非常識だった自分。今でも思い出す後悔
20年以上前の出来事なのですが、今でも鮮明に思い出して苦しくなることがあります。
私は21歳頃、アルバイト先でA子さんという1歳違いの女性と仲良くなりました。趣味が合い、メールをしたり悩みを相談したりする関係でした。
当時、私は職場の社員に好意を持っていましたが振られてしまい、とても落ち込んでいました。当時のアルバイトは22時までの勤務でA子さんも同じ時間帯のシフトでした。その日の夜(A子さんは休み)、辛かった私は23時半頃にA子さんへ電話をかけました。A子さんは電話に出てくれたので報告と今までのお礼を伝え、通話は2分ほどで終わりました。
その後もメールのやり取りをしていましたが、ある日、互いに返信を続けた結果、深夜3時半までメールが続いてしまいました。最後はA子さんから「寝ていい?」という内容のメールが来て、私は「遅くまでごめん」と謝って終わりました。
ところが後日、別のアルバイト仲間から、A子さんが私とのメールについて「長々とメールが来て、私も眠いのに」と周囲に話していたことを聞きました。さらに、私が社員に振られたことまで他の人たちに話していたそうです。その場にいた人の中には戸惑っていた人もいたと聞きました。また、他の仲間からは「A子さんは信用しない方がいい」と言われました。
私は大きなショックを受け、それ以降、自分からA子さんに連絡することはなくなりました。
その1年半後、A子さんは就職のためアルバイトを辞めましたが、辞め方も少し無責任だと職場で話題になりました。しばらくして知らない人から「アドレスを変えました」というメールが届き、誰か確認したところA子さんでした。そして「これからも仲良くしたいと思っています。よろしくね」という内容が送られてきました。
しかし私は信用できないと感じたため返信をせず、そのまま連絡を絶ちました。
今でも私は、「23時半~日付が変わる頃に電話したこと」「相手に配慮をせず深夜3時半までメールを続けてしまったこと」が非常識かつ自分が悪かったため、こんな目に会ったのだろうと何度も考えてしまいます。一方で、信頼して話した内容を周囲に話されたことへの悲しさも残っています。
20年以上前のことですがその場に戻ったかのように鮮明に思い出してしまい、辛くなることがあります。私はこの出来事をどのように受け止めたら良いのでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
未熟だった。苦い経験は、学びや成長へのヒントや力にもなるわ。
20年以上も前の出来事なのですね。まだ若い頃で、失恋という傷心の真っ只中にいたがゆえに、話を聞いてもらいたくて相手のことまで配慮できなかった。それは、あなたの未熟さでもあるでしょうね。ですが、誰だってそんなこともありますよ。
そして、人の見る目も備わっておらず、相談する相手を見誤っていた。でも、当時はA子さんと仲が良かったのですから、共通の人として話しやすかったのもありますよね。
A子さんも、他人に言いふらしたらダメよ。あなたが傷心だってことはわかっていたのだから、それをわざわざアルバイト先の関係者に漏らすのは、悪意を感じます。
2人も未熟だったわね。苦い経験は、学びや成長へのヒントや力にもなりますよ。
相手への思いやりや配慮。そして人の見る目を養うこと。
あなたの周りで、素晴らしい関係を築いている人や尊敬できる人を観察しましょう。その人達から、良き影響を受けてくださいね。
ご縁を絶ったことは、ご自身の心を守るための正しい選択です
ご相談を拝読いたしました。20年以上前の出来事が今も鮮明に蘇り、ご自身を責めて苦しんでおられるのですね。それは当時のあなたが深く傷つき、そのお心が今も完全には癒えていないという事でしょう。
深夜にご連絡をしてしまったことは、確かに少し配慮に欠ける部分があったかもしれません。しかし、それは失恋で傷ついた心から生じた「ついつい」の行動であり、若き日には誰しも経験する人間らしい失敗です。決してあなただけが悪いのではありません。
むしろ、信頼して打ち明けた悲しみを周囲に言いふらしたお相手の行為の方が、人の心に寄り添えない非常識な振る舞いです。他愛のない愚痴はお互い様でも、秘密の暴露は違います。ですから、あなたが「信用できない」と判断し、ご縁を絶ったことは、ご自身の心を守るための大変賢明で正しい選択でした。
仏教には「執着を手放す」という教えがあります。20年という歳月が流れ、あなたも、お相手も、もう当時の二人ではありません。過去の出来事に今のあなたが縛られ続ける意味はないのです。「あの時はお互いに未熟だった」と過去の自分を許し、執着をそっと手放してください。もう十分に反省されたのですから、これからは今あるご自身の平穏な日々に目を向けていきましょう。
拝
縁起寺 釋聴法
過去の失敗
過去の失敗は誰にでもあります。
それを思い出して恥ずかしくなったり後悔することはあります。
ただ、仏教では「無我」と言って、「自分(私)」という存在は概念上の幻にすぎず、固定的な私はいないと説きます。
身体の細胞は新陳代謝で入れ替わり、心は瞬間ごとに浮かんで消えて変化している。
ですから、20年前のあなたと今のあなたは実は別人であり、名前や記憶データを相続しているから同一人物だと錯覚しているだけなのです。
今の阪神タイガースの選手と20年前の阪神タイガースの選手は別人ですが、チーム名だけは同じ、みたいな感じ。
ですから、20年前の記憶は
「あ、脳のデータベースから記憶データが流れてきただけだ。」
と受け流しましょう。
過去に学ぶことは大切ですが、20年前の記憶データのために苦しむ必要はありません。
ただの記憶データだ、はいオシマイ。
質問者からのお礼
温かいお言葉をありがとうございます。
もう、当時の自分と今の自分は違うんですよね。
手離すのも大事なのだと思いました。
ありがとうございました。



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