真面目な話です。回答受付中
今晩は、1日からバイトをするために関西に来ています。
早めに来て奈良や京都に行き、五重塔を見ていました。
そしてふと思うのですが、縄文から続いていた大和魂と渡来してきた仏教精神で支えられてきた江戸時代までの期間がありながら、どうして明治以降の破滅的な蛮行があったのか許せません。
日本人であることに罪悪感があります。
ガチ目な悩みなので沢山のご意見下さい。対話したいです。
戦前の日本の加害した歴史の流れの上に生きていると思うと気持ちが落ち込みます。
基本的に戦争を語る際にはどこも被害者の立ち位置で語ることが多いのですが、
特に日本が異常なのが全肯定か全否定かで対立していることです。
フィリピンやベトナム等であった日本軍による蛮行を知らないまま生きてる人がほとんどで、それでいいのかと悩むと同時に、学べば学ぶほど明治維新なんかなかった方が良かったじゃんと思ってしまい今では日本人であることに誇りを持てません。
アジアの諸国は基本的に許そう、しかし忘れないという声明を出していて、反日一辺倒かと思いきや習近平も同様の発言をしてるのです。
それなのに日本人が知らなかったと言ってしまえばこの関係が成り立たなくなってしまうし失礼だと思うのです。
もちろん南京事件の資料館は支配者の都合で展示内容が変わったりする事がありますが…
それは靖国のパネルも同じで、ルーズベルトが日本を追い込んで~みたいな内容が修正されてたりします。
当時の日本は歴代で一番世界に影響を与えていた全盛期なのに、ほとんどの人が自分たちからは何もしてないと言えるくらい無知で受け身の歴史観なのは可笑しいと思うんです。
重慶の爆撃や朝鮮の借金を肩代わりにしてまで守った歴史は正直汚点だらけで、その背中を押したイデオロギーが存在するこの世その物が憎くてたまりません。
歴史を見ると、結局日本がやらなくて良いことをしていただけで、アジアなんかほっとけよと思わざるを得ません。
私はアドレスを何度も壊して何度もここに登録させて貰ってる身で迷惑掛けまくりですが、他のところで話しても、病気扱いされるだけで誰も聞いてくれません。
汚れた国に価値を見いだせないのです。
謝ることしか出来ない立ち位置にさせた戦前が憎い。支持した日本人こそ真の敵、慈愛だの何だのも結局肝心なときに役にたたない現実、人に生まれたくなかったです。
完璧主義、性格が悪い
お坊さんからの回答 4件
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新しい誇り
ご質問いただきありがとうございます。
ソもさんの言葉からは、深い誠実さと痛みが伝わってきました。
日本の歴史を学ぶ中で、過去の加害や蛮行に目を向けることは、誰にとっても容易なことではありません。
それでも真実を知ろうとし、感情をまっすぐに受け止めようとする姿勢は、何よりも尊いことです。
ただ、少しだけ伝えたいのは
その時代を生きた日本人たちもまた、「自分が正しい」と信じながら生きていたということです。
彼らの多くは、「家族を守りたい」「国を良くしたい」という純粋な気持ちを持っていました。
しかし、その純粋さが国家の思惑や社会の流れの中で“利用”され、結果として他国や他者を傷つける方向に導かれてしまった。
そこに、個人の善悪を超えた“時代の悲劇”がありました。
だからこそ、私たちが今できることは、まず「知る」こと。
そして、なぜそのようなことが起こったのか、何が人をそこまで動かしたのかを「考える」こと。
そのうえで、自分の考察を通して、今の社会や日本人としての生き方にどう「生かす」かを探っていくことだと思います。
また、人間は「欲」のある生き物です。
それを悪として否定するのではなく、「欲がある」という事実をまず受け入れることが大切です。
欲はときに暴走し、破壊を生みますが、その力を「誰かと共に生きるための力」に変えることもできます。
つまり、“欲を調える”ことが人間の成長であり、慈悲の始まりなのだと思います。
貴方が今感じている罪悪感や苦しみも、
「人間とは何か」を真剣に問いかけている証拠ように思えます。
その痛みは、無知でも無関心でもない“目覚めの痛み”だとしたら…。
どうかその痛みを責めず、むしろ“新しい誇り”へとつなげてください。
過去を悔いることよりも、過去から学び、未来に生かす
それこそが、今を生きる私たちにできる最も誠実な贖いかもしれませんね。
諸行無常
基本的に許そう。しかし忘れない。
その立場でいいと思いますよ。
ひとつの事実も、人によって見方は様々。
ただ、勘違いしちゃいけないのは
「行為を許されない」と「人種を許さない」は全く別物です。
修羅の世界は「した事、された事」が価値判断の目安になりますが、
仏教に問いを求めるなら「恵まれた事、施した事」の視点になります。
大量虐殺の視点なら、私は鳥インフルエンザや豚コレラでの駆逐の方が心痛いです
参考になれば。。。
侍の子孫は戦に抵抗感がなかったのかも
日本の歴史はほとんどが戦乱の歴史であり、江戸時代は例外的に平和でしたが、明治維新前後にはバリバリの斬りあいをしていた侍達がいたわけですから、そのような侍達の子や孫の世代であった大正・昭和初期の日本人は、戦って領地を増やすことに抵抗感がなかったのかもしれません。
さて、現在でも、世界を見渡せば戦争やテロだらけ。
非民主的な国では、弱者は暴力に訴えるしかないところまで追い詰められている。
刀や鉄砲で戦っていた時代ならば弱者でも数が集まれば革命できたかもしれませんが、独裁政権が近代兵器を持っている現代においては、弱者が自国で革命を起こすのは無理ゲーなので、移民となって他国に逃げようとするのでしょう。
それもある意味では陣取り合戦です。
弱肉強食、強者は領地を増やしたがるし、弱者は安全な新天地を求める。
人間はまだマシな方で、野生動物は完全に弱肉強食です。
六道輪廻の世界はそのような恐ろしい生死の繰り返しです。
だからこそ仏教では、悟って(成仏して)六道輪廻から解脱(卒業)すること(涅槃)を目指すわけです。
この世の中に嫌気が差した今こそ、仏教を学ぶべきタイミングなのかもしれませんね。
脱亜入欧について
明治当初に、世界の他国よりも文明が遅れていることを危惧した日本政府は、脱亜入欧という政策を打ち出しました。アジアの国である我が国が、アジアの文化を脱し、欧米の文化・文明を取り入れようとしました。その成果として、明治・大正・昭和・平成・令和の時代を通じて先進国として発展しましたが、日本人が大切にしてきた日本文化は多くの日本人にとって疎遠なものとなりました。”わび”や”さび”といった日本古来の美学が日本人の持つべきアイデンティティとして大切に伝承されるべきなのですが、残念ながらそのような伝承は希薄なものとなってしまいました。
 今からでも、日本古来の文化を取り戻すべく方向を転換すべきなのではないでしょうか。仏教も、マインドフルネスといった欧米から逆流入しているものもありますが、そこに日本古来の文化的特徴を加味することで、本来の日本仏教の姿に立ち戻れるのだと思います。いかかでしょうか。









 個別相談可能
個別相談可能 注意することは特にないですよ。申込者さんからいただいた時間です。沈黙も喜怒哀楽も吐露も自由です。申込者さんの言葉に触発されて僕も話し出すこともあります。基本的に1回完結での対応が多いですが、その後の経過なども聞かせていただけると嬉しいです。なんまんだぶつ。
注意することは特にないですよ。申込者さんからいただいた時間です。沈黙も喜怒哀楽も吐露も自由です。申込者さんの言葉に触発されて僕も話し出すこともあります。基本的に1回完結での対応が多いですが、その後の経過なども聞かせていただけると嬉しいです。なんまんだぶつ。