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浄土真宗の特徴を教えてください

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有り難し有り難し 26

49日まで霊として留まるということで、御霊前となるところ、浄土真宗ではすぐ仏となるため御仏前を使うと何かで見ましたが、
その他どのような特徴がありますか。
どのように故人を偲ぶのがよいですか?
気をつけることはありますか?

故人が宗派をすごく大事にしていたため、できるだけそれに寄り添った形で、供養したいと思っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

阿弥陀さまの信心

かじ様、ご質問ありがとうございます。

察するところ、どなたか身内の方が亡くなって、どのようにすればよいかという点を、浄土真宗の立場からおたずねということと思います。

「御霊前」とは言わず「御仏前」という、という例が挙げられていますが、そういうことであれば、浄土真宗では、「供養」という言葉はあまり使われません。

「追善供養」という意味では、浄土真宗では亡くなったときに、往生させていただくのです。
その時点ですでに、阿弥陀さまが作られたお浄土に生まれているわけですから、「追善」の必要はないのです。

中陰のお勤めやご法事は、残されたものが仏様に出遇い、わが命が仏様に願われたものだと確認し、仏様とのご縁を結ぶ機会とお考えになればよろしいかと思います。

浄土真宗の特徴としては、「賜りたる信心」ということをあげておきたいと思います。

私たちは、「信心」というと、私の方から仏様や神様を信じるということに目を向けてしまいます。

しかし、阿弥陀さまは「衆生を救う」というお誓いを立てられて仏になられました。

つまり、信心とは「仏様が私たちを信じる」ということだと考えます。

その仏様(阿弥陀如来)から差し向けられた「信心」に気づくということが、肝心なのだと思います。

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真宗山元派上西山正善寺住職
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大慈悲心

かじさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

書店などの「冠婚葬祭事典」に載っていることと、浄土真宗の決まりごとは、異なる部分が多くあります。ご質問にある「御霊前ではなく御仏前」もそのひとつですね。

ひとつひとつ上げていくとキリがないのですが、ポイントとしては「亡き人は漏れなく尊い仏さまとなられていて、迷いも苦しみもしないし、その状態から変化することもない」とお考え下さい。
そうすれば、恐ろしいものとして追い払うために塩をまく必要もありませんし、成仏を願う必要もありません(すでに成仏していますから)。

そもそも仏さまに対して、煩悩の世界にいる私たちが何かをしてあげる、とは考えないのです。亡き方を偲ぶ心を通じて、私たちが大切なことに気づく。その時こそ仏さま(=故人)が喜んで下さるのだ、と考えます。

お礼を拝見して書いておりますが、お寺に行かずとも、どこで亡き人を偲んでも良いのだと思います。確かに故人の遺影やお墓の前では、より鮮明に故人をイメージすることが出来ます。しかし、亡き方は仏さまとなって、常に近くで見守って下さっています。

また「御仏はなぜそんな風に私たちのために尽くしてくださるのでしょうか」というご質問ですが、浄土真宗の本尊は阿弥陀仏という仏さまです。
阿弥陀さまは遥か昔、全ての命を救うと誓った仏さまです。
全てを救えなければ仏に成らないと誓い、すでに仏さまに成られました。

なぜ救って下さるのか。
それは人間の慈悲心など遥かに及ばない、大慈悲心をお持ちだからです。
そのお気持ちを受けて、安心して人生を生き切るのが、浄土真宗のあり方です。

ちょっと説教くさくなりました (^_^;)
また疑問が湧いたら、ご質問下さい。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり大変失礼いたしました。
そうですか、浄土に生まれて、幸せにいるのですね。
たまにお寺に行って、想いを伝えれば充分なのでしょうか?
ちなみに身内ではないため、どのお寺に納められたかはわかりません。
どのお寺でも構わないのでしょうか?御仏はなぜそんな風に私たちのために尽くしてくださるのでしょうか。

いろいろと疑問です。

ありがとうございました。

「浄土真宗」問答一覧

救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

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亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

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浄土真宗のお念珠を教えて頂きたいです。

私は真言宗のお坊さんを目指している中学生です。 将来おばあちゃんが亡くなった際、おばあちゃんは浄土真宗(代々の)で供養し、 私と母は真言宗に改宗して、おばあちゃんのお墓は墓じまいする。と決めました。 (おばあちゃんと母は苗字が違います) お寺とのお付き合いもないので、おばあちゃんの葬式は新しいお寺さんになるかと想像しています。 しかし浄土真宗は浄土真宗です。私達が真言宗でもお墓参りと法事にはしっかり浄土真宗で臨みたいね。と母と話しました。 そして私は来年高野山の高校(通信)に行きます。急に仏教学校に入りたいとお願いし、認めてくれて応援してくれた。今まで育ててくれたお礼に、仏教好きな私なりに、お念珠をプレゼントしたいと考えています。 その際、今後使える真言宗の念珠+ おばあちゃんの供養や墓じまい後のお参りの時に使える浄土真宗の念珠をプレゼント予定なのですが、 Amazonで見ていて、いいのは見つけましたが2連の念珠が多いように感じます。 しかし浄土真宗本願寺派や真宗大谷派は公式には略式念珠、単念珠を紹介しています。 しかし葬儀サイトにはみな女性用は2連なんです。 そこでお聞きしたいのは、お坊さん的に浄土真宗の女性用のお念珠は2連なのか単念珠なのか、どちらをおすすめだとお考えでしょうか。 西本願寺、東本願寺共にサイトで2連は蓮如結び、単念珠なら松房と書いていたので、そのものを購入予定です。

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厭離穢土欣求浄土の意味

「厭離穢土欣求浄土」の意味について、今年の大河ドラマをはじめ昨今の小説やドラマでは「この世を浄土のような平和な世にする」というスローガンだと説明されていることが多いですが、浄土宗は唯心の浄土ではなく指方立相の浄土を説くはずで、凡夫に浄土は築けないと教えているはずですから、この解釈は浄土宗の教義に矛盾していないでしょうか。元来の意味が厭世的過ぎて現代人に受け入れにくいので無理矢理こじつけたように思えます。これはむしろ即身成仏を説く真言宗や娑婆即寂光土を説く日蓮宗の考えに近い解釈ではないでしょうか。 凡夫に浄土が作れるのなら弥陀も念仏も要らないことになってしまいます。 ただ、「浄土宗は死を待つだけの教えではないのか? 法然上人の時代のように道を歩けば死体がゴロゴロ、いつ自分もその仲間入りするかしれない世ならともかく、現代ではそんなに今生きているこの現世を否定しなくてもいいんじゃないか?」というこの胸に芽生えた疑問への答えとしては厭離穢土欣求浄土の現代風解釈は便利なので、指方立相の浄土とは矛盾すると知りながら都合よく取り入れてみるのも悪くないかなとも思っています(真剣勝負と八百長との狭間をウロウロするプロレスファンなので、こういう曖昧な考え方は得意なのです)。 できれば浄土宗のお坊様のみならず、他宗のお坊様のご意見も聞きたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ