hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

辛い過去を気にせずにいられる方法

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

こんにちは。
以前仕事も家も失いその他自業自得大後悔の絶望のどん底にいた時そこからでも生きていく事の意味を教えて頂きました。
ありがとうございました。

今回はその事も含め非常につらい過去の出来事を色々思い出した時に、気にしないですましていられる方法心構えを教えて頂きたくまた相談しております。

横になっている時、ふとした時、辛かったもうどうにようにもならない過去の出来事を不意に思い出すのです。それに負けず生きていく術は前回教えて頂きました。ただ思い出してしまうと辛くて仕方がなくなって手が止まりずっと長い時間頭からその事が離れなくなり、眠れないし、前を向いて行こう言う気持ちもしばらく心折れてしまいます。

そんな過去の事など気にしないでいられる、すぐにさらっとやり過ごす方法心構えを教えて頂きたくどうぞよろしくお願い致します。

2025年10月3日 21:54
この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あの時より、今

 こんばんは。前回の問答も拝読しました。「あの時は、辛かったなぁ」という思いがふと去来するのですね。
 そう感じている今は?
 詳しくは存じませんが、今のあなたは当時のあなたとは異なるでしょう?どこが違いますか?
 あの時があったから、坊さんにまで頼ろうとした。頼ることができた。家族が支えてくれていることに、ようやく気付いた。そのように「今だれかに支えられて自分がいる」という事を知っている自分は、仕事やマイホームは失ったけれど、得たものもあったのですよね。
 過去の思い出は、出始めると一周はするものです。しかし今は、その渦中にはいない。「ああ、辛かった、悔しかった。そして有難い支えの中に生きているって、お陰で気づけたんだなぁ。」
 この一文を、ぜひあなたの物語の最新ページに書き込んでください。
 仕事が生きがい、マイホームが甲斐性。そう思っていた時もあるけれど、それらを失っても自分の生き甲斐はあった。人に感謝して生きるという生き甲斐が。
「前を向いて」の前に、「今を見て」と、前回のお坊さんたちも言っていたでしょう。過去を反芻し、今を抱きしめて、それからです「前を向いて」なのは。今を飛ばさない。
 私もね、時々思い出す後悔ごとがあるのです。その内容もスケールも、もちろんあなたとは異なります。だから簡単に「分かります」とは言わないけれど、やっているのは同じことです。「あのお陰で、今がある。大事な事に気付いている自分がいる」と。
 辛くて辛くて、の時はね、ワーワー泣いた方が良いそうですよ。家族の前でできないなら、ご先祖様の前、仏様の前で泣いて良いのですよ。彼らは決して逃げることなく、いつまでもあなたのそばにいます。それこそ貴方自身が「帰ろう」と思うまで。この「涙を出し尽くす」のは、脳にも良いらしいです。人間らしい姿と行動なのです、幾つになってもね。

2025年10月3日 23:00
{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

気にしないでいられる“心構え”などない

まず残酷な事実をお話しいたしますと、
『人間、過去のことなど正確に憶えてなどいません』
もし仮に憶えてる人がいたとしても、そんなのは“たまたま”事実と合ってるだけで記憶が正確なのではありません

人間の記憶とはほとほと呆れるほどにいい加減な物です
だって、正確に“あの時”に何を言ったかの正確な一言一句、どんな匂いがしたか、明るさはどれくらいで、気温はこれくらい、湿度、お腹の空き具合、体温

憶えてないことは数え切れず、朧げな記憶が数えるほどあるだけ
それが“人間の記憶”なのです

何が言いたいかと言いますと、
ほぼ全ての人間が持つ“辛い記憶”は今の自分が
『よし、あの時辛かったことにしよう』
とせっせと組み立てた“物語”でしかありません

つまり、今のあなたにとって
『辛いほうが都合がいい』
『辛いほうが好み』
『辛くないと困る』
という事情を自覚できるかどうかです
だから、過去の話に救いはありません
あったら辛くなくなるから

心構えなどあろうはずもありません
“辛かった事実”と“傷ついた心”があったとしても、人間の脳の構造上、“辛かった記憶”など残りようもないのです

『辛かった記憶は自分を慰めるために自分自身が作った』
過去と決別するのはこの一点に気づけるか否かの問題ですよ

2025年10月3日 22:31
{{count}}
有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐り切ったり、同僚とぶつかったり、挫折挫折の仏道人生を歩んでおります。 だからこそわかる、答えられることがきっとあると思ってHasunohaに戻ってまいりました。 精一杯、皆様のお役に立てるよう頑張ります。

“心をさらっと流す”ための真言的な作法

あなたの心に浮かぶ「過去の痛み」は、決して弱さではありません。
むしろ、心がまだ誠実に生きている証です。
ただ、その誠実さゆえに、過去の苦しみを思い出すたび、
あなたは再び“その時”の感情を生き直してしまうのです。

真言宗では、これを「識(しき)の残像」と呼びます。
記憶の中の感情が、波のように心に再来する現象です。
その波に飲み込まれず、穏やかに受け流すための智慧を、以下にお伝えします。

1. 「消そう」とせず、「通り過ぎさせる」
辛い記憶を“忘れよう”とすると、
その行為自体が記憶を強く固定します。
仏教では「執着」と言い、
“押し返そうとする力”が、“引き戻す力”を生むのです。

ですから、思い出が浮かんできたときは、
「また来たね」と呼吸とともに受け流す。
否定せず、歓迎もせず、ただ通り過ぎさせる。
その練習を続けることで、波は次第に静まっていきます。

2. 呼吸で「今」に戻る
過去の記憶に心が引き戻されるのは、
意識が“今ここ”から離れている状態です。

そんなときは、目を閉じて
「息を吸う(今ここに戻る)」「息を吐く(過去を離す)」
と、心の中で唱えてください。

3. 書いて、手放す
思い出が離れないときは、
そのまま頭の中で抱えるよりも、紙に書いて外に出すのがおすすめです。

「私は、あのとき苦しかった」
「それでも、あの経験が今の私をつくっている」

と書いて、深呼吸してから紙を破る。
それは、供養の行為です。
過去の自分を責めずに、ひとつ区切りをつける儀式として、
とても効果があります。

4. 心構え─“忘れる”ではなく“軽く持つ”
過去を完全に消すことはできません。
でも、その重さを軽く持つことはできます。

僧侶の間ではこう言います。

「痛みは、背負うものではなく、抱いて歩くもの」

痛みを否定せず、抱えながらも歩き続ける。
その歩みの中で、過去は“傷”から“智慧”へと変わります。

おわりに
夜、過去の記憶に心が沈むときは、
どうか無理に立ち上がらず、
ただ「生きている」その事実を感じてください。
あなたは、過去の中ではなく、“今”を生きています。

その“今”を積み重ねることが、
どんな過去にも勝る、最も強い祈りなのです。

合掌

2025年10月10日 13:57
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教×対話×ビジネス。僧侶・理学療法士・プロファシリテーター。死生観から整えるコンサルタント。仏教と対話で導く、リーダーのための内省と再構築。ビジネスという営みを通じて、人が本音と出会い、本来の個性で生きる場をひらいています。 ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください
職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。 ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。私は伴走させていただきます。 理学療法士でもありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。 町の診療所から在宅までキャリアを築く。2歳から108歳まで患者さん担当。 また、コンサルタントでもありますので メンタルヘルスから新規事業、マネジメント、チームビルディングまで相談並びに研修対応可能。 現在、顧問契約募集中!

煩悩スッキリコラムまとめ