死んだ方がマシ
初めての投稿です。
1年の頃学校で友達とトラブりました。1年の頃はずっと一人で頑張りました。
状況は改善されず今も一人です。
しばらく学校には行っていませんでしたが、日数がやばく、最近行き始めました。
それに、商業高校なので3年間クラスは変わりません。
先生達はめっちゃ軽い感じで言います。こっちはこんだけ頑張ってるのに。
今までずっと頑張ってきたけど、そろそろ限界です。
頑張れって言われても、今まで頑張ってきて限界が来たのでしかたありません。
もともと、生きてく意味がないと思ってました。
小学生の頃から死にたい、いつ死んでもいいと思ってました。
こんなだからか、尚更今死にたいと思います。
私は辞めたいのに、両親、先生が許しません。
高校卒業しないとそんなにいけないんですか??
学校に行くんだったら死んだ方がましです。
楽しいことなんてなく、苦しいことばかりの毎日。
早く解放されたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きるのに意味がないというなら 死ぬのも意味ないっすわ
生きる意味や意義は自分で探すものですが、自分じゃわからないことが沢山ある。
だから人生には出会うべき人がいるのです。
あなたが今、必要としている心の善玉菌があるのです。
アナタの孤独感、寂しさ。共感してくれる人がいない、理解者がいない、あなたの苦しみを分かってくれる人がいないこと…。そのかけたところを、補ってくれる人、乾いた心に潤いを与えてくれる人が必要なのです。
今のあなたによっての悪玉菌、善玉菌は誰であるかはわかりませんが、心の善玉菌をたくさん吸収してほしいと思います。求めればちゃんと得られます。
あなたを「導いてくれる人」をトコトン探しましょう。
学校で学ぶってことは、勉強を学ぶばかりじゃないのよね。(._.)
私は学校のツマラン授業の時には好きな本を読んでいました。人間興味のあることは、スラスラできるのです。
「死んだ方がマシ」?ねぇ…。
出逢うべき教え、出会うべき人に出逢っていなかった頃、私も、そういう切ない発想でした。
でも、それは、本当のことを求めているSOS信号なのです。
あなたは利発だから表面的な事よりも、本質的な事を必要としているのです。
たぶん、あなたの中では、その友達に未練が少しあるのかねえ。
その未練の正体は、きっと取り返したいことがあるのであろうと思います。
私にもいろんな人といき違い、すれ違いがありました。
今思い返せばとお互いのコミュニケーション不足だったとおもっています。
だれもが不完全なコミュニケーションの被害者です。
でも被害者意識をいつまでも引きずっていちゃ、自分を傷つけるだけ。
物事には❝眺め方❞❝味わいかた❞というものがあってねえ(._.)
何も悪い所ばかり見なくてもいいのです。
一人で孤立しとるんじゃったら、それはそれでフリーであるということ。
つるまなくていいし、めんどくさいカラミもない、気を遣わなくてもいい。
これを機会に、勉強の内容を変えてみたらどうでしょうか。
「私は何かを知りたいと思っている」ということです。生きて、あなたが今必要な知識、智恵を探してみましょう。また、ご質問を「名前を変えて」寄せてください。今から、心の生まれ変わりを致しましょう。
無理して頑張る必要はありません。
たゆ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
高校生活があまりうまくいかれておられずで、おつらくお過ごしでおられるのではないかと推察申し上げます・・
とにかく、死にたいと思うほどまで頑張る必要はありませんし、高校は絶対に卒業しなければならないというものでもありません。
基本的には、たゆ様の人生はたゆ様のもので、誰のものでもありません。ただ、これから成人して、社会生活を営んでいくためには、それまでにある程度の知識や経験、技量を身につけておかないと、自立した人間としてこの社会の中で過ごしていくことがしんどくなってしまうこともあるかと存じております。
この高校生活を無理してまで「耐えなさい」とまでは申しませんが、何かご自身の将来へと向けて、「これだ」というものをおぼろげながらにでも探されてみられて、そこへと向かって、何が必要で、何をしなければならないのかぐらいはお考えになられてもよいのではないだろうかと存じております。
また、ただ辞めたいだけではなくて、辞めて「○○したい」、例えば、働きたい、専門学校で資格を取りたいなど、しっかりと先生もご両親も納得されるような辞められたい理由、目的を述べられるのが良いのかもしれません。
さて・・ここからは少し仏教的なこととなりますが、「苦しいことばかりの毎日」と述べられておられます。誠にその通りです。その真理に気づかれたことは実に素晴らしいことです。釈尊も「苦諦」としてこの世の苦しみの真理のありようを鑑みられて、その解決のための道を御示しになられました。しかし、それは単に「死んだから」といって解決されるような単純な問題では全くございません。下記拙論をご参照下さい。
『 死後について 』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f
是非、この機会からでも「四聖諦」という教説から釈尊の教えを学ばれて頂けましたらと存じております。
また、「生きる意味」に関しましては、是非下記のアーカイブもお読み頂けましたらと存じます。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌