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辛い過去を気にせずにいられる方法回答受付中

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有り難し有り難し 9

こんにちは。
以前仕事も家も失いその他自業自得大後悔の絶望のどん底にいた時そこからでも生きていく事の意味を教えて頂きました。
ありがとうございました。

今回はその事も含め非常につらい過去の出来事を色々思い出した時に、気にしないですましていられる方法心構えを教えて頂きたくまた相談しております。

横になっている時、ふとした時、辛かったもうどうにようにもならない過去の出来事を不意に思い出すのです。それに負けず生きていく術は前回教えて頂きました。ただ思い出してしまうと辛くて仕方がなくなって手が止まりずっと長い時間頭からその事が離れなくなり、眠れないし、前を向いて行こう言う気持ちもしばらく心折れてしまいます。

そんな過去の事など気にしないでいられる、すぐにさらっとやり過ごす方法心構えを教えて頂きたくどうぞよろしくお願い致します。

2025年10月3日 21:54

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あの時より、今

 こんばんは。前回の問答も拝読しました。「あの時は、辛かったなぁ」という思いがふと去来するのですね。
 そう感じている今は?
 詳しくは存じませんが、今のあなたは当時のあなたとは異なるでしょう?どこが違いますか?
 あの時があったから、坊さんにまで頼ろうとした。頼ることができた。家族が支えてくれていることに、ようやく気付いた。そのように「今だれかに支えられて自分がいる」という事を知っている自分は、仕事やマイホームは失ったけれど、得たものもあったのですよね。
 過去の思い出は、出始めると一周はするものです。しかし今は、その渦中にはいない。「ああ、辛かった、悔しかった。そして有難い支えの中に生きているって、お陰で気づけたんだなぁ。」
 この一文を、ぜひあなたの物語の最新ページに書き込んでください。
 仕事が生きがい、マイホームが甲斐性。そう思っていた時もあるけれど、それらを失っても自分の生き甲斐はあった。人に感謝して生きるという生き甲斐が。
「前を向いて」の前に、「今を見て」と、前回のお坊さんたちも言っていたでしょう。過去を反芻し、今を抱きしめて、それからです「前を向いて」なのは。今を飛ばさない。
 私もね、時々思い出す後悔ごとがあるのです。その内容もスケールも、もちろんあなたとは異なります。だから簡単に「分かります」とは言わないけれど、やっているのは同じことです。「あのお陰で、今がある。大事な事に気付いている自分がいる」と。
 辛くて辛くて、の時はね、ワーワー泣いた方が良いそうですよ。家族の前でできないなら、ご先祖様の前、仏様の前で泣いて良いのですよ。彼らは決して逃げることなく、いつまでもあなたのそばにいます。それこそ貴方自身が「帰ろう」と思うまで。この「涙を出し尽くす」のは、脳にも良いらしいです。人間らしい姿と行動なのです、幾つになってもね。

2025年10月3日 23:00
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

気にしないでいられる“心構え”などない

まず残酷な事実をお話しいたしますと、
『人間、過去のことなど正確に憶えてなどいません』
もし仮に憶えてる人がいたとしても、そんなのは“たまたま”事実と合ってるだけで記憶が正確なのではありません

人間の記憶とはほとほと呆れるほどにいい加減な物です
だって、正確に“あの時”に何を言ったかの正確な一言一句、どんな匂いがしたか、明るさはどれくらいで、気温はこれくらい、湿度、お腹の空き具合、体温

憶えてないことは数え切れず、朧げな記憶が数えるほどあるだけ
それが“人間の記憶”なのです

何が言いたいかと言いますと、
ほぼ全ての人間が持つ“辛い記憶”は今の自分が
『よし、あの時辛かったことにしよう』
とせっせと組み立てた“物語”でしかありません

つまり、今のあなたにとって
『辛いほうが都合がいい』
『辛いほうが好み』
『辛くないと困る』
という事情を自覚できるかどうかです
だから、過去の話に救いはありません
あったら辛くなくなるから

心構えなどあろうはずもありません
“辛かった事実”と“傷ついた心”があったとしても、人間の脳の構造上、“辛かった記憶”など残りようもないのです

『辛かった記憶は自分を慰めるために自分自身が作った』
過去と決別するのはこの一点に気づけるか否かの問題ですよ

2025年10月3日 22:31
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有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐り切ったり、同僚とぶつかったり、挫折挫折の仏道人生を歩んでおります。 だからこそわかる、答えられることがきっとあると思ってHasunohaに戻ってまいりました。 精一杯、皆様のお役に立てるよう頑張ります。

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