愛犬の死が辛すぎる回答受付中
こんばんは。
眠れません。
7月に愛犬が逝ってしまいました。
寂しいというか、張り合いがない、癒しもない、何か穴が空いている感じです。
眠れないから愛犬のことを思い出し、後悔するのか、後悔するから眠れなくなるのかわかりません。
亡くなる前日の後悔、数年前の後悔、数ヶ月前の後悔。色んな時期の後悔が押し寄せます。
亡くなってしばらくして、それらの後悔は、きっと別の選択をしていても後悔をした、、、など、消化できたものもあるのですが、自分が不甲斐なく、人間より短い一生だとわかっている愛犬に対して、忙しくて怒ってしまったことも、寂しい思いをさせたこともあります。もっとしてあげれることがあっただろうと後悔します。
この後悔は消えないのでしょうか。消えないのであればこれは、どうしたら私のこれからの人生に活かせるのでしょうか。後悔して泣いてばかりでは、愛犬も苦しむ。
この後悔をこの先に役立てたい。
泣いて眠れなくて、また明日余裕がなく、仕事や家族に対しての後悔が生まれそうで嫌です。
どうすれば前を向けるのでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そのために、ご供養があります。
こんにちは。
大切な愛犬との別れ、そしてその後に続く後悔の思いを、読み取らせていただきました。「夜、ふと思い出がよみがえって眠れない」…それはとても人間らしい姿です。
実のところ…仏教では、その思いを「煩悩」と呼びますが、単に悪いものとは言いません。なぜなら、後悔や執着の奥には、深い愛情と優しさがあるからです。「もっとしてあげたかった」と思えるのは、それだけ真剣に向き合ってきた証です。どうか、まずはご自身の愛の重みを、否定せずに受け止めてください。
ただ、心の中でその思いを繰り返すばかりでは、苦しみは深まります。そこで仏教では、供養という「持って行き場」を作ることを大切にします。
花を供える、好きだった散歩道を歩く、写真に向かって「ありがとう」と語る。どんな小さな行為でも構いません。「ごめんね」と涙する気持ちが、「ありがとう」と祈る時間に変わっていくとき、後悔はゆっくりと、愛しみの形に変わっていきます。
そしてもう一つ。亡き子への思いは、あなたの優しさそのものです。どうかその優しさを、いま身近にいる人たちへも向けてください。「ありがとう」と言えるチャンスがあったら、小さな事でも伝えてください。ご家族にでも、スーパーの店員さんにでも。
愛犬が残してくれたのは、「愛する力」そのものです。その力を次の縁へと手渡していくことが、その子にとって何よりの供養になるでしょう。
後悔の中にも、大切にしてきた幸せ時間がたくさんありましたよね
愛犬ちゃんが逝ってしまったのですね。前回の質問からも、とても気にかけておられましたものね。別れの時がきてしまったのですね…。悲しく、毎日寂しいですよね。
後悔は、尽きることがないのですよね。こうしていれば〜と、想いが溢れてくるものです。関係性が強く、想いが深いからこそ、愛犬に対しての切り離せない執着心で、忘れることができないのですよね。大切な存在を失ったのですから、それは自然な感情なのですよ。そして、一緒に生活をしていた空間が今もあるのですから、思い出されて当然ですよね。気がついたら、愛犬のことばかり考えてしまうのだろうね。
張り合いがない。癒しもない。
生活の中に、愛犬がいたのですものね。暮らしが変わってしまったようにも感じますよね。
後悔の中にも、大切にしてきた幸せ時間がたくさんあったことでしょう。まだまだお辛い気持ちが大きいかと思いますが、こうして愛犬のことをハスノハでも語って、偲んでいきましょう。
あなたのそばに、あの子がいてくれている。いつかそのように実感しながら、想い出を大切に支えとしていける日もくると思いますよ。
ペットを亡くされた方の遺族会もありますから、参加されるのも、何か気持ちに変化が起きるかもしれませんね。そうしながら、いろんな場(ハスノハも含め)と繋がって参りましょう。