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親の法事に参列できないかもしれない不安

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兄がお墓を継いでいます。

父の年忌法要が近づいているのですが、私にも親戚にも何の連絡もありません。電話をしてみましたが着信拒否されていて話すこともできません。
私も親戚もこのまま法要に参列することはあきらめるしかないのでしょうか?

法事法要は祭祀継承者から案内のない者は参列できないものなのでしょうか?

(兄の了解を得ず)お寺に直接日時を確認するのは不躾ですか?知り得た日時で突然参列するのは失礼でしょうか?

参列が叶わないとして、法要当日に遠方より想うことが参列できない者としての供養でしょうか?もしくは個人的にお寺を訪問しお経をいただくのが供養でしょうか?先祖代々の仏様には毎日手を合わせ普段より想いを寄せています。

なにとぞご指南をよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天にある月は誰のものでもない

その手の相談事はお寺に寄せられることがあります。
ですから一家の祖霊の名付け親でもある菩提寺さんに連絡して、よきお取り計らいをしてもらうことです。法事の参列は問題ないです。
最悪の状態として、兄弟で別々に法事をなさる方もいますが、対話をする機会でもあります。
兄弟間の結婚、親の死後の遺産相続モメなどで親族の関係が疎遠・不和になってしまうケースは少なくありません。
ですが、適切な表現ではありませんが「亡き人は誰のものでもありません」。
お墓を守っていくのが限られた人であるとしても、供養の心は平等です。
天にある月は万人を照らしますが、誰のものでもないように、取り合うこと自体がおかしなこと、自然の法則(仏法)に逆らうことが我見なのです。
兄弟間で親の遺骨、お墓、法事を取り合うことほど親泣かせな嘆かわしいことはありません。
ですが、この問題は単に、長男が兄弟、親族を巻き込みたくないという❝社会性の欠如❞に問題があると思います。過去に問題があったこととおもいますが、それはそれとして、供養は供養。
人間の学びは何歳になっても続きます。
たとえば7、80代でいまだに暴力的な人や差別的な人は沢山います。
そういう人たちは、そのままでのさばらせておいていいのかと言えば、年齢が上だったら何でもいいということではありません。
互いの人間性の回復の為にも、互いの人間性の向上の為にも何としても、コミュニケーション能力を最大限に引き出して法事に参列し、お兄さんが今進んでいこうとしている道は社会的にも外れた、人の道に外れた行為であるという事を、何らかの形で気づいてもらうべきであると感じます。
これ以上もめるのは嫌でしょうが、メインは兄弟間の対話を❝深く❞することとするのです。
ただ、このご質問もあなたサイドで答えていますが、あなたにも非はあるとも思っています。
ただでさえ日頃会話が無いのでしょうから、相手の壁を乗り越えてでも神仏の御前、無き親御さんの御前で私的感情や私見の無い対話をなさるべきです。
「誰がも自分は正しいと思っている。」
この言葉を聞いて「ああ、兄は本当に自分が正しい」と思ってしまったらあなたもも自分に目を向けていないのです。他者(兄)が非は他者の非。それはそれとして自らが非は自ら向き合うべきです。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

親御さんのご法事をされるお寺さんにご相談を

文面だけでは解らない事も多いのですが、
今あなたが親御さんのご法事で悩んでいる事をすっかりと そのお寺さんに相談されてみてはいかがでしょうか?

もしかしてお兄様は法事の申し込み等をしておられない可能性もあるかもしれません。

お兄様が着信拒否というのもおだやかではありませんが、何か事情が解るかもしれません。
もしかしたら、何かお兄様のご家庭で怒っている可能性もあるやも知れませんし、
もし、単に親族と上手く行っていないなどの理由でしたら、やはりそれは
菩提寺のご住職にご相談するのが一番かと思います。

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おきもち


仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。自身は参列したいと希望は持っているものの、それを権利のように主張してよいのか、兄がそういう考えであるならそれを受け入れるべきなのか悩んでいました。参列してよいとするなら、どういう方法をとればよいか、参列できないとすればどう気持ちを整理すればよいか悩んでいました。まず菩提寺に確認してよしというご意見により一歩を踏み出してみようと思います。ありがとうございました。

更なる回答をいただきありがとうございます。かみしめながら拝読しております。お察しの通り未解決の諸問題を抱えており、今回この様となった次第です。

思い切って菩提寺に相談してみましたところ、まだ法要の日時の予約が無く、お寺様も気にしておられた所で、あわせてお取りなししていただける事になりました。

「法事・法要・49日」問答一覧

先延ばしになる母の海洋葬、一周忌

去年の春に大好きな母がガンで亡くなりました。数少ない母の遺言は死んだら海洋葬にして欲しいということです(母は海の近くの生まれでした)。 実家の近くに海はなく、コロナもあるためネットで海洋葬をしてくれる所を探しました。しかし父に提案しても「まだいいよ」「コロナが落ち着くまで待とう」の一点張り。一周忌にしても、今年から私が関西に転勤になり、コロナもあって帰れないが父と姉で一周忌をして欲しいと言っても父は「家族3人そろってやろう」「コロナがもう少し落ち着かないと、歳をとっている住職に頼むのは申し訳ない」と言って何も出来ませんでした。そして今度のゴールデンウィークは私が帰省できるので今度こそ一周忌をやろうと言ったのに、「お姉ちゃんの仕事が忙しくて唯一の休みの日も半日は仕事。休ませてやろう」「また次に3人揃った時にやろう」と。今度私が帰省できるのは早くても8月のお盆です。 葬送も一周忌も、所詮は私の自己満足だということは分かっているんです。何も出来なくても心から祈ればいいとは思います。でも母の遺言である海洋葬も出来ず、一周忌さえ先延ばし。このことに対して、というよりそれでよしとする父にどうしようもない憤りを感じてしまうんです。海洋葬に関しては、お骨を海に撒いてしまうという、母の形を成していたものをお墓として一つの場所に納めるのとは違うことに、躊躇いやどうしようもない寂しさを私も感じてはいるので、父もまだ踏ん切りがつかないのかなと思うところはあります。 しかしせめて一周忌はちゃんとやりたいと思うのです。私と父の2人でお寺に行ってお経をあげてもらうのはだめなのかと聞いても、やはり「3人揃ってやろう」と言うのです。 こんなことにこだわって父に怒りを覚えるのは、母が生きている時も亡くなった後も、私自身が母に対して母のためになるようなことをろくにしてこなかったから、今更後ろめたく思って躍起になっているのかなとも思います。 頭ではそう思っても、父に対する憤りがどうしようもなくわいてきてしまいます。この感情を静めたいです。どうしたらいいのでしょうか。

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一回忌について(一周忌)

父が亡くなってもうすぐ一周忌ですが多分呼ばれません。葬式にも呼ばれていないんです。死んでから一か月ぐらい経ってからの連絡でした。死に目にも会えていない。離婚した子はなかったことにしたいのですか。再婚家庭の考えが私にはわかりません。人間に見えません。日本の家意識とは何ですか。家を守るためならば実の我が子でさえも非情に切り捨てるようなそんなに冷たい人間たちが素晴らしい家を守ろうと言っているのでしょうか。人をないがしろにして守り上げていくその家に価値はありますか。海外の人の離婚再婚と日本人の離婚再婚は違うような気が致します。子供をないがしろにしてきた家は滅亡すると私は思います。 私が前妻の子だからですか。家族は離婚したら家族ではなくなりますか。 私も父の娘なのに仏壇も家にないし分骨もしてくれないし私は一体何なのかとさえ思います。父は四歳の私を捨てて女性と再婚をしています。離婚と再婚は確実に子供の心を殺します。大人たちはそれに気づきません。わかっています。何度も質問しましたし終わったことなのはもう、わかっています。でも四歳の私は泣いています。自分が悔しいです。再婚相手も憎いです。 日本には共同親権がないのです。私は共同親権をすることの本当の意味は男女に離婚しても子供の親であることをもう一度ちゃんと自覚させるための教えだと思っています。日本の男性の思考は離婚すれば独身に戻り新しい女とやり直せると言う思考が多いと思います。女性に比べればそれは明らかに顕著でした。何故ですか。何故なんですか。離婚しても幸せになれる権利はあります。私はこの言葉が嫌いです。一体どの口がそれを言うのかとさえ思います。子供のことをなかったことにしたい人と子供のことを見ない人がそれを言うのです。 離婚しても幸せになりたいから再婚をします。それは誰のために。自分のために。子供を見なかったことにして自分のために。激しく怒りを覚えました。私は一度家庭を壊した人間がもう一度家庭を作り直すことに疑問を持ちます。 再婚すれば子供の心が死にます。実際私の心は今も死んでいます。枯れています。花はもう、咲きません。枯れています。私は何のために生きているのか、私は何のために生まれてきたのか、わかりません。父と母の子で三人で仲良く暮らしたかった。ただただ、それだけなんです。

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