜しければ引き続きご相談ください。合掌礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
恐怖を抱えながら、それでも歩む看護の道
あなたの投稿から「怖い」という気持ちがとても伝わってきました。過去に仲間外れにされた体験や、人間関係のトラブルからうつ状態になったことがあると、その恐怖が体に染みついてしまうのは自然なことです。「また同じことが起きるのでは」と思うと、学校に行くこと自体が怖くなってしまうのも無理のないことです。
・人間関係の恐怖について
仏教では、人間関係の苦しみを「縁起」として捉えます。人は一人で存在するのではなく、必ず他者との関係の中で生きています。そのため、他者との関係性の中で喜びもあれば、苦しみも生まれます。仲間外れにされたことや、強い性格の人と一緒に過ごすことで感じる恐怖は、あなたが「弱い」からではなく、人として自然な反応です。
・「守ってくれる人が欲しい」と思う心
この願いも、とても自然です。人は一人では強くなれません。仏教では「善知識(ぜんちしき)」といって、共に学び、支え合う仲間の存在を大切にします。守ってくれる誰かを求めるのは「甘え」ではなく、人間が安心して生きるために本来必要なことです。自分の気持ちを大事にしたい、守られたいという思いをどうか責めないでください。
・恐怖とどう向き合うか
呼吸に立ち返る
恐怖でいっぱいになったら、深く息を吸って吐くことに集中してみてください。「私は今、ここにいる」と確認するだけでも、気持ちは少し落ち着きます。
小さな支えを持つ
1人でも安心できる友人、先生、カウンセラーなど、自分が気持ちを出せる人を見つけてください。それは「守ってくれる存在」となり得ます。
恐怖を言葉にする
「怖い」と言葉にすることは、自分を守る大切な行為です。心の中だけで抱え込むよりも、書き出したり、信頼できる人に伝えることで、心は軽くなります。
・結びに
看護の道は、人を支える仕事であるがゆえに、人間関係も厳しく映ることがあります。しかし、恐怖を抱えながらも歩んでいるあなたの姿そのものが、すでに強さであり、優しさの証です。どうか「怖い」と思う心を否定せずに、少しずつ「今ここ」の自分を大事にしてください。
守ってくれる誰かは必ず現れます。そして今、あなた自身が自分を守ろうとしていることが、すでに一歩の支えとなっています。
合掌
悪縁に関わることなく
拝読させて頂きました。
あなたをいじめたり仲間はずれにしたり強引なことしてくる人達が怖いと思っておられ、グループワークがとても苦手で辛いのですね。詳細なあなたのことわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
そうですね、私もグループワークがとても苦手で嫌ですね、私も昔からあまり協調性のない人間でしたし、いざグループになった時も仲間外れにされたりすることはありましたからね。その癖がなかなか抜けないです。あなたがそのようにグループワークが嫌なお気持ちとてもわかるように感じます。
生きている中ではそのような人に出会うことはあります。頻繁にかどうかは個人差があるでしょうけれども、必ずと言っていいほど意地悪な人もいますし、人の悪口を言っておとしめる人や仲間外れにしたりする人はいますよね。ですからそういう人に出会った時にどう対応するかを考えておくこともとても大事です。
いじめや嫌がらせ行為は悪行です、そんな愚かなことをすれば必ずその人は報いを受けて自ら苦しむことになります、早いか遅いかの違いでしかありません。
私個人的にはそのような愚かものにはできるだけ関わらないことだと思っていますし、そのような悪事に自ら進んで加担しないことだと思っています、できるだけ関わらないことです。
グループワークで関わらなければならない場合も必要最低限のみ関わるようにして深く関わらないことです。
その人の本心がもしかしたらそうではなく様々な理由がある場合もあります。そうせざるを得ない場合もあります。その時には相手の話を落ち着いて聞いていきながら対応を検討します。そうした場合もあることは念頭に置いてもいいとは思います。
いずれにせよ、いじめや嫌がらせ行為や仲間外れは悪行です、罪悪です。そしてそのような愚かなことをするものとのご縁は悪縁です。悪縁はしっかりと切り捨てましょう。悪行に自ら関わることは罪悪です。
あなたがこれからの未来を悪縁から離れて善きご縁に恵まれ、皆さんとお互いのことを心から尊重し合い思いやり、健やかにご成長なさっていかれます様に、健やかに豊かにあなたの人生を生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様に祈っております。
そしてあなたを心より応援させ頂きます。
質問者からのお礼
3人の方々ありがとうございます。無理に関わるべきなのか、自分が心を無くしてまでいるべきか悩んでました。必要最低限でいいんですね、ありがとうございました。心が楽になりました。