何をしても満足しきれない感覚回答受付中
こんにちわ突然すみません。
私が相談したいことは人生についてです。幼少期には色々と満たされない人生を送ってきました。大人になり自分の人生はある程度の自由を得られて子供の頃に叶えたかったことできずに思い悩んでいたことも簡単にできるようになりました。
最初のうちは心の奥底から喜びを得られて人生が充実しているような満足感が得られれていました。楽しいと思える仕事や趣味があれば一生を生きていけるように考えていました。
けれども最近はそれらをやっても楽しいよりも虚しい感覚が徐々に増えていっているような気がします。
うまく言葉にできませんが本心から楽しんでいたものがただの暇つぶしになってるような感覚です。それらを解消するために新しいことに取り組んでみたりもしますがそれも結局はだんだんとつまらないものに変わっていきます。
欲求を叶えていっても次の欲求がと出てくるような感じです。
抽象的な相談になってしまい申し訳ありませんがどうすれば人は満足できるのでしょうか?軽いヒントのようなものでも構いませんが答えていただからと助かります。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常道理に目覚めていない
諸行無常という言葉は多くの人から誤解されています。教科書や辞書でも誤解された解釈がなされている。
ものが移り変わることなんて小学生だって知っている。
お釈迦様は悟りの目線で諸行無常と言っている。
だから、世間で説かれている諸行無常という道理・理屈はただの解釈で自分の上のことになっていないのです。
ものが変わる変化する。
だからどうだというのだ?
そこを問うことからです。
あなたが何をやっても退屈だというのは、すでに脳が何をやるにしても思考がベースになって過去データが最前線に君臨しているから新鮮でない。
だから、今日は今日で新しい出会いにならない。無自覚ながらも迷いの心理状態にあるのです。
では、諸行無常とは何かといえば、あなたの目に映る景色も映像もテレビの画面、ここに焦点が当てられている文字一つも皆この身心から何一つ残されることなく、流れ去って、一方で瞬間レベルでとどまりつつ、真新しいことがキャッチ、享受、受け取られている。
人間には身心の浄化作用、脱却作用、更新作用があり、同じ銘柄のごはん🍚、同じパンを食べたとしても、それは毎回、一口一口異なっている。
同じテレビ番組だって、今日は内容が異なっている。
異なっているものの、人間の頭の中では思考マインドが首位に立っているために、それがフィルターになって新しい事実を真新しい事実としてきちんとキャッチできていないのです。
なぜ人には坐禅が必要か、仏道修行が必要か。
毎日人が風呂に入る、歯を磨くのと同じなのです。
こころ、脳は、情報マインドが優位に立つと事実をみていながらも見落とすのです。
情報を相手にしてしまう脳になる。
思考を相手にしてしまう脳になるのです。
だから、今日限り、今かぎり、その時限り、その場かぎり、その状況下かぎりの、一期一会で、仏の世界からの産地直送とれたて新鮮のフレッシュな今の事実に出会うコトができないのです
身心としては、いつでも新鮮な事実に出会っているのです。
ですが、精神作用がそれを邪魔するのです。
だから、何をするにも退屈に感じる。
美味しいものを食べても主観や批評やコメント煩悩が強くなるのです。
この世界の主役はボクの、私の、頭の中で沸いたモンの方じゃァない。
理屈ではここまで。
自分をキチンと取り戻したければ禅寺の門でも叩いて、自己をして本来の自己に導きましょう。
満たされない“充実”
あなたの問いは、とても本質的です。
「やりたかったことを手に入れたのに、満たされない」
これは現代を生きる多くの人が、心のどこかで感じている違和感です。
1. 「満足」は“達成”ではなく“静けさ”の中にある
子どもの頃に叶えられなかった夢を、大人になって叶える。
それは尊いことです。
しかし仏教では、「欲を満たすことで心は満ちない」と説かれます。
それは、“外側の充足”は一時的だからです。
達成の瞬間に喜びはあっても、やがて次の目標が現れ、
心は再び欠乏を感じます。
満足とは「手に入れる」ことではなく、
「いま、ここにある自分を静かに受け入れること」にあります。
外に向かう動きを一度止めて、
内なる静けさに耳を澄ませるとき、
初めて“足る”という感覚が芽生えます。
2. 「虚しさ」は、心の成長のサイン
あなたが感じている「虚しさ」は、
決して悪いものではありません。
それは、かつての“快楽”や“達成”ではもう心が満たされないという、
魂の成熟のサインです。
仏教で言えば、「苦諦(くたい)」
人生に苦しみがあると気づく瞬間こそ、悟りの始まりです。
人は、満たされないことを通して初めて、
「何が本当に大切か」に目を向け始めます。
3. 新しいものではなく、“深める”方向へ
虚しさを感じたとき、人は「次の楽しみ」を探そうとします。
でも本当は、「広げる」より「深める」ことが必要です。
趣味や仕事も、“成果”や“刺激”のためでなく、
心を静め、感謝に変えていく場として向き合ってみてください。
たとえば、
・「上手くやろう」ではなく「丁寧にやろう」
・「結果」よりも「過程の中で感じる」
という小さな意識の転換が、
あなたの中に再び温かい満足を灯してくれます。
4. 最後に
お釈迦様はこう説きました。
「欲に限りなし。知足の人こそ、たとえ地に臥すとも安らかに眠る」
足りないものを追うのではなく、
「もう充分」と心に呟けたとき、
あなたの中に本当の豊かさが訪れます。
虚しさは、次のステージへの入り口。
どうか焦らず、その静かな空白を大切にしてください。
合掌