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恋人の死について回答受付中

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はじめまして。今月初めに恋人を仕事中の不慮の事故で亡くしました。

彼はまだ35歳だったため亡くなるなど考えていなくて、突然だったため今だに現実感がありません。

これからまだ一緒にやりたいことや、彼自身も目標に向かって頑張っていたため私も本当に悔しいし、彼が一番悲しくて悔しい思いをしているはずです。

亡くなった人は近くで見守ってくれると聞いたことがありますが、見守ってくれているでしょうか?

彼の分も頑張って生きなきゃと思いますが、これから明るい気持ちで生きていけるか不安です。

2026年6月18日 22:00
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思い続ける限り彼はそばに居ます。

拝読させていただきました。

不慮の事故にて言葉も見つからないほどお悔やみを申し上げます。

突然の事故にて実感がまだ無いこともお察しいたします。
彼の声もいまだ記憶され、LINEなども含め思い出が数え切れないほどあることと思います。

49日間はどうぞ宗教観を持たなくとも喪に服してくださいますようお願いします。

わたしたち僧侶は追善供養を年中行っております。
「供養」とは"救済"を意義します。
追善供養や追福修善などさまざまな呼称をします。

かの弘法大師(空海)は、「身と花は共に落つれども、心と香はともに飛ぶ」と著らわしております。
これは、諸行無常と生者必滅の理念を現したもので、わたしたち生まれるものすべては定命(寿命)があり、花びらのように寿命が来れば散っていきますが、花の香りが消えないように故人様との思い出も心から消えることはないのです。
であるからこそ、故人様との思い出を大切にすることで心の中で仏と成った彼は生き続けているのです。

わたしたちも当然に平均寿命をまっとうできることは保証されません。天災や地災、戦争など現実でも起こっている世界で、突如として身に何が起こるか分からない人生です。

仏教の根幹は「今を切に生きる」という"今"なのです。今の連続が一生へと成っていきます。いわゆる「一日は小さな一生」でもあります。

彼が最後までやり遂げれなかったことなどを思えば悔い残ることばかりになりますが、過去は取り戻せない過去となるので、彼の分まで幸せになってあげることが供養へとつながります。

ふとした数ヶ月、数年したふとした瞬間に涙が溢れてくることがあるでしょう。その時、彼の教えがはじめて理解できることです。

この度は謹んでお悔やみを申し上げます。

合掌

2026年6月18日 23:33
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

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