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出産間近なのに後悔

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私は今妊娠しており、出産予定日まで10日をきりました。里帰り出産の為実家に帰ってきています。
ですが、今現在私の父親が生死をさまよっている状態です。危篤になり、そこから回復していったものの昨日また昏睡状態になってしまいました。
病院側からは衰弱しきっている為、延命治療はできないと言われてしまい父親の心臓次第だと言われてしまいました。
父親が倒れ入院してしまったタイミングと私の妊娠が全て重なってしまい、父親には産まれる10日前にもかかわらず妊娠を報告できていません。
せめて赤ちゃんの泣き声だけでも聞かせてあげたいと強く願っているものの、このタイミングで出産を迎え、産まれてきた子供に「おめでとう」とは言えるような気持ちにはなれません。そんな時に産まれてきた子供はとうてい幸せだとは思えません。
父親の死が目の前に見えているのにも関わらず、新しい命の誕生はとても複雑な気持ちです。
そして産まれる直前になっても妊娠報告すらできていない自分は本当に親不孝だと思います。
どうしたらこの気持ちに整理がつきますか?
こんな私が母親になってもいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでもあなたはすでに母なのです

ぜひ赤ちゃんの泣き声だけでも聞かせてあげてください。
お父さんとしても申し訳ないと思っておられるはずです。
「おめでとう」とは言えるような気持ちではないにせよ、お父さんやお父さんのご先祖さんたちの命はちゃんと引き継がれたんだよ、という気持ちをあなたがお伝えして安心させてあげるとお父さんも安心して旅立てると思います。
あなたはお父さんのお嬢さん、娘だった。
そして、今、その子の母となるのです。
どうして、母になってはいけないことがありましょうか。
我々僧侶がお父さまに代わっていつでも父性を提供いたします。
お父さんが、よくやったな思ってくれるように、お父さんが元気であればきっとこう言ってくれるであろう、と思われるような、立派なお母さんになってください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お腹の子のお母さんはあなただけです。

とてもお優しい方だな、と感じながら質問を拝見させて頂きました。
お父様のことを考え、生まれる命のことを考えられ、本当に素晴らしい方だと思います。
ただ、子どもの幸せをあなたが決めてはいけません。強い言葉で申し訳ないのですが、私自身「こんな世の中に生まれて幸せなはずがない。私なんかが親で幸せなはずがない。」と考えながら、出産に至ったからです。子供が生まれた瞬間、後悔しました。「私は何を勘違いしていたんだろう。この子は私の物じゃないんだ。一人の人間なんだ。」と涙が止まりませんでした。普通は「生まれてきてくれてありがとう」と涙をながすのかもしれませんが、私は申し訳なくて涙が止まりませんでした。
子どもが生まれてからも、授乳や食事、おむつ替え一つとっても「私が母親じゃなければ、こんなに泣かないのかも」と落ち込みました。それでも子供は私を「ママ、大好き」と不完全な私だけを、ママと呼んでくれます。
浄土真宗では死んだあと、仏様になってお浄土に還っていくとお話しさせて頂きます。お父様の体、声、見える存在はこの世からなくなってしまっても、お浄土から「いつも見守ってるよ」と仰って下さいます。私たち人間にはできなくても、仏様になられたらどんな場所にもいけて、どんな声でも聴きとって下さます。生まれてくる赤ちゃんの声も、あなたが苦しく悲しんでいる姿にも、「大丈夫」と寄り添って下さいます。
昏睡状態ということですから、どこまで出来る状況かわかりませんが、お父様に直接「子どもが生まれるよ。」と声をかけましょう。後悔しないように。子どもを授かって、親の大変さが分かってきた。本当に大切に育ててくれてありがとう。大好き。と伝えましょう。お父様は何があっても、あなたの親です。
子どもの我がまますら可愛く感じる親です。ご自身の体調と折り合いをつけながらになるかと思いますが、お父様との時間を大切にすごしてください。

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有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 離婚・再婚などなどお坊さんらしくない、経歴もありますが、様々な経験をしたからこそ仏教に出遭えたんだと前向きに捉えています。 仏の教えは、慈悲や優しさだけではありません。 自分を見つめ続ける、厳しい教えです。その先にある慈悲の素晴らしさを少しでもお伝えして、ともに味わっていきたいと思っています。 仏教は生きるための教科書だと思っています。まだまだ勉強が足りませんが、悩み考えて仏教を深めていっています。 少しでもお役にたてるように私自身も勉強させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

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