hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
家から匿名・オンラインでお坊さんと話せる!hasunohaオンライン個別相談
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

因果応報

回答数回答 3
有り難し有り難し 101

いつもありがとうございます。
独身時代、不倫を繰り返していた友人についてです。私は不倫肯定派ではありません。

1人は歳の離れた上司と不倫をして仕事で重要な役職になり若くして出世しました。勿論彼女は賢く仕事の能力も高いです。「不倫の何がいけないの、そんな男と結婚した嫁が悪い」と言う強気な女性です。

もう1人は寂しさから複数人との不倫をし、そのうちの1人に独身の男性を紹介され、結婚しました。旦那様は紹介者との不倫関係は知りません。結婚してからも会ってる男性はいるようです。

二人共、大手企業の真面目な男性と適齢期に結婚しました。不倫をしてなければ得ることの出来なかった幸せを掴んでいます。友人の幸せは喜ばしい事ですが、旦那様を不憫に思う気持ちと真面目に恋愛しても実らない自分と比較したり、複雑な心境です。
性格は違いますが、私の目から見て彼女達は家柄も美貌も人柄も優れています。悪い行(不倫)以上に人徳があるからの結果なのでしょうか?
人は平等ではない事は理解しています。不倫は悪い行いと信じ、彼女達の行く末を心配しておりましたが、それを経て幸せになった女性を身近で見て事業自得や因果応報との言葉にも疑問を感じています。ハスノハでも不倫に悩み苦しんでる質問を多く見受けますが、彼女達と何が違うのでしょうか。もし今後違う形で不運に合っても、それをプラスに変える力があるようにも思います。
因果応報に対してお坊さんのご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

三時の業報(さんじのごうぽう)。

因果応報とは、原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。と言う意味ですが勘違いしやすいのが一人の一生の中の因果関係と思いがちですがその限りでは無いのです。
三時の報いと言う言葉はご存知でしょうか。曹洞宗の修証義の中にあります。

善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり、
善行、悪行の報いについては、その報いを受ける時から言って、三種あります。
一つには順現報受(じゅんげんほうじゅ)、
善悪の報いを今生きる時に受けます。

二つには順次生受(じゅんじしょうじゅ)
現在受けなくとも善悪の報いを次に生まれは時に受けます。

三つには順後次受(じゅんごじじゅ)
順次で受けなくても善悪の報いを次の次で受けます。

何であの人には罰が当たらないのか?何で私は何にも悪い行いはしてないのにこんな目に合うのか?が此の世なんですがそこには三時の報いがあるからです。

人はこの世(色)だけで終わりでなく死んだらあの世(空)で生まれまたこの世に生まれるとされておりこれが「色即是空」「空即是色」の事です。

そのお友達は今生きて居る貴女には感じる事は出来ないかもしれませんが何れ必ず因果応報は来る事になるでしょう。

これからは安心してもうお友達の事は気にせず貴方は貴方の信じた道、真実の道、即ち仏の道、を歩いて下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


因→果、ではなく果→因で見る

nana様はじめまして。ご相談拝見しました。
因果応報とは単純にこうすればこうなる、悪い行いをすれば悪い結果が生まれるということではないのだと思います。

仏教では果から因を見つめます。正に今このような結果が生まれているのは、たどってみるとあれが因だったのだ、ということです。
我々が良いと思う事(因)をしたから、これから先に必ず良い結果が生まれるであろうというものではありません。その間に生じる様々な縁(条件)によって果は如何様にも変わるものです。しかし果から見ると必ずやそこには因があるのです。

不倫の末に結婚という幸せを実力で掴んだように見えるご友人も、結婚という果から見ればその因は不倫であったかもしれませんが、不倫をしたから結婚できたわけではなく、ばれなかったという縁をはじめいくつもの条件がたまたまととのって今現在という果に至っているのではないでしょうか。自分で思い通りに全ての事を運べたわけではありません。
不倫をしたから結婚できたのではなく(因→果)、結婚した今から見れば不倫にはじまっていたのだ(果→因)ということです。

つまり、果から見ると必ず、果は因に応じた報いですが、因から見ると必ずしも因に応じて果が報われるということは言い切れません。
我々にできるのは、望む果に向けて因を作り、できるかぎり縁をととのえていくことなのでしょう。しかし、最終的にはお陰様の世界でありますのでどうなるのかはご縁次第なのではないでしょうか。

さて、順風満帆に見えるご友人も果たして本当にそうでしょうか、いつばれやしないかという不安に苦しむこともあるのではないでしょうか。苦しんでいるという今(果)からみれば、その因は不倫であったということも十分に考えられるわけでございます。
悩みのない人間などいないと思いますよ。諸行無常です、今悩みがなさそうであってもこの先ずっとそうであるかはわかりません。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

真なる幸せは・・

nana様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間世俗的な世界における「幸せ」は、本当の「幸せ」でないと仏教では考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を勧めることになります。

無明・煩悩・悪業による結果は、過去世や現世における無数の因縁(原因と条件)も複雑に絡んでくるため、その「不倫」の結果が、即座に「これ」として出る、分かるものではないのですが、確実に業・カルマとしては相続していくことになるため、しっかりと、慚愧・懺悔した上で善業に取り組むか、あるいは、確かなる仏道に精進するかしない限りは、いずれにしても輪廻で迷い苦しむことになってしまうとお考え下さい。

世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の中では、真なる「幸せ」はなく、仏教の目指すべき真なる「幸せ」としての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、これを機縁として頂きまして、仏教に関心をより強く持って頂きまして、誠実に日々をお過ごし頂きながら、仏法も学び修されていかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


質問者からのお礼

回答頂きありがとうございます。
モヤモヤした気持ちや自分の中の嫌な感情を感じています。自分は出来る限り正しい道を自分の信じれる道を歩みたいと思います。大切な友達には変わりないのでありのままを受け入れ幸せを願い、自分の中に抱く感情と向き合っていきます。
いろんな質疑応答を拝見させて頂き、人生とは、幸せとは、皆さん様々な視点で悩み生きていますね。仏教を学び教えて頂ける事に心より感謝致します。全ての方の幸せを祈り、精進していきます。

「因果応報」問答一覧

因果応報の手前勝手な解釈が蔓延った理由

結果には原因があり、それは等しく誰にでもあるものですが、巷にはあれだけ悪いことをしたのだから、因果応報であいつは不幸になるよと言う嘘がまかり通っています。 元々自分を高めるための思想であった、因果応報が相手に不幸が訪れることを望むような因果応報に何と言うか劣化しています。 物事すべては原因があって結果がある。 その程度の意味であるはずの因果応報が、いつの間にか善行や悪行と言った、その時代にあった、変化のある価値観に毒されるとこで本来の意味を失っている気がします。 絶対善や絶対悪が無い中、意味のない独りよがりの善行に縛られ、生きることに本来の因果応報はないのではないかと考えています。やったことの責任や、今の状態に対する責任は自分でとれよと言う程度だとの認識です。 悪行を重ねようとも、幸せな人間はたくさんいますし、善行を重ねようが不幸な人間はたくさんいます。結局のところそれが身の丈にあった選択であったかと言うことに尽きます。心の持ちよう一つです。 誰かを助けて食うに困りそれが不幸だと思えば不幸ですし、誰かを騙し、殺し、奪いしてもそれで幸せだと感じる気持ちがあれば、幸せです。 自分を気持ち的に制御するのは自分。 なので因果応報の意味がああ恣意的に解釈されるようになった理由が非常に不思議です。 因果応報で相手が不幸になる的な、本当になんの論理性もない風説が流布された理由をご存知の方がいたら教えてください。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

因果応報でしょうか。

こんばんは。お忙しい中お目を通していただき有り難う御座います。 自分の気持ちが分からず何度か質問をし消し、を繰り返してしまいました。見てくださったお坊さんがいらっしゃいましたら申し訳ありません。 ひとつ悩みを聞いていただけたらと思います。 もうすぐ30歳になる私ですが、幼少期なんの苦労もせずに生きてきました。それなり悩むこともありましたが今となっては笑い話です。 特に両親に恵まれておりました。両親が亡くなったら私も死のうと思っていたくらい両親が私の生きる意味でした。 しかし今年初めて両親よりも大切な人ができその人が寂しくないように長生きしようと生きる意味ができました。死後もその人と一緒にいたいと思える人です。すごくすごく素敵な人です。 その素敵な人の横にいて初めて今まで犯してきた罪がわかるようになりました。 私は家族や周囲の人に甘えすぎていました。犯罪になる罪も数え切れないほど犯してきました。そのことを振り返ると心が痛くて、いつか捕まるのではないかと不安にもなり、今後どんな因果応報が待っているのか怖くて消えたくなります。 しかし両親や彼は私が消えることは望んでいませんので、両親や彼が天寿を全うするまで両親や彼を私が幸せにすることが今、彼らにできる恩返しだと思っています。 また、振り返った際の心の痛みや、死後は彼らと一緒にいられないという辛さ等は私が受けるべき地獄だと思って受け止めながら生きていきます。 そして、今この地獄を受け止め、懺悔し、私にできる善を探し行っていくことで未来は変えられるのではないかと前向きに生きていきたいと考えていますが、犯罪者が前向きな考えを持つこともおこがましいことでしょうか? また、30歳にしてこんな当たり前のことに気付いてもやり直しはきかないのでしょうか?いまさら懺悔をしても過去傷つけてしまった人たちにはなにも届かないのでしょうか? 乱文失礼しました。 お時間のあるときにお返事をいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

神様はどっちの味方?

以前に夫と不倫相手の縁切りを願い、有名な縁切神社へ行かせてもらい、夫と不倫相手の縁切、そして私たち家族の縁を結び、不倫相手には夫ではなく、別の男性と縁を結んでくださいと祈願しました。 そして、先日、ここで相談させてもらった時、夫と離婚をした方がいいと言われ、私が夫の悪縁で切れるべき縁は私の方だったのかなと思いました。 縁切神社では、他の人ですが、不倫相手の方が妻との離婚を祈願し、慰謝料を払わず、彼と奥さんが別れ、私と彼が再婚出来ますようにと書かれているお札を見てしまいました。その時ふと神様はどちらの願い事を叶えるのかな?と思いました。 夫の態度は日増しに悪くなり、とにかく機嫌が悪く、今度不倫相手の誕生日があるのですが、連休で休みを取っています。その誕生日の3日後は息子の誕生日ですが、もちろん仕事です。 慰謝料や養育費をもらって、離婚した方がスッキリするのは、すごくわかっているんですが、夫もお金がないし、不倫相手もまだ21歳、慰謝料を払ってくれるとは思えません。泣き寝入りだけはしたくありませんが、結局泣くのは、私や子どもたちなのかと思います。 縁切神社で見た、あのお札が頭から離れず、神様はどっちの願い事を叶えるのかな?と気になっています。そして、不倫をし、親や妻、子どもたちを泣かせているのに、夫と不倫相手は幸せになるんでしょうか?因果応報はあるんでしょうか? 私はこんなに酷いことされるような悪い事はしてないと思っています。が、今私に起きている事も因果応報なのでしょうか?

有り難し有り難し 36
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る