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因果応報

回答数回答 3
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いつもありがとうございます。
独身時代、不倫を繰り返していた友人についてです。私は不倫肯定派ではありません。

1人は歳の離れた上司と不倫をして仕事で重要な役職になり若くして出世しました。勿論彼女は賢く仕事の能力も高いです。「不倫の何がいけないの、そんな男と結婚した嫁が悪い」と言う強気な女性です。

もう1人は寂しさから複数人との不倫をし、そのうちの1人に独身の男性を紹介され、結婚しました。旦那様は紹介者との不倫関係は知りません。結婚してからも会ってる男性はいるようです。

二人共、大手企業の真面目な男性と適齢期に結婚しました。不倫をしてなければ得ることの出来なかった幸せを掴んでいます。友人の幸せは喜ばしい事ですが、旦那様を不憫に思う気持ちと真面目に恋愛しても実らない自分と比較したり、複雑な心境です。
性格は違いますが、私の目から見て彼女達は家柄も美貌も人柄も優れています。悪い行(不倫)以上に人徳があるからの結果なのでしょうか?
人は平等ではない事は理解しています。不倫は悪い行いと信じ、彼女達の行く末を心配しておりましたが、それを経て幸せになった女性を身近で見て事業自得や因果応報との言葉にも疑問を感じています。ハスノハでも不倫に悩み苦しんでる質問を多く見受けますが、彼女達と何が違うのでしょうか。もし今後違う形で不運に合っても、それをプラスに変える力があるようにも思います。
因果応報に対してお坊さんのご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

三時の業報(さんじのごうぽう)。

因果応報とは、原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。と言う意味ですが勘違いしやすいのが一人の一生の中の因果関係と思いがちですがその限りでは無いのです。
三時の報いと言う言葉はご存知でしょうか。曹洞宗の修証義の中にあります。

善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり、
善行、悪行の報いについては、その報いを受ける時から言って、三種あります。
一つには順現報受(じゅんげんほうじゅ)、
善悪の報いを今生きる時に受けます。

二つには順次生受(じゅんじしょうじゅ)
現在受けなくとも善悪の報いを次に生まれは時に受けます。

三つには順後次受(じゅんごじじゅ)
順次で受けなくても善悪の報いを次の次で受けます。

何であの人には罰が当たらないのか?何で私は何にも悪い行いはしてないのにこんな目に合うのか?が此の世なんですがそこには三時の報いがあるからです。

人はこの世(色)だけで終わりでなく死んだらあの世(空)で生まれまたこの世に生まれるとされておりこれが「色即是空」「空即是色」の事です。

そのお友達は今生きて居る貴女には感じる事は出来ないかもしれませんが何れ必ず因果応報は来る事になるでしょう。

これからは安心してもうお友達の事は気にせず貴方は貴方の信じた道、真実の道、即ち仏の道、を歩いて下さい。

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因→果、ではなく果→因で見る

nana様はじめまして。ご相談拝見しました。
因果応報とは単純にこうすればこうなる、悪い行いをすれば悪い結果が生まれるということではないのだと思います。

仏教では果から因を見つめます。正に今このような結果が生まれているのは、たどってみるとあれが因だったのだ、ということです。
我々が良いと思う事(因)をしたから、これから先に必ず良い結果が生まれるであろうというものではありません。その間に生じる様々な縁(条件)によって果は如何様にも変わるものです。しかし果から見ると必ずやそこには因があるのです。

不倫の末に結婚という幸せを実力で掴んだように見えるご友人も、結婚という果から見ればその因は不倫であったかもしれませんが、不倫をしたから結婚できたわけではなく、ばれなかったという縁をはじめいくつもの条件がたまたまととのって今現在という果に至っているのではないでしょうか。自分で思い通りに全ての事を運べたわけではありません。
不倫をしたから結婚できたのではなく(因→果)、結婚した今から見れば不倫にはじまっていたのだ(果→因)ということです。

つまり、果から見ると必ず、果は因に応じた報いですが、因から見ると必ずしも因に応じて果が報われるということは言い切れません。
我々にできるのは、望む果に向けて因を作り、できるかぎり縁をととのえていくことなのでしょう。しかし、最終的にはお陰様の世界でありますのでどうなるのかはご縁次第なのではないでしょうか。

さて、順風満帆に見えるご友人も果たして本当にそうでしょうか、いつばれやしないかという不安に苦しむこともあるのではないでしょうか。苦しんでいるという今(果)からみれば、その因は不倫であったということも十分に考えられるわけでございます。
悩みのない人間などいないと思いますよ。諸行無常です、今悩みがなさそうであってもこの先ずっとそうであるかはわかりません。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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真なる幸せは・・

nana様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間世俗的な世界における「幸せ」は、本当の「幸せ」でないと仏教では考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を勧めることになります。

無明・煩悩・悪業による結果は、過去世や現世における無数の因縁(原因と条件)も複雑に絡んでくるため、その「不倫」の結果が、即座に「これ」として出る、分かるものではないのですが、確実に業・カルマとしては相続していくことになるため、しっかりと、慚愧・懺悔した上で善業に取り組むか、あるいは、確かなる仏道に精進するかしない限りは、いずれにしても輪廻で迷い苦しむことになってしまうとお考え下さい。

世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の中では、真なる「幸せ」はなく、仏教の目指すべき真なる「幸せ」としての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、これを機縁として頂きまして、仏教に関心をより強く持って頂きまして、誠実に日々をお過ごし頂きながら、仏法も学び修されていかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

回答頂きありがとうございます。
モヤモヤした気持ちや自分の中の嫌な感情を感じています。自分は出来る限り正しい道を自分の信じれる道を歩みたいと思います。大切な友達には変わりないのでありのままを受け入れ幸せを願い、自分の中に抱く感情と向き合っていきます。
いろんな質疑応答を拝見させて頂き、人生とは、幸せとは、皆さん様々な視点で悩み生きていますね。仏教を学び教えて頂ける事に心より感謝致します。全ての方の幸せを祈り、精進していきます。

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