何も欲しくない回答受付中
生きることには困っていません。
家族とも友人ともほどほどに良好で、生きるお金はあり、健康とまではいきませんが肉体的に苦しんではいません。
ただ、憧れてきた人や、追いかけてた夢とか、欲しかったもの、自分の執着するもの、
そういうものが手に入らないことがわかってくるうちに、何も欲しくなくなってきました。
思い出すのは、幼少期渇望したゲーム機を親に許してもらえず、大人になってから買ってももうやる元気が全く無かったことです。
こんな具合に、自分にも他人にも期待する元気もなく、激しく楽しいと思えることもなく、ただ食べる、寝る、出す、を繰返すだけのなんかものになったみたいな気分です。
本を読む元気もさほどなく、新しい趣味を探す気にもなれません。
これは仏教的には欲の少ない正しい生き方なんでしょうか。何かを追い求めて一生懸命になりたいかもしれないです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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夢と目標
ご相談を拝読いたしました。
「何も欲しくない。」
そう感じるようになったのは、欲がなくなったからではなく、何度も失望を経験して心が疲れてしまったからではないでしょうか。
仏教では、執着が苦しみを生むと説きます。
しかし、それは「何も望んではいけない」という意味ではありません。
愚僧がお伝えしたいのは、
望んでも叶いそうもない目標は、もはや目標ではなく、願望です。
願望を追い続けると、人は疲れます。
一方で目標とは、努力によって一歩ずつ近づけるものです。
例えば、毎日十分歩く。
月に一冊本を読む。
誰か一人に親切にする。
こうした小さな目標は、達成するたびに自分を少しずつ前へ進めてくれます。
幼い頃、欲しかったゲーム機を大人になって買っても楽しめなかった。
それはゲーム機が欲しかったのではなく、「子どもの頃の自分の喜び」を求めていたからかもしれません。
残念ながら、時間だけは取り戻せません。
だから過去を追いかけるより、今の自分が少しだけ嬉しいと思えることを探してみませんか。
仏教でいう「少欲知足」は、欲がなくなることではありません。
今あるものに感謝しながら、身の丈に合った願いを持って生きることです。
何も感じなくなった自分を責める必要はありません。
今は少し心が疲れているだけなのかもしれません。
焦って大きな夢を探さなくても大丈夫です。
今日できる小さなことを一つ。
明日も一つ。
小さな積み重ねがあなたに達成感や充実感を与えてくれることを信じていますよ。
その積み重ねの先に、「また何かをやってみたい」という気持ちは、きっと戻ってきます。
人生は、大きな夢だけで輝くものではありません。
小さな目標を積み重ねることも、立派な人生なのです。


