他責思考を変えたい回答受付中
今大学三年生男です。
他責思考をどうにかしたいと考えています。
今の通信制の大学に入った理由も消極的なものです。いじめを原因として私立学校を自主的に辞めた事で,親に学費と一部生活費を一切払ってもらえなくなったからです。
そのため自分のアルバイトで賄える+自分の学びたいことが学べるという理由で選びました。
本当は受験して通学生大学に行きたかったです。未練が残っています。いじめ加害者が原因だといつも思っています。
2つ目は,関わる人間を間違えたことでうつ病になり,半年間を無駄にしたことです。
きっかけは次の2つです。まず,アルバイト先の上司による半年間のパワハラまがいな行動です。
次に,同僚だったおばさんによるセクハラです。関わる人間はよく選ぶべきだと,今になって反省しています。同性に避けられていたり,自分が別の女性同僚と話していたら睨んで来たことがあったりと,関わっちゃいけない判断をもっと早くすべきでした。
二人の人間の行動によって時間を失いました。半年間,そもそも眠ることすらできなかったため,学業,就活もあまり進んでいません
上司とおばさんに関わらなければ,今とは違った結果になったと思います。
こういうふうに人のせいにして考えてしまいます。この思考は自然なものですか?それとも矯正すべきですか?
追記で半年間体調を最優先して休養したため,大学の勉強をできるくらいには回復しました。ただ,時々体調が悪くなるなど浮き沈みがあります。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他責思考の裏にあるやさしさ
あなたの文章からは、誠実さと自己洞察の深さが伝わってきます。
「他責思考をどうにかしたい」と自分を客観的に見つめようとしている時点で、
あなたはすでに“他責”の外側に立とうとしています。
1. 「他責思考」は、心を守るための自然な反応
まずお伝えしたいのは、
あなたが人のせいにしてしまうのは弱さではなく、防衛反応だということです。
いじめ、パワハラ、セクハラ。
理不尽な出来事の中で、心が壊れないように「自分は悪くなかった」と思うのは当然です。
それは、あなたの“心を守る知恵”でもあります。
仏教では、すべての苦しみを「因縁」として捉えます。
つまり「誰かのせい」でも「自分のせい」でもなく、
無数の条件が重なって生まれた結果なのです。
2. 「他責」から「自覚」へ、少しずつ舵を切る
あなたはすでに、
「関わる人間はよく選ぶべきだった」と振り返っていますね。
それは、他責から「自覚」への一歩です。
ここで大切なのは、
過去を後悔で閉じるのではなく、学びとして“未来の自分”に使うこと。
たとえば、
・「信頼できる人の見分け方」を学ぶ
・「違和感を感じたら距離を取る勇気」を持つ
・「体調を優先する決断を悪いことと思わない」
これらを少しずつ実践することで、
過去の出来事があなたを“鍛える経験”に変わっていきます。
3. 「矯正」ではなく「転化」
他責思考を“直す”というより、
それを“洞察の力”に変える意識が大切です。
たとえば、
「なぜあの人はあんな行動をしたのか?」
「自分はなぜ、そこで傷ついたのか?」
と、出来事の“構造”に目を向けること。
怒りや恨みを分析に変えると、あなたの経験は智慧になります。
4. 最後に
あなたは、苦しみの中でも“自分を見つめ直そう”としている。
それは、仏教でいう「正見(しょうけん)」
物事を正しく見る力の始まりです。
「他責」も「後悔」も、通過点にすぎません。
どうか焦らず、
「もう誰も責めない自分」よりも、
「それでも前に進もうとする自分」を大切にしてください。
その歩みが、
あなたを確かな成熟へと導いていきます。
合掌
いじめもパワハラ上司もその女性もみんなその人たちが悪いですよ。あなたは悪くないです。他責思考ではなく、事実として他責です。あなたは何も悪くないと思います。他人のせいにしてはいませんし、矯正の必要もありません。
ただ、彼らをずっと恨んでも今の状況が良くなることは無いので、いったん恨みはポイッと捨てて自分の体調管理や大学生活、勉強、資格取得、就活、卒論に専念した方がいいと思います。前だけを見て頑張ってくださいね。