後悔
今年の3月に三女が亡くなりました。2014年12月に病気がわかり即入院生活がはじまりました。1年3ヶ月の闘病の甲斐もなく天国へ旅立ってしまいました。
病気がわかる前体調不良の兆候がありその都度病院へは行っていたのですが、当時次女の素行が悪く次女にばかり構っていた為この大病に気づくのが遅れてしまったのではないか、もっと早く大きな病院へ連れついってあげれたらと後悔ばかり。
亡くなるまでの入院生活も後悔ばかり。
今は毎日涙ばかり何も手につかず、生きる意味をなくしてしまい、毎日ただ時間が過ぎている感じです。
なんでこんなことになってしまったのか。
生きていれば4月から高校生だった娘の制服姿を想うと涙しかでません。
この先どう過ごしたらいいのか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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諸行無常が教える事!真実の心と生き方です。
「無常観」この世にはどうする事の出来ない虚しさが存在する。今貴方の心は「無常観」で苦しみ悩みどうする事も出来ない自分の心を抑える事が出来なくなっています
お釈迦様のお話ですが今の貴女に通ずるものがあるかもしれません。
簡略化してお話しますが伝われば幸いです。
お釈迦さまだお悟りを開かれて教えを説かれておられて時代のお話です。
ある村に若くて綺麗な娘さんが居り幸せに結婚して玉の様な赤ちゃんを授かります。
しかしその赤ちゃんが突然死んでしまい。母親は深い悲しみに襲われ出来る事ならこの子を生き返らせる方法があるやもとの必死の思いで村中を周りますが皆その姿に心打たれる者はいても、これだけはどうしてやる事も出来ず只見守るしかなかったのです。
そんな中の一人がお釈迦に相談しなさいと助言しますと母親はお釈迦さまの所へ行きこれまでの経緯を話すと、今から私が言う事をしっかり聞きなさい!この村でまだ一度も死人を出した事の無い家を探しその家から少量の罌粟の実を貰いなさい。そうすれば貴女の望みは叶うでしょう。と助言なされます。と母親は懸命に村の隅々まで探しますが何処にもそんな家など無い事に気ずき疲れは果ててお釈迦様の元へ帰り、「私はお釈迦様にここまでしてもらわなければ分からぬ様に成っていました」と我が心の愚かさに気付き懺悔して、仏法に帰依し今は仏の世界暮らす娘さんの供養と仏の教えを守り一生を終えたと言うお話です。
短縮してお話しましたので分かりにくいかもしれませんが今の貴女の心情に同化する処があるんでは無いでしょうか!
もう後悔するのは止めなさい!その心と思いはこれから先の行いに使って下さい。
貴女も必ず娘さんの居る仏と成る処(仏国土)へと赴く時が来るのです。その時に娘さんと会った時今の貴女では娘さんから怒られます。怒られ無い様今を懸命にその日が来るまで只生きる事が供養であり娘さんと仏国土で逢った時の土産話に成る様に辛くとも明るく生きることです。
最後になりましたが、「娘さんのご冥福を心よりお祈り致します」
南無釈迦牟尼。南無釈迦牟尼。南無釈迦牟尼。