SNSに“嫉妬させられる”のがしんどい回答受付中
長くなります。
私は元々、推しの作品は一人で楽しむタイプです。
ずっと好きな作品があり、その情熱が最近再燃し、好きすぎて毎日その作品のことを考えるほどになり、SNSでアカウントを作成し、同じファンの方の投稿を最初は楽しく嬉しく拝見していたのですが、他者が私の持っていないグッズや関連書籍を持っているのを見るだけでモヤッイラッとするようになり、これは嫉妬の感情だと気づくのに時間はかかりませんでした。ファン同士のオフ会で楽しそうな画像をアップしている過去や現在の写真を見るだけで心が乱されます。その作品に関連する場所にファン友と行って楽しかった!等の投稿を見るだけで「自分は行ったことない」「行けたとしても一人だ」「寂しい人間だ」等と考えてしまいます。では新しくファン友を作れば良いじゃないかとも思うのですが、SNS上でファン友を作った経験がほぼなく、自分に自信が持てませんし、もともと大人数が得意ではない自分が本当にそれを望んでいるのか、結局疲れてしまうのではないか、と躊躇ってしまいます。それを乗り越えるほどの情熱で、皆、つながっているのでしょうけれど・・・。
そもそもSNSを見なければ良いではないかと思うのですが、情報収集するためにもある程度見ざるを得ないのかなと。
私はSNSを自己満足や承認欲求の場と捉えてこれまで手を出してこなかった。良いねがほしい人、マウントをとりたい人がやるものという、上から目線の見方をしていた。ただ単に楽しいことを共有したい人、気持ちを吐き出したいだけの人もいると思いますが、私はそういった穿った考えでSNSを捉えていた。
そのため、自分が幸福の時は投稿したい欲求にかられるが不快に思う人もいるかと思うと、嫌われたくないという思いから、投稿することをやめてしまう。嫌な気持ちになるのは自己嫌悪も含め、苦しいものだから。
私はSNSの投稿によって、普段なら「特別ほしいとは思わない物」や「したいと思わない体験」を他者が「持っている」「体験している」ことによって、一瞬の強烈な欲求にかられているだけなのではないか。
自分と他人の価値観は異なり、SNSに惑わされることなく自分の価値観・感覚を大切にしていけば良いだけの話なのだが、今の自分に満足できていないから“隣の芝生が青く見える”状態なだけなのか。
救いのお言葉を頂ければ幸いです。
お坊さんからの回答 1件
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己を愛する
ご相談ありがとうございます。
とにもかくにも、SNSという存在の成す利便性の功罪だと、私は思います。
現代、あなたのように思い倦ねている方々は、おそらく想像以上に多いものと察します。
SNSに映る他人の生活は、しばしば「都合良く編集された幸福」です。
光の当たる部分だけを切り取って並べた“幸せのサムネイル”。
でも、その人にも裏では孤独や疲れが必ずあります。
泥の中に咲く蓮は、どんなに美しく見えても、根は泥の中。SNSに映る人々の笑顔も同じ。
あなたが見ているのは「花の部分」だけであり、その泥の部分までは映っていません。つまり、あなたが劣等感を覚えるのは、他者の“上半分だけの姿”と比べているからなのです。
あなたの中の“好き”はもともと、他者の持ち物や体験と関係なく、最初は純粋だったはずです。
「誰よりも好き」ではなく、「ただ好き」でいい。でもSNSでは、どうしても「比較」という毒が入ってきます。
それはまるで、澄んだ水に少しずつ墨が垂れて濁っていくようなもの。
もし苦しくなったら、一度SNSを“意図的に距離を置く”期間を設けてみてください。
ファンであることに「発信」は必須ではありません。
静かに作品を愛し続ければこそ、もっと深く、もっと長く、作品とつながっていられます。
誰かをふと羨んでしまうとき、「私もよく頑張っている…私の好きも尊い…」と、そっと自分に声をかけてあげてください。
他人の芝生が青く見えたとき、そんなあなたの庭にも、見えないところで確かに花が咲いていますから。