hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

御礼の仕方

回答数回答 2
有り難し有り難し 7

今の生活において、悩みや苦しみがまったくないわけでもなく、
体のあちこちに不調があり、贅沢ができるわけでもありません。
それでも、日々の衣食住に事欠くことなく、働くこともできてきます。
それは、家族や周りの方々の援助、今まで出会ってきた方々のお蔭様と、
最近、しみじみと感じ入る瞬間が多くなってきました。

それと同時に、何故だか、今までかわいがってきた犬や猫、鳥などのことが
ふわっと心に浮かぶことが多くなりました。
本当に彼らには、辛かったときには慰められ、楽しい時間をもらってきました。
温かな手触り、優しい眼差し、ただただそっと寄り添ってくれていた時間。
今ではそのすべてを看取り、思い出だけが胸の中にあります。

彼らの死後、実家の庭先に埋葬し、お線香など上げていましたが、
残念ながらその実家も引き払ってしまい、今はありません。
このような場合、かわいがっていた動物への感謝の気持ちは、どのように表したらよいでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

犬猫鳥も精神衛生上 お位牌 お墓の時代 

ペット用のお位牌を買われては如何でしょうか?
費用はお位牌と開眼供養で合計で1~2年間の餌代だと思ってください。
今までお世話になったのですからそのくらいしてあげては?
以下は、参考までに。読まなくてもいいです。
人間の場合にはそこのお墓の土を新しお墓に移す、遷位ということを致します。
今は新しい家も立っているかもしれませんので難しいと思います。
ちょっと深い話をいたしますと、勿論そこのお墓や土に霊魂が宿っているか、と言えば❝外的❞にはそうではありません。ですが、内的にはお骨やお墓に魂を見だし、拝む対象として祀っていくのががわれわれ日本人の昔からの王道的な宗教的なやすらいの❝和❞の精神です。
(現代ではそれが薄れているために人の心が乱れている)
だから我々人間は、同じ自然界に存在する霊的存在である樹木や鉱物を、位牌や墓石として長く供養してきたのです。それは深い意味では精神衛生のためでもあります。(ヒソヒソ…していない人は他の存在との関係が壊れていると思いませんか?)
霊魂はあるのか?と言えばあります。あるというより❝起こる❞ものです。
どういうことかというと、生命に対する沸き起こる内なる思いをこそ、そもそも霊魂というからです。←ここ重要
さらに深い話をすれば、内なる他の生命を思い遣る精神を無いがしろにするということは、同じ生命である自分自身をも間接的に自己否定することにもつながります。
ちなみに新しくしたためた位牌、墓石(樹木・鉱石)では、まだ、ただ自然から失敬してきただけの状態。
そこにアーティストである職人さんのデザインが込められ、さらに第三者であり、私的な感情を差し挟まない宗教者を司祭として開眼供養を行うのです。(伐採した木の精霊や神様
供養や厄払いも兼ねている)
最近はお墓を維持するのが面倒だとかお金がもったいないとかで私的な散骨等が流行ってますが、怪しからん事でしゅ!これからどんどん人の心は荒廃していくことであろうと思います。
散骨はクルーザー代だとか定期参りとかで年間維持費以上の交通費もかかるところがあります。
あれ?なんだか、供養のお話しになってしまいましたね。
費用をかけたくなければそれを思い出す写真や、置物を購入されてお手合わせをされてはいかがでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話 あけましておめでとうございます。 新しい年を迎えました...
このお坊さんを応援する

馬頭観音さまをお参りください

日々の生活に感謝を観じるのは、とても素晴らしいと思います。

馬頭観音さまが、そういった動物達への感謝の思いを取り次いで下さいます。

馬頭観音さまをお祀りされているお寺を調べてお参りなさって今までペットとして身近にいてくれた動物達への感謝をお伝えしてはいかがでしょうか?

ペットに感謝するのはとても素敵なのですが、馬頭観音さまにもう後はお願いする方が良いと思います。

ペットをいつまでも動物として扱ってしまう事になるので、あまり後々まで引きづらない方が良いように私は思います。
これは老僧などからも聞く話しですが、動物としてあなたがずっと思っている事で、もしかしたら人に生まれ変われないのではと思います。

きっと馬頭観音さまがあなたがペットとして飼っておられた動物の素晴らしい後生をお導きくださると思います。

ペット達が生きている間あなたに寄り添ってあなたを助けてくれた事に感謝して、あなたはさらにご自分を充実させるべくご精進くださればと思います。
おそらくペット達もそれを一番望んでいると思いますので、一番の供養になるかもしれませんね。

{{count}}
有り難し
おきもち


仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

悟東あすか様
お忙しい中、早々にお気持ちとご回答をお寄せいただき、ありがとうございました。
馬頭観音さま、早速調べてみました。
昔の人は、この観音さまに旅路で倒れた馬たちの後生を願い、手を合わせてきたのですね。
草木国土悉皆成仏とはいえ、このような観音様がいらっしゃり、
ペットたちの後生お委ねできますことがわかり、ぽっと心温かくなりました。
この先、日々自分を大事に生活することはもちろんですが、
機会ありましたら、馬頭観音さまにお取り次ぎを願い、お参りしたく存じます。
ありがとうございました。

丹下覚元様
お忙しい中、お気持ちとたくさんのお言葉をありがとうございます。
拝読していて、「亡骸はすでに土に還り、御霊も彼岸に渡っていることと十分理解していながら、
なぜ自分は今、気になってしまっていたのだろう」と考えました。
おそらく自分たちが実家の土地を手放すことで、
その地に「ペットの御霊を残していってしまうのでは」という感覚になっていたのだと思い至りました。
まずは静かに手を合わせたいと存じます。
ありがとうございました。

「動物・ペットについて」問答一覧

病気の愛犬への後悔

初めまして。 私は実家で6歳になったばかりのゴールデンレトリバーを飼っています。 その愛犬が去年の9月に癌になってしまいました。 担当してくださっている先生のお陰もあり、愛犬は一年以上たった今も頑張ってくれていますが、ここ最近弱ってきているなと感じます。 愛犬ががんを宣告されてから今まで、違うお家の子になっていればストレスなくもっと幸せで健康に過ごせたのではないか。愛犬が病気になったのは自分のせいだとずっと考えています。 愛犬がうちに来たのは私が高校生になるころで、高校生の頃は頻繁に親と言い合いをしていました。そのたびに愛犬が吠えて止めに入り、ヒートアップした私が「うるさい!」と怒鳴ったり、言うことを聞かないとすごい剣幕で怒ったり、私が上京する際は引っ越しや進学の準備などで丸一日家を空ける日が多くあったりと、たくさんストレスを与え我慢させてしまったと後悔しています。 私さえちゃんとしていれば愛犬は病気になっていなかったかもしれない。 今までの後悔や、愛犬がいなくなってしまう日を想像しては眠れなくなり、「悪いことばかり考えていては悪い運を引き寄せてしまう」と無理矢理考えないようにしています。ですがこれは愛犬への罪悪感から逃れようとしているズルい奴なのではないかとも思います。 愛犬は6歳で、ゴールデンレトリバーの平均寿命のまだ半分ほどの年齢です 。 愛犬には本当に悪いことをしたと後悔してもしきれないですし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。こんなに愛犬のことが大好きなのにかわいそうなことをしました。私のせいでたった一度の一生を良いものにできなかったかもしれない。 そう思うといたたまれません。 愛犬は私たちに楽しい思い出をたくさん作ってくれたのに、私は愛犬に何もしてあげられていません。愛犬用のお守りを買ったりストレスなく過ごせるように心掛けたりしても全て罪滅ぼしをしているようで、なんで最初からもっと愛犬のことを考えてあげられなかったんだろうと後悔が絶えません。 乱文になってしまい申し訳ありません。 慰めてもらいたいわけではなく、後悔と罪悪感に押しつぶされそうだったのですが、同情してもらったり暗い雰囲気になるのが辛く誰にも気持ちを吐き出せず、こちらでお話を聞いてもらおうと書かせていただきました。 お忙しい中、最後まで読んでいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

生き物殺してしまった

始めて相談させていただきます。 私は、小学低学年頃だと思います。 猫を殺してしまったんです。 小猫です。自分と遊んでいたときです。人間と猫ましてや小猫、身体の大きさから違うのに自分と同じくらいの人だとでとも思ってたんでしょうか、今でもその時を鮮明に思い出すときがあり、すごくなんていうのかぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになって泣きながら後悔します。 他にも、祖母が猫が増えるのを嫌って産まれたばかりの赤ちゃん猫を母と一緒に捨てにいくことが何度もありました。 何もできずに家にいた猫を抱えながら赤ちゃん猫の声を聞きました。呆れることですが半ば諦めもあったと思います。救えなかった、最初に書いた事もですが、生き物を飼う、世話することへの責任を持てていなかったと苦しい気持ちでいっぱいになります。 一ヶ月程前に、家の猫が育児放棄してしまった赤ちゃん猫を頑張って面倒をみることがありました。しかし、小猫はみんな死んでしまい、そのことで自分が悪いと、もう少しちゃんと面倒をみていたら…と何度も泣きました。 そのことを心理的なカウンセラーの方に聞いてもらい、家の仏壇でお参りすることを習慣にするようになり、その時、先の書いたことで「ちゃんと面倒見てあげれなくて、責任をとってあげれなくてごめんね。無事成仏してくれますように、少しだけど一緒に生きてくれてありがとう。」とお参りすると、少しぐちゃぐちゃした辛い気持ちが楽になるように感じます。(こんなこと自己満足にすぎないと思いますが)。 猫ちゃん以外にも、たくさん虫、きちんと飼えなかった金魚などの私が命を奪った生き物たちに許してもらえるとは思いません。 けれど、今ここまで生きてきて大きな怪我、病気などしなかったのはハスノハで他の方への、回答で見た見守っていてくれているという事なんでしょうか。 ただ、罰があるなら私が受けます。と思いながら仏壇でお参りするのは良くないんでしょうか。  長々すみません。誰にも言えなかった事を吐き出してしまいました。今も泣きながら文字を打ちました。 我儘だとは思いますが、怒られるのはとても怖いです。  私の相談を見たというだけでも返信いただければそれでも嬉しいです。ありがとうございました。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

動物のご遺体。気持ちの切り替えについて

いつもあたたかいご回答の数々を拝読させていただいております。 今朝、通勤途中の車で、交通量の多い道路を走行中に、既に轢かれてお亡くなりになっている動物(多分猫さん)のご遺体を誤って踏んでしまいました。 車社会の上に田舎なので色々な動物が道路に横たわっているのをちょくちょく見ますし、いつもであればタイヤの間を通すとか、何とか避けるように努めています。 でも今日に限っては亡くなっている場所や対向車の存在や通勤途中の車の流れもあり、車を止めることも行政への報告もできずに、踏む直前に気が付いてビックリして「ごめんね!!?」と叫んだまま、そのまま出勤してしまいました。 ハスノハさんに投稿をしている身ですが、私自身はそれほどスピリチュアルな世界観?というものを本気にしてしまう性分ではなく、都合のいいことを言われれば信じるし、都合の悪いことを言われればなかったことにしてしまう性格です。 今回のことも、動物さんには悪いですが、「そんなところで亡くなってしまっているから、後続車が避けてしまったほうが危ないし、そもそも私が轢いて殺してしまったわけじゃない」という風に思ってしまい、そこまで自責の念にやられているわけではないです。 ただ、タイヤに塩を撒いてみても、なんとなく気が晴れません。轢いた人が悪いといえば、飛び出してきた側はきっと車に恐怖を抱く文化がないでしょうし、飛び出してきた側が悪いといえば人間様なんだから何とか止まれなかったのかといえなくもないし、というか私も避ければよかったわけで、誰もが悪い=誰も悪くないので、逆に誰のせいにもできないというか……。 あまり気持ちを引きずるのも良くないと思いますし、なんとか気持ちを切り替える方法を探しています。 これから車に乗り続ける年月はもっとずっと長いと思うので、同じようなことはきっと起こりうると思います。今のうちに、こういう時の気持ちの切り替えができる智慧を授けていただけませんでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

闘病中の愛犬への気持ちの持ち方

2年近い肝臓疾患闘病中の14歳の高齢の愛犬へ気持ちの持ち方で悩んでいます  2回の大きな手術、3週間毎通院し、一生懸命に向き合ってきましたが、今年の夏に腎臓も悪くなり食事の回数、投薬、排泄(軟便の為)などお世話が増え、それに伴い疲弊感でいっぱいいっぱいになってしまい、精神的に追い込まれてしまっています  不安、悲しみ、辛い気持ちで毎日過ごしてしまう自分に罪悪感もあります  こんな気持ちで接するのは愛犬によくないことは重々承知なのですが… 苦しい気持ちから逃げたいと思うようになってしまいました ありがたいことに夫はほぼ在宅ワークで時間の許す限りお世話を手伝ってくれます 一人暮らしの娘もたまに家に帰ってきて私の気持ちに寄り添ってくれます こんなにも恵まれている環境なのに、とても前向きになれず、底知れぬ孤独感を感じてしまうこともあります  ネットで色々読み漁ってしまい、前向きになれる方法など参考にしたいのですが、落ち込む一方です  高齢だから仕方ないがないのも承知のはずなのですが… 早く解放されて楽になりたい、でも、楽になるということはつまり… そんな負のループから抜け出せないのです   嫁いだ先と実家が遠かったから、子供が小さかったから、何かと理由をつけ両親の面倒などあまりしてこなかったから、もしかしたらバチが当たったのかもしれないと考えてしまうのです  苦しみから解放されるには、安らかに明るく向き合うにはどのような心持ちでいたらよいですか?  先へ先へと悩む癖もなんとかしたいです どうぞよいお知恵を授けてください よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

昔出会った子猫のこと

5年以上前の話なのですが、田舎で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りの道端で子猫に出会いました。 子猫が突然私の原付バイクの前に飛び出してきたので思わずとまると、原付バイクの下に潜り込みました。 捕まえて顔を見てみると、とてもとても可愛らしい小さな子猫でした。今でも鮮明に覚えているくらい愛らしかった… しばらく辺りを探しましたが親猫は見当たらず、連れて帰ろうかどうしようかしばらく悩みましたがいるかもしれない親猫と離れ離れにしてしまうのは悪いと思い、 元いた草むらの道路から離れた場所まで連れて行きました。 何度かついてこようとしていましたが、振り切って帰ってしまいました。 現在私は地元に戻り、家庭を持ち母親になっています。 随分昔の出来事ですがいまだにふと思い出すのです。 あんな小さな子猫を放って帰ってしまった事、 親猫は見当たらなかったのだから保護してあげるべきだったんじゃないか、 運命のような出会い方をしたのに、救ってあげる運命だったかもしれないのに救えなかった事、 あんな可愛い子猫は見た事がなかった。 無事に生き延びただろうか ふと思い出して悲しくなり、自分を責めてしまいます。 その頃は自分がとても辛い時期であり、救ってほしいと毎日思っていたのにその子猫に対しては救う事をしなかった自分が嫌だなと思います。 子猫に当時の自分を投影しているから今でも救ってあげたいと思うのでしょうか。 しょうがなかったと思うようにしても忘れられません。 ただただ元気に生きていて欲しいです。 ごめんなさい。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

ペットを虐待していたことを後悔しています

初めまして。 早速本題に入りますが、私はペットのうさぎ(便宜上、以降は"うさこ"と表記します)を虐待していました。 うさこが我が家に来た当時、私は学校で嫌がらせを受けていました。 悪口や陰口、ばい菌扱いなど、他愛ないものでしたが、その当時は深く傷ついていました。 そのときの状態を、私の親は「精神的におかしかった」と話しています。 そのときの私にとって、うさこは数少ない私の友人であり、家族といっても過言ではありません。 しかし、そんな支えになってくれるうさこを、衝動的に虐めてしまったのです。 うさこと一緒に遊んでしばらくすると、頭がボーっとして、気づいたら他人がうさこを虐めているのを画面越しに見ているような感覚になっていました。 ここでは詳細は省かせていただきますが、すごく酷いことをしてしまいました。 うさこは今では8歳のおばあちゃんになり、幸い大きな怪我はなく、元気に過ごしております。 今も指をなめたり、頭を撫でてとおねだりしたり、ご飯の時間には私や家族の後ろをとことこついてきます。 人なつこく育ってくれてほっとしたと同時に、このままうさこの近くにいてお世話をしていいのか分からなくなります。 私は今でこそ通院して、大分落ち着いたとは思いますが、行動の節々にまだ残虐性と衝動性が残っていると感じることがあります。 時にはそのときの光景や、その行為でうさこが死んでしまったり、怪我をしていたらという光景をフラッシュバックして、その度に自分を殺したくなります。 そんな人間が、うさこや周りの人間と一緒に生活していいのか、そもそも自分のことを人間であると自覚していいのかと考えてしまいます。 気心の知れた友人には既にこのことを話していますが、「うさこは近くに寄ってきてくれるんでしょ?じゃあ許してくれてるよ、一緒にいてあげなよ」と話してくれます。 ですが、私はもう自分が許せません。 どうしても、うさこは本当は苦しい思いを我慢していて、無理して私の元へやってきてくれるのではないかと考えてしまいます。 精神的にももう限界に近いので、誰かに吐き出して懺悔したくなったのでここに書き込みました。 厳しいお言葉も受けるのは覚悟しております。私はどうすればいいのでしょうか。 長文かつ駄文、失礼致しました。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

野良猫について

近所に怪我をしている野良猫がいました。 保護しようと餌をあげて少しずつ慣れてきてはいましたが、やはり野良なので警戒はしている様でした。 しかし日に日に怪我が膿んで酷くなっていくので早く保護しようと抱っこして連れて行こうとしてしまったんです。 驚かせてしまって私の腕から飛び出してしまったんです。 その時、車がきてしまい猫が車に飛び出す形になり、後ろ足あたりがぶつかったというか、はねられた様になってしまいました。そのまま草むらに走って逃げてしまい、探しましたが見つかりません。 元々怪我が酷かったのに私のせいで車にぶつかるという新たな怪我をさせてしまいました。あの猫はこのまま亡くなってしまうかもしれない。私が殺してしまった様なものです。しばらくは猫を探してみます。 私の早く助けたいという身勝手な気持ちで、あの猫を余計に傷つけてしまいました。 後悔の念が溢れて止まらないのです。 何故もう少し信頼してもらえるまで待てなかったのかと。 あの猫を探すこと、それ以外に私には何かできることはあるでしょうか? あのこがもし見つからずひっそりと亡くなってしまっていたら、私はあのこに何ができるでしょうか?怖がらせてしまい謝りたいです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

老猫の看取りについて

以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

娑婆のニュース
仏教を知る ブッダの言葉
そらノート

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

縁切り供養寺大法寺