在家の戒律について回答受付中
私は在家ながら仏教信仰しているのですが、『十善戒』の項目一つずを毎日繰り返し意識し生活(実践)に励んでおります。とある方より『在家のものが戒律を守れるはずがない。』というご意見を頂きました。確かに在家に関わるすべての戒律を完全に守り切るのは難しいのかもしれません。とは言え、その戒律を守ろうと1段ずつ階段をあがるように継続することもまた大切な行いではないかと考えております。ですが、お恥ずかしながら少し自信を失ってしまいました。ここでお伺いしたいのですが、在家の人間が戒律に少しでも触れ、意識し生活する事は無益なのか否か。完全に守らなければ仏道を歩めないのか。アドバイス頂けますと幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自らを律しようとする日々の努力にこそ、大きな意義があるのです
ご相談ありがとうございます。在家でありながら「十善戒」を毎日意識し、生活の中で実践しようと努められているお姿は、大変尊く、素晴らしい心がけであると感銘を受けました。
「在家の者が戒律を守れるはずがない」というお言葉に、ご自身の歩みへの自信を揺るがしてしまわれたお気持ち、お察しいたします。真摯な努力に水を差すような言動は、決して好ましいものではありませんね。しかし、実のところ「十善戒」を完全に守り抜くことは、私たち僧侶であっても極めて困難なことです。例えば「不殺生」一つをとっても、私たちは日々、他の命(肉や魚など)をいただかなければ生きていくことすらできません。
ですから、「戒律を意識し生活することは無益か」というお問いに対しては、決して無益なはずがないと力強く申し上げます。完璧に守れない現実を知りつつも、一段ずつ階段を上るように自らを律しようとする日々の努力にこそ、大きな意義があるのです。
また、私ども浄土真宗においては、戒律を厳格に守り抜くことよりも、阿弥陀如来の海のように広く壮大なお慈悲にすべてをお任せする「他力」の考え方を大切にしております。人間は自力で迷いを断ち切れない不完全な存在ですが、その不完全な者をそのまま救い取るのが阿弥陀様のお慈悲です。
ゆえに「完全に守らなければ仏道を歩めない」ということは決してありません。どうか自信を失うことなく、ご自身なりの尊い仏道をこれからも心穏やかに歩み続けてくださいませ。
拝
縁起寺 釋聴法
浄土宗の教師として申し上げます。
はじめまして。どなたが「在家では戒律を守れない」とおっしゃったのかは存じませんが、「では出家であれば守れるのか?」については、あまり言及されなかったのではないかと思います。
まぁ他人は他人。あなたや私にとって、戒律(律は本質的には出家者のものですが)を、どのように受け止め、生活に生かしていくか。それは大切な問いだと思います。
こういう言い方をすると揚げ足を取られることもあるのですが、私は「守れなかった時にどうするか」が肝要だと思っています。もちろん、約束は守れるに越したことはありません。しかし、達成できないこともある。人間だもの。その「できなかった自分」を直視した時、次にどうするか。そこに修行があるのではないでしょうか。
相談文を拝見していて一つ感じたのは、あなたは実際に十善を生活の中で意識しておられるということです。もし何も実践していなければ、「守れない」「これでよいのだろうか」という悩みそのものが生まれません。
相談文には「一段ずつ階段を上がるように」とありましたが、私は修行とは少し違うようにも思います。階段なら、一段上がれば戻ることはありません。しかし人間は、昨日できたことが今日はできなかったり、同じことで何度もつまずいたりします。それでもまた歩き出す。その繰り返しではないでしょうか。
仏道とは、失敗しない人になる道ではなく、自分という人間を知り続ける道なのだと、私は思っています。今日はできた。今日はできなかった。そのたびに自分を見つめ直し、また歩き出す。その姿勢こそが、仏道なのではないでしょうか。
ですから、「完全に守れないなら無益だ」と私は思いません。むしろ、守ろうと願い、迷い、振り返り、また今日を歩こうとする。その問いを持ち続けていること自体が、すでに仏道を歩んでいる姿なのだと感じました。私は、その歩みを大切にしていただきたいと思っています。
人間のままならない不確かさを自覚する先に仏様の救いが届く安心
意識した生活(実践)に励んでおおられるのですね。多くの人は、社会の中で生活をしながら信仰をする在家でありましょう。どの立場であっても、信仰する道・目指す道に間違いはないのでしょう。
「在家のものが戒律を守れるはずがない」と言うよりは、人間には守れるはずがないという方が近いでしょうね。それは、実践していけば、見えてくるはずです。
完全に守らなければ仏道を歩めないのか言われたら、自力では難しいものです。だから、仏様をお頼りするのです。仏様のお導きを聞いていくことなのですよ。
宗旨により勧める実践行には違いがありますが、あなたが生活に意識して取り組んでおられるお気持ち、そこに向かわせてくださった仏様のお導きがあってのこと。だからこそ、無益なはずがないのです。
他の先生方が回答で仰られているように、あなたが自信を失うという人間のままならない不確かさの身を自覚する先に、仏様の救いが届く確かな安心が見えてくるのではないでしょうか。
信仰心をお大切に。合掌
質問者からのお礼
温かいお言葉を頂きありがとうございます。仰せの通り、繰り返し学び続ける姿勢を保ちつつ仏道を歩んで参ります。
新たにお答えくださりありがとうございます。仏様が結んでくださったこのご縁を大切にこれからも邁進致します。



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◆別れた交際相手の事を忘れる事ができない
◆家庭不和で毎日の生活が辛い
◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない
◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている
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