罪人は何を言われても仕方がないのか回答受付中
「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない」
他者に間違いを指摘する際、私が常に念頭に置いてる言葉です。
相手が間違えたら問題の行動だけを指摘すること。
なにより相手の事情、意図、感情を聞くこと。
ですが過ちを犯した側にたった今、とても苦しく感じます。
「重箱の隅をつつく情けない奴だな、お前の本質がみえるわ」
「普通相手のことを思うんだったらしないと思うんだけど?お前の意図がすけてみえるわ」
「謝罪も訂正もしたから許してください?納得できないわ。誠意をみせろ!!」
詳細は割愛しますが、私の行いと発言で人を傷つけてしまいました。
訂正と謝罪をし、二度としないことを約束しましたが、上記の通り納得がいかない様子です。
連日から誠意をみせろと返信が続き、ブロックするも別垢からコメントが届きます。次第に私は
「どんな言葉も受け入れるべきなのでは?私がこの人を傷つけたんだから」
「謝罪したから許せなんて傲慢ではないのか」
「私は耳の痛い言葉から、犯した罪から逃げてるだけではないのか」
そう考えるようになりました。
正しさとは何でしょうか?
過ちを犯した人は何を言われても仕方がないのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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怒りは煩悩
あくまでお坊さんの戒律の話ですが、お坊さんが守るべきルールとしては、
謝罪している人にはいつまでも怒らず許さねばならないことや、
他人の罪を言いふらしてはいけないという
戒律があります。
あなたが謝罪しているのに相手がいつまでも怒っている場合、その相手も悪人(怒りの煩悩に負けている)なのです。
誰にでも欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があるから、お互い様です。
お釈迦様が亡くなって2500年経過した現在では、ほとんどの人間が煩悩だらけの凡夫(ぼんぶ)です。
正しくない者同士、犬と犬が吠え合っているような状態です。
なので、1周回って、弱肉強食の社会でもあります。
つまり、仲間やお金や法律等の武器も駆使して正々堂々と争う(相手に恨みは持たずに、ラグビーの試合のように戦う)のも良い。
カスハラやパワハラなど、例えお客様や上司が正しい場合でも、やりすぎたらダメ。
やるならやってやる、法律に従って正々堂々と戦えばよい、ただし、煩悩がある者同士お互い様、勝っても負けても恨みっこなしだと思いましょう。
ということで、相手が強いかあなたが強いか、これは試合です。


