人に注意しなきゃという強迫観念回答受付中
私は良く言えば、正義感が強さからマナーの悪い人に注意します。でも本当は性格が悪く、人の悪いところを叩いてマウントを取りたいんだと思います。子どもの頃は注意しすぎてやり過ぎてそれで周りを何人も泣かせました。
でもマナーの悪い人などを見つけると注意をしなければという強迫観念に駆られます。
注意する事を我慢できても数年単位で引きずります。
でも、注意したらしたで後から「言い方が悪かった」「言わなきゃ良かった」となったり、逆に「もっと徹底的にいえば良かった!」となったりでこちらも数年単位で引きずります(一応言い過ぎないように、言い方には気をつかい、考えた上で注意してます)
きっと注意しない方が良いと思います。危ないですし、逆ギレされた事も何度もありましたし、相手を不快にさせて不快な記憶を相手に植え付けてしまいますし、何より私の自己満足だからです。
どのように考えれば、この人に注意したい、しなきゃという強迫観念を抑える事ができるでしょうか?また、「引き摺らない」ために、どのように考えれば良いかも教えて欲しいです。
お坊さんからの回答 1件
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正義感が強い。
言い換えれば、曲がったことが嫌いなのでしょうね。
私も人のことは言えません。
未熟者ですから、ついイライラしてしまうことがあります。
可笑しいでしょう?
坊主の癖に。
私は神社仏閣巡りが好きなんです。
好きというより、私にとっては行ですね。
毎月決まった神社やお寺にお参りしています。
最近は参拝者も増えました。
私は先月のお礼と今月のご挨拶をするだけなのですが、中には長い時間お願い事をされる方もいます。
後ろに列ができていても、なかなか終わらない。
そんな時、
「もう少し譲り合えばいいのに」
と、ついイライラしてしまうのです。
ある時、御神仏にお供えする御神水をいただきに行きました。
周囲に人はいないと思っていたのですが、戻ろうとすると待っていた方がおられました。
私は慌てて、
「お待たせしました」
と頭を下げました。
すると、
「待っている人がいるかもしれないのだから、周りを見て一度譲ったらどうですか」
とお叱りを受けました。
その時、ハッとしたのです。
私は参拝者の長いお願い事には腹を立てていたのに、自分自身も周りが見えていなかった。
結局、人は自分の価値観でしか物事を見ていません。
正義感も大切です。
しかし、その正義は本当に絶対なのでしょうか。
相手にも相手の事情や考えがあるかもしれません。
私が学んだのは、
「相手を変えようとする前に、自分を一歩引いて見ること」
でした。
近くから見ると腹が立つことも、少し離れて見ると違って見えることがあります。
どうか、ご自身を責めすぎないでください。
イライラするのは真面目に生きている証拠でもあります。
そのイライラの矛先を相手ではなく、自分を見つめる材料に変えていく。
それもまた修行なのだと思います。


