浄土真宗の特徴を教えてください
49日まで霊として留まるということで、御霊前となるところ、浄土真宗ではすぐ仏となるため御仏前を使うと何かで見ましたが、
その他どのような特徴がありますか。
どのように故人を偲ぶのがよいですか?
気をつけることはありますか?
故人が宗派をすごく大事にしていたため、できるだけそれに寄り添った形で、供養したいと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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阿弥陀さまの信心
かじ様、ご質問ありがとうございます。
察するところ、どなたか身内の方が亡くなって、どのようにすればよいかという点を、浄土真宗の立場からおたずねということと思います。
「御霊前」とは言わず「御仏前」という、という例が挙げられていますが、そういうことであれば、浄土真宗では、「供養」という言葉はあまり使われません。
「追善供養」という意味では、浄土真宗では亡くなったときに、往生させていただくのです。
その時点ですでに、阿弥陀さまが作られたお浄土に生まれているわけですから、「追善」の必要はないのです。
中陰のお勤めやご法事は、残されたものが仏様に出遇い、わが命が仏様に願われたものだと確認し、仏様とのご縁を結ぶ機会とお考えになればよろしいかと思います。
浄土真宗の特徴としては、「賜りたる信心」ということをあげておきたいと思います。
私たちは、「信心」というと、私の方から仏様や神様を信じるということに目を向けてしまいます。
しかし、阿弥陀さまは「衆生を救う」というお誓いを立てられて仏になられました。
つまり、信心とは「仏様が私たちを信じる」ということだと考えます。
その仏様(阿弥陀如来)から差し向けられた「信心」に気づくということが、肝心なのだと思います。
大慈悲心
かじさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
書店などの「冠婚葬祭事典」に載っていることと、浄土真宗の決まりごとは、異なる部分が多くあります。ご質問にある「御霊前ではなく御仏前」もそのひとつですね。
ひとつひとつ上げていくとキリがないのですが、ポイントとしては「亡き人は漏れなく尊い仏さまとなられていて、迷いも苦しみもしないし、その状態から変化することもない」とお考え下さい。
そうすれば、恐ろしいものとして追い払うために塩をまく必要もありませんし、成仏を願う必要もありません(すでに成仏していますから)。
そもそも仏さまに対して、煩悩の世界にいる私たちが何かをしてあげる、とは考えないのです。亡き方を偲ぶ心を通じて、私たちが大切なことに気づく。その時こそ仏さま(=故人)が喜んで下さるのだ、と考えます。
お礼を拝見して書いておりますが、お寺に行かずとも、どこで亡き人を偲んでも良いのだと思います。確かに故人の遺影やお墓の前では、より鮮明に故人をイメージすることが出来ます。しかし、亡き方は仏さまとなって、常に近くで見守って下さっています。
また「御仏はなぜそんな風に私たちのために尽くしてくださるのでしょうか」というご質問ですが、浄土真宗の本尊は阿弥陀仏という仏さまです。
阿弥陀さまは遥か昔、全ての命を救うと誓った仏さまです。
全てを救えなければ仏に成らないと誓い、すでに仏さまに成られました。
なぜ救って下さるのか。
それは人間の慈悲心など遥かに及ばない、大慈悲心をお持ちだからです。
そのお気持ちを受けて、安心して人生を生き切るのが、浄土真宗のあり方です。
ちょっと説教くさくなりました (^_^;)
また疑問が湧いたら、ご質問下さい。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり大変失礼いたしました。
そうですか、浄土に生まれて、幸せにいるのですね。
たまにお寺に行って、想いを伝えれば充分なのでしょうか?
ちなみに身内ではないため、どのお寺に納められたかはわかりません。
どのお寺でも構わないのでしょうか?御仏はなぜそんな風に私たちのために尽くしてくださるのでしょうか。
いろいろと疑問です。
ありがとうございました。