私の生きる意味、生まれた意味とは?回答受付中
よろしくお願いいたします。お寺様方にお聞きします。お寺様方、生きるとは?何でしょうか?お寺様方は、ご自分の生きる意味、生まれた意味を考えた事がありますか?どういった想いで日々を生きておられますか?
ここ5年。人生折り返しの私は、繰り返し、生きるとか?今のままでいいのか?いいわけがないのです。人生を振り返り不安でたまらなくなります。本当になんの為に生きているのか?疑問を消せず悩みます。社会に出られず40を過ぎ、社会のお役にも、人様のお役にも立てる事なく日々は進み。人間関係に躓き、小5から高校卒業までイジメは続き、一桁の数字の計算で、両手の指が必要です。人が怖いです。社会が怖いです。前進しようと、資格取得の為に月に一度資格めざす方々と、先生(私の精神状態もよく知っている先生です)と会います。疲労困憊になってしまいます。ずっと人を避けてきましたが、他にも興味のある事で、数年前、勇気を出し習い事を初めましたが、一月に一度、こちらで会う方々にも、いまだに慣れません。話しかけられる度、汗と臓はドキドキ、どう言葉を返したらよいかわからず、スムーズなやりとりが難しいです。予想もしない時に話しかけられると、傍目からは、変な人だなぁと思わせてしまうほど挙動不審に。
一歩進みたい!でも、人が怖い。就職もいつか!と思うけれど、人とのやりとりが当たり前の毎日になると思う仕事中を想像するととても怖いです。昔、面接で、仕事に必要な計算ができず、面接官に、あなた!!こんなのもできないの!?と鼻で笑われてしまい、ますます面接や就職が怖くなっています。字も、スマホで漢字を変換し、それを見て書かないと、問診票や、手紙、必要な書類など、ひらがなだらけになってしまいます。自分の能力の低さも自分自信のことなので、よくわかるのです。知的に問題があるか?までは分かりませんがあっても軽度、や学習障がいなどの可能性もあると思います。子どもが発達障がいなので、私もそうであっても、おかしくないと思っています。子どもは学習障がいはありません。こうした事から、私の生きる意味は?なんの為に生きるのだろう?生きていいのだろうか?など悩み考えます。不安の強さから、就職には、いつまでたっても繋がる気がしません。長々と申しわけありません。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「生きる意味」を探すあなたへ
まず最初に、あなたがここまで率直に胸の内を打ち明けてくださったことに、深く敬意を表します。
私たち僧侶も、決して「生きる意味」を一度決めて揺らがない存在ではありません。むしろ、修行とは「生きること」そのものに向き合い続ける道です。ですから、あなたが今感じている不安・問いは、仏道における最も大切な入り口の一つです。
1. 「生きる」とは何か
真言宗では「生きる」とは、単に息をしていることではなく、「縁」によって今ここに存在していることを味わうことです。あなたの呼吸、子どもの声、出会った人々、これらはすべて偶然ではなく、無数の縁が重なって現れています。たとえ人が怖くても、計算が苦手でも、その「いのちの場」にあなたが確かに立っていることが、もうすでに尊いことです。
2. 僧侶も「意味」を探し続けている
僧侶は、常に「私はなぜ生きるのか」「何を人に与えられるか」を問われます。私自身も答えを一つに固定してはいません。ある日は「祈りを届けるため」、ある日は「ただ掃除をすることの中に意味がある」と感じます。つまり、生きる意味は大きなゴールではなく、毎日の小さな行いの中に立ち現れるものです。
3. あなたへの具体的な助言
自己否定をやめる必要はありませんが、自己を責めすぎないでください。
仏の眼から見れば、すべてのいのちは平等であり、あなたがここにいること自体が尊い功徳です。
「一歩」=一度に全てではなく、日々の中で小さく行うこと。
資格に挑戦し、人に会おうとしていること自体が修行であり、功徳です。
人が怖い自分をも認める。
「怖い」という感覚を否定せず、まずその感覚に寄り添ってください。真言の唱和や写経など、静かな修行は心の安定に大きな助けになります。
4. 生きてよいのか、という問い
仏教では、あなたのいのちはあなた一人のものではなく、無量の縁の上にあるものと説きます。だから「生きていいか」という問いは、「このいのちをどう活かすか」という問いに変えてよいのです。生きる意味は、未来のどこかに見つけるものではなく、あなたが今「息をしている」という事実の中に、すでにあります。
合掌
原因があって生じた
前世で死ぬときまだ悟っておらず、生への執着(渇愛)が残っていたため、輪廻転生して今日に至ると考えます。
人間に限らず、天(神々)・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生の皆が、前世で成仏できなかったから輪廻転生しているのです。
裏を返せば、前世の自分が「まだ生きたい」と思ったため、願いが叶って生まれてしまったとも言えますね。
ただ、ナメクジに転生していたら「生きる意味」とかは気にしなかったでしょう。
人間に生まれてしまったから悩みが多い可能性がある。
しかし仏教では、人間だけが悟れる(成仏できる)とも言います。
神々ですら、お釈迦様のように悟るためにはいったん人間に転生する必要があるのです。
そう考えると、仏教を学べる特権は貴重ですね。