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御礼の仕方

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有り難し有り難し 7

今の生活において、悩みや苦しみがまったくないわけでもなく、
体のあちこちに不調があり、贅沢ができるわけでもありません。
それでも、日々の衣食住に事欠くことなく、働くこともできてきます。
それは、家族や周りの方々の援助、今まで出会ってきた方々のお蔭様と、
最近、しみじみと感じ入る瞬間が多くなってきました。

それと同時に、何故だか、今までかわいがってきた犬や猫、鳥などのことが
ふわっと心に浮かぶことが多くなりました。
本当に彼らには、辛かったときには慰められ、楽しい時間をもらってきました。
温かな手触り、優しい眼差し、ただただそっと寄り添ってくれていた時間。
今ではそのすべてを看取り、思い出だけが胸の中にあります。

彼らの死後、実家の庭先に埋葬し、お線香など上げていましたが、
残念ながらその実家も引き払ってしまい、今はありません。
このような場合、かわいがっていた動物への感謝の気持ちは、どのように表したらよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

犬猫鳥も精神衛生上 お位牌 お墓の時代 

ペット用のお位牌を買われては如何でしょうか?
費用はお位牌と開眼供養で合計で1~2年間の餌代だと思ってください。
今までお世話になったのですからそのくらいしてあげては?
以下は、参考までに。読まなくてもいいです。
人間の場合にはそこのお墓の土を新しお墓に移す、遷位ということを致します。
今は新しい家も立っているかもしれませんので難しいと思います。
ちょっと深い話をいたしますと、勿論そこのお墓や土に霊魂が宿っているか、と言えば❝外的❞にはそうではありません。ですが、内的にはお骨やお墓に魂を見だし、拝む対象として祀っていくのががわれわれ日本人の昔からの王道的な宗教的なやすらいの❝和❞の精神です。
(現代ではそれが薄れているために人の心が乱れている)
だから我々人間は、同じ自然界に存在する霊的存在である樹木や鉱物を、位牌や墓石として長く供養してきたのです。それは深い意味では精神衛生のためでもあります。(ヒソヒソ…していない人は他の存在との関係が壊れていると思いませんか?)
霊魂はあるのか?と言えばあります。あるというより❝起こる❞ものです。
どういうことかというと、生命に対する沸き起こる内なる思いをこそ、そもそも霊魂というからです。←ここ重要
さらに深い話をすれば、内なる他の生命を思い遣る精神を無いがしろにするということは、同じ生命である自分自身をも間接的に自己否定することにもつながります。
ちなみに新しくしたためた位牌、墓石(樹木・鉱石)では、まだ、ただ自然から失敬してきただけの状態。
そこにアーティストである職人さんのデザインが込められ、さらに第三者であり、私的な感情を差し挟まない宗教者を司祭として開眼供養を行うのです。(伐採した木の精霊や神様
供養や厄払いも兼ねている)
最近はお墓を維持するのが面倒だとかお金がもったいないとかで私的な散骨等が流行ってますが、怪しからん事でしゅ!これからどんどん人の心は荒廃していくことであろうと思います。
散骨はクルーザー代だとか定期参りとかで年間維持費以上の交通費もかかるところがあります。
あれ?なんだか、供養のお話しになってしまいましたね。
費用をかけたくなければそれを思い出す写真や、置物を購入されてお手合わせをされてはいかがでしょうか。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

馬頭観音さまをお参りください

日々の生活に感謝を観じるのは、とても素晴らしいと思います。

馬頭観音さまが、そういった動物達への感謝の思いを取り次いで下さいます。

馬頭観音さまをお祀りされているお寺を調べてお参りなさって今までペットとして身近にいてくれた動物達への感謝をお伝えしてはいかがでしょうか?

ペットに感謝するのはとても素敵なのですが、馬頭観音さまにもう後はお願いする方が良いと思います。

ペットをいつまでも動物として扱ってしまう事になるので、あまり後々まで引きづらない方が良いように私は思います。
これは老僧などからも聞く話しですが、動物としてあなたがずっと思っている事で、もしかしたら人に生まれ変われないのではと思います。

きっと馬頭観音さまがあなたがペットとして飼っておられた動物の素晴らしい後生をお導きくださると思います。

ペット達が生きている間あなたに寄り添ってあなたを助けてくれた事に感謝して、あなたはさらにご自分を充実させるべくご精進くださればと思います。
おそらくペット達もそれを一番望んでいると思いますので、一番の供養になるかもしれませんね。

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

質問者からのお礼

悟東あすか様
お忙しい中、早々にお気持ちとご回答をお寄せいただき、ありがとうございました。
馬頭観音さま、早速調べてみました。
昔の人は、この観音さまに旅路で倒れた馬たちの後生を願い、手を合わせてきたのですね。
草木国土悉皆成仏とはいえ、このような観音様がいらっしゃり、
ペットたちの後生お委ねできますことがわかり、ぽっと心温かくなりました。
この先、日々自分を大事に生活することはもちろんですが、
機会ありましたら、馬頭観音さまにお取り次ぎを願い、お参りしたく存じます。
ありがとうございました。

丹下覚元様
お忙しい中、お気持ちとたくさんのお言葉をありがとうございます。
拝読していて、「亡骸はすでに土に還り、御霊も彼岸に渡っていることと十分理解していながら、
なぜ自分は今、気になってしまっていたのだろう」と考えました。
おそらく自分たちが実家の土地を手放すことで、
その地に「ペットの御霊を残していってしまうのでは」という感覚になっていたのだと思い至りました。
まずは静かに手を合わせたいと存じます。
ありがとうございました。

「動物・ペットについて」問答一覧

ペットを捨てた

去年の秋頃、犬を拾いました。 夜道を車で走っている際、不自然な歩きかたをしている犬を発見。 体中の毛がボロボロで、また怪我をしているようだったので、動物病院にて処置してもらい、そのまま持ち帰りました。 家に持ち帰ると、母は困ったような反応をしていましたが、 結局、翌日には名前をつけて可愛がっていました。 私は仕事でほとんど家にいないので、世話は母が行ってくれていました。 初日から、犬は異様に私達に懐き、依存的と感じるほどの振る舞いをしていました。その様子から、きっと捨てられた飼い犬なのだろうと予想していました。 半年経ったくらいに、母が円形脱毛症になっていることを発見しました。 犬は年老いており、過去の手術かなにかで下顎を失くしているため口が開きっぱなしで、部屋に染み付くほどの異臭を口から放ちます。 母は異臭や世話疲れから十分な睡眠がとれず、ストレスが溜まっていたようでした。 仕事で忙しい私に気を使い、文句を一つ言わず世話を続け、 症状が体に出るほどストレスを溜め込んでいた母に申し訳なく思い、 犬を捨てることにしました。 動物愛護団体に持っていけば殺処分になってしまうため、 悩んだ末、林に捨てようと考えました。 犬の異常な懐きかたが、「もう誰も僕を捨てないで」と言っているように感じていた私たちにとって、その犬を捨てることはとても残酷でした。 また、年老いて下顎が無く、本来は人間のもとでしか生きていけないであろう犬を林へ放ることは、殺すことと同じだと思います。 捨てる日、母は「ごめんね」とずっと泣いていました。 犬は、林に着くまでの車内で、ずっと私の膝の上から私の顔を見上げていました。 犬を林に放つも、犬はしばらく私についてきていました。 「最後まで面倒見れなくてごめん。幸せに生きてね。」 泣きながらそう伝えると、犬は草むらのほうに入っていき、私についてこなくなりました。 自分が拾ってきて、自分は何もせず、 母と犬に迷惑やら悲しさだけを味あわせ、結局犬を捨てたこと。 悲しい、切ない、罪悪、苛立ちなど 色んな感情や想いがとっ散らかっています。 まとまらない文章でつらつらと長文に仕上げてしまい申し訳ありません。 この出来事を、どう捉え、何をすべきなんでしょうか。 お言葉をいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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亡くなった犬への後悔

正直な所、私が殺してしまったようなものです。 幼い頃から犬が欲しくて、小学生の頃にようやく飼うことができました。 犬がシニアになった頃から大きな病気をいくつも患うようになり、この子の為になるように勉強し、動物病院に勤めました。 犬の体調が悪い時は同伴出勤し、入院した時も長く一緒にいられるように8時に出勤・22時過ぎに帰宅したり、特別に医療機器を持ち帰り自宅でも治療をしておりました。 ですが、勤務先でなくかかりつけ病院で大手術を受け見た目が大きく変わった為、職場の方に根掘り葉掘り聞かれるのが嫌で、その後同伴出勤することはなくなりました。 1番苦しいのはこの子なのに、向き合うのが嫌で家に帰るのが辛くなり、夜遅くまで帰らなかった時期もありました。 ある日の朝、犬の食欲が無く体調が悪そうだったのですが、仕事から帰宅後の様子次第でかかりつけ病院へ行こう考えておりました。 深刻さは理解しておりましたが、今までも何度かあったしきっと大丈夫だと思い出勤しました。 この時に職場の人の目を気にせず同伴出勤するべきだったと後悔しています。 まもなく定時になるという頃に、家から職場に連絡が入り、犬が亡くなっていたと知らされました。 家族は仕事や学校でしたので、犬は最後の瞬間もひとりでした。 家には粗相の跡があり、体も汚れ食餌もできていない状態。 孤独で苦痛に耐えていたのかと思うと苦しい気持ちになります。 家族が帰宅し犬を見つけた時、最後の力を振り絞ったのか、一声だけ鳴いたとのことです。 私は連絡を受けた後直ぐに帰宅しましたが、最後の瞬間に立ち会うことはできませんでした。 死後硬直しかけている少し温かい感触を覚えています。 やりたいことを全て楽しんでから後を追おうと考えていましたが、来年も花火を見たいなど欲が出てしまい、後を追うことをやめ数年が経ちました。 ここまて長々と書き連ねましたが、結局は「私はこれだけ頑張った」とアピールしたいだけ。 誰かに「あなたのせいじゃない」と言って欲しいだけなのかと思います。 最愛の愛犬を殺しておいて、自分だけ救われたいだけです。 犬の死にどう向き合い、自分の気持ちにどう折り合いをつけるのが正解なのでしょうか。 いつか、また犬を飼うことは許されるのでしょうか。 貴重な時間を割き、最後までお読み下さいましてありがとうございました。

有り難し有り難し 17
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猫が車にはねられてしまいました。

気分転換を兼ねて、いつもは車で行くスーパーへ、徒歩で向かいました。 途中で100均にもより、思ったより時間をかかってしまったので、一旦は家へ帰りかけましたが、Uターンしてスーパーへ向かう事にしました。 幹線道路から数本中に入った道なのですが、割と車が多い道です。 信号待ちをして、渡り始めると、建物の方から黒い猫が横切ってきました、多分私には気が付いていて、人間が来る前に通り過ぎようと思ったんじゃないかな、急いで車道に出て行きました、走ってくる車に全然気が付いていないようでした 「猫!危ないよ!」って言った瞬間、猫も車に気付いて身をひるがえしましたがドンッと鈍い音がしました。 車は走り去って行きましたが、猫は苦しそうにもがいて、のたうち回っていました もう、どうしてあげたらよいのか、パニック状態で、猫がバタバタするのを見ながら、日曜日の夜も診てくれる救急動物病院 を探そうと、携帯は手がゆう事効かずうまく扱えないし 血塗れの猫は、だんだん動かなくなり横たわって でも、 猫を抱き上げる事はできなくて、さすってあげる事しかできませんでした、暖かくて、フワフワなのに。 猫は亡くなってしまいました、目も閉じてあげられなかった。 私が歩いて通らなければ、猫が横切った時に足を止めてあげていれば もっと早く大きな声で危ないって言ってあげれば、 私がスーパーに車で行ってたら、 100均でのんびりしなければ、 そのまま家に帰っていれば、 この黒い猫は轢かれなかったかもしれない 。 子猫じゃないけど、大人猫でもない、中ぐらいの黒猫で、毛並みも綺麗だから、飼われていたんじゃないかな あまりにも、かわいそうで、道路に放っていけないと思っていたら、声を掛けてくれた女性がいて、その方に段ボールをもらって家の玄関まで連れてきました、もしかしたら気を失ってるだけなら、病院へ急ごうとおもって、何度か確認しましたが、もう体温が低くなってしまいました。 私のせいで亡くなった気持ちで、苦しくて 命を奪ってごめんなさい。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

亡くなったペットと新しいペットについて

いつもお答えをありがとうございます。 私には幼少期より共に過ごしていた猫がおりました。 猫は10年以上前に亡くなりましたが、20年の歳月を共に暮らした大切な家族でしたので今でも忘れられず、折に触れてお墓に手を合わせたりお線香や好きだった食べ物をあげたりして供養を続けています。写真や家に残る傷を眺めては懐かしく語ることも我が家の日常です。 物心つく前に犬と小鳥もいたそうですが、こんなに長い時間を共に過ごしたのは猫だけだそうです。 亡くなって10年以上経ち新しく動物を迎えたいと思うことも何度かありました。しかし思い出も家の傷も亡くなった猫だけのもので、新しい動物を迎えることを亡くなった猫は許してくれるのだろうか、嫉妬深かった猫でしたから猫に申し訳ないと思い迎えることができずにいます。 また、生きている以上必ず亡くなる日がきます。亡くなった猫とは長い時間を共に過ごしたこともあり家族一同心から悲しみ、受け入れるまでにも長い時間がかかりました。あの悲しみをまた抱えることへの抵抗が少なからずあり、総じて私たちにはまだ迎える準備ができていないのだと話し合ってきました。 前置きが長くなってしまいましたが、新しい動物を迎えるとしてそれを亡くなった猫はどう感じるのだろうか、許してくれるのだろうかと思っています。 また猫ばかり供養しているわけですから、犬や小鳥はどう思っているのだろうと申し訳なくなってきました。あまり思い出もお墓もなく伝え聞いているだけの犬と小鳥に、どう思えばいいのか正直わからないところです。 仏教にはこのような場合への教えはありますでしょうか。 お答えをいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 8
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