札所のお寺のお坊さま
初めまして。
地元のわりと有名な霊場参りを初めてしている者です。(本四国ではありません)
御朱印を頂く時の事ですが、挨拶やお返事の雑なお寺の方が以外に多くて驚いています。
(こちらからは御朱印帳を差し出す時には「こんにちは、よろしくお願いします」、受け取る時には「ありがとうございました」と必ず声をかけています)
ご家族やお手伝いの方ならまだしも、お坊さんに無言かつ片手で御朱印帳を返されたりするとついモヤッとしてしまいます。
自分の家が曹洞宗なので、禅宗のお坊さんの感じが悪いと余計に。
「挨拶」の由来って確か禅語ですよね〜?
もちろん感じの良いお寺さんの方が多いですし、ついお坊さんやお庫裏さんと話し込むこともあります。
自分でもこんなささいな事考えながらお参りするのもどうかとは思っておりますが、是非ハスノハの感じの良いお坊さま方にお考えを聞かせていただきたいです(^^)
よろしくお願いしますm(__)m
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すみません。
まず不愉快な思いをさせてしまい、代わってお詫び致します。
私は本四国札所がある地域ですが、自分も昔参拝してみて色んな方がいるなぁと思いつつお参りしたものです。
札所さんも一日にあれだけ多くの方と接していると段々と事務処理的になってしまうのかもしれませんね^^;
日によっては納経所に住職(僧侶)が座っていることはあまりなく、雇われている一般の方が座っていることが多いなとも感じました。
まぁいずれにせよ窓口に座っている以上はお寺の顔なわけですから、応対などその辺りについてはしっかりと指導しておく必要があるのではと思います。
お参りする側としては、あくまでもご本尊様を拝ませていただくんだというお気持ちで、それ以外は無心に、腹が立っときには
「む、今観音様が私を試されているな・・・その手は食わん。」
くらいに私は考えてお参りするようにしております。
申し訳ございません
本当に申す訳が無いということです。納経所は元々有り難いお経を納めて下さった方々に、そのお印として御朱印を押していた所です。お参りしてくださった方々へのフロント(顔)だと考えます。お参りして下さった方々は、本尊様に会いに来てくださった、拝みに来てくださった、めったにない、有ること難い、つまり、有り難い参拝者さまであり、御本尊様の大事なお客様です。故に、その者の至らない態度は、参拝者様に対してと本尊様に対しての至らなさとなります。
人間ですから、また特別の状況もあるでしょうから、忙しさ等で雑になるようなことがあるかもしれませんが、そんな場合は参拝人の方々も、まあ仕方がないと思ってくださるかもしれません。しかしながら、和顔愛語は忙しくても出来ます。マクドナルドもスマイルは0円でしてくれるのですから。。。比較は間違っているかもしれませんが、先ず、人として、和顔愛語は大事です。今回のご意見、我々仏様のお陰の下で奉職している者にとって一時も忘れてはならないことだと思っております。どうか、その者は許すことが出来なくても、本尊様を嫌いにならないで下さい。恐らくは、いずれその者も学ぶはずです。そう願っておりますし、そうであるべきです。私自身の戒めにもしたいと思っています。有難う御座いました。
質問者からのお礼
渡部様ありがとうございましたm(__)m
まさに「私が好きでご本尊様拝ませて頂いてるんだから無心、無心。人としての品を学ばさせてもらってるのよ!」と思うようにしておりました(笑)
心を整える為にお寺参りしているのにモヤモヤしてたら意味がないですよね。
観音様の試練と思えば楽しいですね〜(^^)
卓阿様ありがとうございましたm(__)m
「和顔愛語」は大好きなお言葉です。
お寺も仏教も大好きですし尊敬するお坊さまもいます。
これからは感じの悪いお寺さんにこそ和顔愛語を振りまいて真摯にお参する事に致します(^^)
いつかご縁がありましたらお二方のお寺にお参りさせて下さいませ。
スペシャルな御朱印が頂けると信じております!