障害をもって生まれた子供。
つい最近出産した子供が障害を持って生まれてきました。現在生後4カ月です。
妊娠中、順調に成長していた子供。出産直後、医師から染色体異常がある事を告げられました。(ダウン症)私達夫婦は共に20代。高齢の方がリスクはあがるが、確率の問題なので、若い夫婦にも生まれる事はあると医師より言われました。
我が子に障害がある…今までの人生でこんなに辛い事はありませんでした。
まさか自分の子供が…。子供には悪いですが、障害のある子なんて欲しくなかった、絶対愛せる訳がないと思いました。
しかし、一緒に過ごす中で、ゆっくりではあるが成長していく子供をみていると、やっぱり可愛いし大切。どんな状態でもこの子はこの子だと思い、随分精神的にも落ち着き、幸せな日々を過ごしています。
でもやはり外に出て、他の健常な子供を連れた家族をみると羨ましく思います。障害をもったお子さんを連れた家族をみると、自分達もこうなるのかと思い、胸がザワザワします。
幼いうちは可愛い可愛いで良いが、成長するにつれて、可愛いでは済まされない事もあるでしょう。ずっと子供のままでいてくれたら良いのに。
そう思ってしまいます。
この障害は元々の素質もあるが、周囲の人との関わりなどで、随分成長に変化があると言われています。自立されている方もいらっしゃると、聞きます。個人差が激しいのです。療育を熱心にする事で、子供の成長に影響がある…、私達の日々の関わり次第なんだとプレッシャーを感じます。両親親戚など、みんなで一緒に育てようというものの、基本的には母親が一番一緒に時間を過ごします。この子の可能性を伸ばす事が出来るのだろうかと、日々不安に思います。
今1日1日は楽しく平和です。でもそれはまだ赤ちゃんだから。これから先成長するにつれ、きっとたくさんの壁にぶち当たるでしょう。将来の事を考えるのがこわく、逃げ出したくなる事もあります。
この子はとても可愛い。いなくなる事も考えられない。でも、健常であれば、素直に成長を楽しみに育児出来るのに。なんでうちの子が、障害を持っているんだろう。
結局、私は子供の事を100パーセント受け入れてないのではないか、こんな気持ちでこれから何十年も子供と向き合っていける自信がありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あるダウン症のお子様のお母様のお話
みゆ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お気持ち、誠にお察し申し上げます・・
もちろん、人間は生きていく上において、皆、それぞれに必ず色々な困難を伴って過ごしていくことになります。
誰だって、何らか問題を抱えて人生を生きていくものです。
しかし、その困難や問題を乗り越えていくための教えを、お釈迦様はお優しい慈悲のお心において、様々にお説きになられておられおられます。
是非、また仏教につきましても学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。
私たちは皆、満足に独りで生きていける存在ではなく、ある意味で、皆、弱者です。
弱者同士が生きていくためには、互いに助け合って、支え合って、分かち合って過ごしていかないといけません。
お母さん、ご家族だけで悩まずに、周りの皆への理解とサポートも求められて下さい。
療育も進んでいます。自立することだって十分に可能であるかと存じます。
あるダウン症のお子様のお母様とお話しさせて頂いた際におっしゃられていました。
「私は、この子に癒されています。この子といる時が、本当に安らいで幸せなんです。不思議ですが、本当なんです」と。正直、ハッとしました。
何か私たちが失ってしまっている大切なことについて、今でも色々と考えさせられています。
私は「障害」という言葉が大嫌いです。
「言葉」に惑わされてしまってはいけません。そんな言葉は、都合よくつけられてしまった「ラベル」のようなものです。そこに何か実体的に決定できるようなものがあるわけではありません。
全ては因縁(原因と条件)により変化していくものです。善き因縁により、善き結果も当然に望めるものです。決して、「障害」として先入見により諦めてもいけません。
それぞれかけがえのない大切な子どもたち。皆の大切な子どもです。皆で大切にお育て致して参りたいものでございます。
お幸せを心から祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
子どもは家族が大好き
みゆさん、初めまして。みゆさんの愛情、葛藤…全てお子さまを思ってのことと頭が下がります。
私は、坊さんなのに妊娠の度に「子どもが健常者じゃなかったらどうしよう」と不安になります。特に最初の妊娠は酷かったです。
浄土真宗は、常に自分の心を見つめ、生き方のお手本である仏様のお心との違い、ダメな部分を認めて反省していく教えです。
だから、なぜ不安になるのか…と考え、みゆさんと同じような思いを抱きました。
好きだけじゃ済まされないことに立ち向かう勇気がどれだけ欲しいか。
出産後の子育ての中で思ったことがあります。
うちの子は、外見は普通。今のところ精神疾患もないようにみえますが、将来が不安だしプレッシャーも感じます。親の背中をみて育つと言われるだけに、私が母親でいいのかと悩むこともあります。私たち、母親が出来ることを考えると…本当に些細なことじゃないでしょうか?
だって、私が子どもよりも未熟な瞬間があるから、偉そうに出来ないんです。
何も知らないから、何の暗闇も、嫌悪感も持たない子どもを見ていると、みんながこんな風に優しかったら、世界はどれだけ幸せだろう…それに比べて自分はなんて汚ないんだろうと嫌になることもたくさんあります。
そんな私に出来ることは「大好き」と伝えることだけです。私たちの愛情が子どもを笑顔に出来る。
愛情ゆえに苦しむ。大切だから不安になる…みゆさんは100%子どもを受け入れているじゃないですか。
障害は個性だなんて綺麗事は言いません。私がみゆさんに言える立場じゃない。
でも、障害の有無で幸せは左右されません。
立派な母と、その母をみて育つ子どもは、暖かい人になりますよ。
不安や汚ない感情はいつでも吐き出して下さい。言いたくても言えないこと、言ったら落ち込むこと、仏教は温かく包んでくれます。