瞑想中の恐怖心について回答受付中
こんにちは。
瞑想をしているときに、恐怖心が強く出てきます。
ただ座っているだけでは何ともないのですが、
呼吸が深く切り替わり、感覚がすこし変化する瞬間(瞑想が深まるようなとき)、すごく怖い気持ちが湧き上がってきて辞めてしまいます。
ふだん1人でやっているのも影響しているのでしょうか。
お坊さんは座禅の指導などで、このような事が起こる人にはどのようにアドバイスしていますか?
教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 4件
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正しいやり方を知りましょう。無理のない時間や環境で取り組んで
なぜ瞑想を? 何かこの先に求めるものがあるのでしょうか。
リラックスや集中力の向上、睡眠の質を高める効果があると言われていますが、自己流ではその効果も半減してしまうでしょう。
自分の内面と向き合うことにもなりますので、かえって不安定になったり、症状が悪化したりするリスクもあります。恐怖心が起きるのも心配ですよね。
そのためにも正しいやり方を知りましょうね。そして、無理のない時間や環境で取り組んでいきましょうね。
思考から非思量(非思考・思考に積極的ではない事実マインド)へ
思いというものはどんな思いであっても自分の頭の中から出てきているわけです。こんなことを考えると不安になる、こわい、嫌だと言っても、それも客観的に見たら自分の思いですよね。
思いは鐘の音と同じで「鳴った時だけ鳴ってる」ように、そのことを
思った時だけそのことを思った・思われている・思い起こしている」わけです。
つまり、前後がない。今から申し上げる数字の5の時は、前後の4も6もないように。1.2.3…4… 5! …6、7、8…
5と言った時には 5 だけです。
ドレミでもあいうえおでも同じです。
つまり、一念は一念にしかず。
あらゆる妄想も雑念も一念に過ぎない。
人はその一念の正体を見届けていないから不安になり恐怖も覚える。
不安とは不安定。自分の事を知らないだけです。
ブッダとか覚者、悟った人とは何を悟ったのか。この自分の心というものの本来のありよう。自己の本来性。
瞑想とか坐禅は向き不向きもあるでしょうが、きちんとした道理にかなった指導に出会えれば、何のことはない、ただこの自分の真実の様子を道理にかなったやりかたでよく見つめ、己を明かす道です。そこをわきまえた上で臨めば、考え事をしている時はそういう考え事をしたァというだけ。
出てくる一念というものは、発生時点では無色透明。どんな汚れたような思いに思えてもそれがポンと出てきた瞬間はそれが出たというだけのお手つきなしの状態がある。
まだその思いに触らない、関わらない状態。
たとえ自分の中から純粋に出てきた思いであっても、触らぬ、引き寄せぬ、相手にせんで居れば、思いはある種のかまってちゃんですから、相手にしてもらえぬと自然に消滅していく。
すると脳は思考ファースト頭脳から事実ファースト頭脳=非思量に切り替わる。
これはニコニコ動画で言うと画面上にコメント、テロップが出ていないようなオフ状態です。
人が人の頭で考えた思いを、主体的・主観的に、ああだの、こうだの物申すのは、実は第二次的な、セカンドのアクションと言えましょう。
なぜなら、どんな事実も出来事も、内側から沸く思いであっても、まだ妄想化、煩悩化される前の「人・我・自我・エゴ」の不在な清らかな状態があるからです。
手をつけずにいると、やがて働きかける我・自己が静まり、無我のはたらきが開かれます。さらに自己の真実に触れたいのであれば、禅門を叩いてみてください。
慣れるまでは指導者の下で、1人で行うのは十分に慣れてからに
ご相談ありがとうございます。瞑想が深まる瞬間に湧き上がる恐怖心は、決しておかしい反応ではなく、比較的起きやすい現象の一つですので、相談者様に限った事ではありません。「瞑想」にもメリットばかりでなくリスクも伴いますので、その点は注意が必要です。
「一人でやっている影響か」との問いですが、その通りです。一人での実践は、心身の変化に対して客観的な対処が難しくなります。お寺の「瞑想体験」や「瞑想会」でも必ず指導者を配置するようにしておます。慣れるまでは十分な経験を持つインストラクターのもと、複数名で行う環境を整えて実施しています。
瞑想にはリラックス効果や集中力向上のメリットがある反面、過去のトラウマや心の状態によっては、かえって症状を悪化させてしまうリスクも伴います。もし恐怖を感じたら、無理に続けず、すぐに目を開けて中断するという具体的な対処を徹底してください。ご自身の安全を最優先とし、まずは信頼できる指導者がいる環境を探すことから始めてみましょう。慣れるまでは指導者の下で、1人で行うのは十分に慣れてからにしましょう。
拝
縁起寺 釋聴法
心は無常、法は無我、心のお客さん
私は浄土宗のお坊さんなので、口でなむあみだぶなむあみだぶと念仏を唱えるのがメインの修行です。
浄土宗を開いた法然上人は、妄想雑念は心のお客さんであり、念仏が心の主人であると言われました。
これに照らして申し上げますと、瞑想中にやってくる恐怖心も「お客さん」であり、お客さんは必ず過ぎ去る一過性の現象なのです。
心は無常です。
心は瞬間ごとに浮かんでは消えて変化します。
だから瞬間ごと新しく心、新しい念仏、新しい瞑想ではないでしょうか。
法(頭で考えた情報)は無我(実体のない幻みたいなもの)です。
恐怖心も、そこに「怖い」という概念や記号(法)を与えた途端「頭で考えた概念にすぎない」ものになるのです。
ですから、基本的には、思考や感情が乱れても良いのですが、落ち着いたらまた普段どおりの瞑想に戻る、また乱れてまた戻る、その繰り返しで良いのかもしれませんね。
なお、もしもあなたが精神疾患等を患っておられるのならば、主治医に相談しながら瞑想した方が良い場合もあるでしょうね。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )