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息子をダメにした先生が許せません

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私には中一の不登校の息子がいます。
4年前、息子は担任の先生からの体罰を含めた厳しい指導があり、ボロボロに自信をなくしすべての教師に対して強い恐怖心を持ってしまい、学校に行けるようになっても授業や先生を受け入れることが出来ず本人も私も先生も大変な苦労がありました。(学校側は過失を認め謝罪も受けてます)

いろいろなサポート機関を利用し、今は毎日登校でき一日一人で学校に居られるようになり恐怖心も抜けましたが、教師とのコミュニケーションは自らは難しく授業の参加もまだ出来ないところはあり、先生のトラウマで学校では牛乳も飲めません。

幸い友達には恵まれ学校生活は友達が支えになってくれ明るく元気な息子なのですが、当時の先生とのトラブルがなければ息子はみんなと同じように授業を受けれて(一年半学習が抜けてます)学校生活ももっと楽に過ごせたはずで、私も仕事を辞めずにすみ経済的にも安定していたのではないかと思うとこの代償は大きいです。

当時の担任の先生は息子のことを本当に気にかけてくれ、他のことでは支えにもなってくれ信頼関係もありました。しかし熱心とはいえ、行き過ぎた指導でここまで息子を追い詰め深い傷を負わせたことは今でも水に流すことは出来ません。

目の前で苦しむ息子をみるとどうしてこんなになるまで追い詰めたのか心の整理も出来ず、自責の念にもかられました。
先生を憎むことが出来れば楽だったかもしれません。気持ちをどこにも向けられないまま日々が過ぎ息子と二人で泥水を飲まされるような日々でした。

今はだいぶ克服したのですが、中学生にもなり参加出来ない授業があると内申に響くので心配です。
息子には「過去に何があっても自分の人生は自分のもの。人のせいでなく切り開くのは自分だ」と伝えてあります。
私は当時の先生のせいで息子の人生に影響が出てしまうのだけは嫌で受け入れられません。

当時の先生への思いはどうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゆっくりと

ご子息は、とても辛い思いをなされたのですね。そして同時に、親であるすみれ様も我が子が苦しんでいる姿を見て、それ以上にお苦しみのことだろうと思うと胸が張り裂けそうです。

そのような状況へと至った原因である先生のことを、なかなか許せないのは親として当たり前の感情だと思います。学校が謝罪しようと、先生が反省しようと、結果は変えられませんから気持ちのぶつけ場所がありませんね。この事を思うたびに、すみれ様は思い悩まれることだろうと推察します。

そのような時は、現実は変えられませんので、その現実を受け止め、その苦しみに向き合っていくのも大事な心持ちなのかもしれません。一度、許せないという気持ちを整理して、心の持ちようを変えてみると、たとえ許せないという気持ちは消えなくても、きっとそこから今までは見えなかったものが、みえてくることだろうと思います。

親の子供に対する感情は、仏教では「慈悲」と申します。慈とはいつくしみの心。悲とは、子供に寄り添い、一緒に悲しみ、泣いて、悩んであげることだと言います。おそらくすみれ様の、そのような感情が、ご子息様の心を楽にし、苦しみを少しずつ抜いていってることだろうと思います。

許すというのは、一番難しい心持ちかもしれません。そしてとても長い時間が必要となります。それでも少しずつ、少しずつ、気持ちを整理して、過去ではなく、未来に向けて進んでいければいいですね。

許すことは、相手のためではなく、本当は自分の苦しみを取り除くために必要な心持ちなのですから。

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有り難し
おきもち

昭和51年6月14日生まれ 日蓮宗新聞 編集委員 本山 妙傳寺 執...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
なかなか同じ体験をした人は身近にいなくずっと抱え込み苦しかったです。
息子が少しずつ復学出来ていることで苦しみも和らいできているのですが、許せないと思うと苦しく許してしまうとこれまでの苦しみや涙までもなかったことになってしまいそうで勇気のいることです。
向き合うというのは白黒つけることではないのですね。ゆっくりとゆっくりとこの思いに縛られなくなりたいです。「許す」という言葉が受け入れられなくても、相手でなく自分が楽になれることだということを忘れないようにしたいと思います。

「学校の先生・教授」問答一覧

教授に嫌味を言われた

必修の教授が嫌いです。 4月から2年生になったのですが、第二外国語の授業は1クラス25人ほどの少人数クラスで、二年生の後期まで受けることが卒業要件に必須です。私のとっている言語は2クラスしかなく、どちらか1クラスを選んで取ることになります。 1年生の間は、第一志望の大学ではなかったことや友人関係で鬱気味になって第二外国語だけでなく学校は1年間ずっと休みがちになっていました。前期は二外の単位がもらえる欠席回数上限を越すことはなかったのですが、後期は精神状態がさらに悪くなり、休める上限回数を超えてしまいました。(そのうち一回は正月の帰省の際に飛行機が止まってしまい帰れませんでした) 二外は週2回で、それぞれ別の先生が担当するので欠席回数のカウントは共有されているはずです。嫌いな先生ではないもう一方の先生が、一年後期の分は成績評価をdにする代わりに単位をくれました。 2年生の春から心を改めて頑張ろうと思って今日初回授業に出ました。初回授業は自己紹介だったのですが、自己紹介で私の番が回ってきた時に嫌いな先生に〇〇さん単位取れたんだね!とクラス全員に聞こえる声で言われました。もともとおしゃべりが多く、人をそうやっていじるタイプの先生ではあったのですが、クラス全員に笑われてしまい、クラスのうるさめな男子にはまあ休めるだけ休めるのは賢いよねーと大きな声で言われてしまいました。恥ずかしくてしょうがなくて、もう次回から学校に行きたくありません。 クラス全体の前でそのようなことを言うのは嫌がらせではないのでしょうか、それとも気にしすぎで、私のメンタルが弱いだけでしょうか?今日が初日で、せっかく今年から頑張ろうと思ったのに出鼻をくじかれて、本当に今も電車で泣きそうです。 これをきっかけにもう一つのクラスにクラスを変更したらクラスの人や教授に何か言われるのではないかと怖いし、そんなことで引きたくない、見返したい自分もいます。 私は人の目を気にしすぎなのでしょうか。気にしすぎない方法を教えてください。どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 1
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「やろうとしていない」と言われ続け辛い。

こんにちは。私は現在大学生で、音楽の学科に入っています。 そこでの大学の先生に言われる「あなたやろうとしてない」という言葉が辛いです。 音楽科では、生徒は基本、誰か一人の先生の弟子になり、その先生のレッスンを受けることになっています。(音楽科の中では門下といいます) 私もある先生の門下になったのですが、週一回必ずある、その先生のレッスンで下記のことを言われます。 先生に言われたことの全てができないと 「なぜ私が言ったことをやろうとしないの?」 その後、「やろうとはしてます」と返すと 「それはやろうとしてると思ってるだけで実際にはできてないから。」 他にも一度に多くのタスクを課してくることもあり、それもできないと 「なんで?さっきやってたことの上に付け足すだけだよ?それがそんなに難しいことなの?」 私は不器用な性格で、一度に多くのことができないタイプです。 頭が混乱して全部できる余裕がないです。と先生に伝えても 「頭が混乱してるのは誰の所為なの?あなたが自分で混乱させて自分の気持ちに余裕なくしてるんじゃない。」 「自分で不器用だと気づけている人は本当は不器用じゃない。自分で自分に制限をかけているだけ」 とも言われました。 褒めてくれることもありますが、最近はその「やろうとしてない」という言葉が嫌になり、自主練の時でもレッスンに言われたことなどがフラッシュバックに涙が出てきて、毎日練習室で泣いている日々が続いています。 「やろうとしていない」という言葉が、なにを持って言うのか、よく分からず、いつも 頭を抱えています。 私はこのままその先生のところでレッスンを続けるべきなのでしょうか? 先生に言われていることは理不尽だなと思いますが、同時に「確かに自分で自分を制限かけているのかな?」などとも思っています。 一応、他の先生に相談すれば他の音楽の先生に変えてくれる制度はあります。 長文駄文になり申し訳ありませんが、回答よろしくお願いします。

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昔の教え子から相撲対決をお願いされました

小学校教諭の男、40代です。 先日、10年前の教え子(当時小4)から突然電話がありました。 用件は何と「先生と相撲で勝負したい」とのことです。 実は私、身長は170cm程度ですが、体重は当時も今も100kg以上あります。 その子は、(当時は知りませんでしたが)幼少時から相撲観戦が大好きで、巨漢である私が担任になってから「いつか相撲をとってみたい」とずっと思っていたそうです。 私も、突然の連絡が相撲対決申込みというだけで既に驚きましたが、彼が当時クラスの男子で最も小柄・細身で性格も優しい子だったので「まさか、あの子が相撲なんて」と更に驚いています。 「担任だったときの先生は、幼かった自分にとって本物の相撲とりのように大きな存在だった。今自分は体重53kg程度で相変わらず痩せており、先生の相手にならないことは分かっているが、先生の胸に渾身の力を込めてぶつかっていきたい」と真剣な口調で話してくれました。 私は、電話が来たとき他の用件で忙しかったこともあり一旦返事を保留しましたが、彼の申し出を受け入れるべきか悩んでいます。 というのも、今の私自身が極度の運動不足・不摂生だからです。 学生時代から続けていた野球を20代後半でやめて以来ほとんど運動していません。 酒もタバコも相当やる方なので、不摂生がたたって最近では階段を上がっただけで息切れしてしまう有様です。 体重こそありますが、まともに相撲をとれる自信がありません。 相手は約半分の体重とはいえ、一番体の動く20歳前後ですので、もしかしたら今の私より強いかもしれません。 そして何より、今の私自身が、幼き日の彼の目に映った本物の力士のような屈強な存在ではなくなっていることが最大の心配です。 もし私が情けない負け方をしたら、彼の憧れを壊してしまわないでしょうか。 私は彼と相撲をとっても構いませんし、彼に相撲で負けても不愉快な気分にはなりませんが、元教え子の思いに応えるべきか悩んでいます。 (尚、私も彼もスポーツとしての相撲経験はありません。)

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先生から嫌がらせを受けています。

私は教育現場で働いています。同じ教員である先生から嫌がらせを受けています。私に嫌がらせをしてくる主犯格はA先生、そして口の上手いA先生のことを信じ、つまらない情報収集に勤しみ告げ口をする養護教諭、教頭、校長がいます。 嫌がらせは去年から始まりました。A先生と今はもう異動して職場にいないB先生、そして私の3人は学年部のチームでした。もともとA先生が持ち上がりたかった学級を私が受け持つことになり、初年度がスタートしましたが、この時点からA先生は私のことが気に入らなかったようです。 途中から似たもの同士のB先生と結託し、日々の陰口に加えて、次第に学年部の会議に私を呼ばなかったり、学級の物や私物を勝手に使われたり荒らされたりするようになりました。 最初はコソコソしていた陰口も、段々大っぴらにするようになり始めた頃には、私のメンタルも参ってしまい、2学期の終わり頃に限界を迎えてしまいました。 廊下で一人号泣する私を前年度の校長が発見してくださり、これまでの経緯を話し、A先生とB先生に話をしてくださることになりました。それ以降、ピタッと陰口が無くなりました。 本当は2人とも全然反省しておらず、相変わらず陰口を言っていたことは知っていましたが、私に聞こえるように言わなくなっただけで、随分と仕事がし易くなりました。 しかし、前年度の校長が異動でいなくなってから再びA先生が動き出しました。 今度は自分から動かず、先に話した養護教諭、教頭、今年度から赴任した校長を使って監視をしてくるようになりました。何かアドバイスをする訳でもなく、学級の様子を観察しに来ては、陰口の材料として楽しんでいます。 子ども達に楽しくわかりやすく勉強を教えたいとあれこれ考えていたのに、最近は、「この授業で大丈夫なのか。また陰口を言われるのではないか。」という風にしか考えられなくなってしまい、辛いです。 いじめ問題や人権教育を語るあの口で、どうしてこんな酷い言葉が吐けるのか。理解できません。 もともとA先生と仲が良い養護教諭と教頭は、去年私がどんな目に合ったか知っている上でA先生に協力的です。 憎いです。いけないことだと分かっていますが、彼女、彼らが不幸な目に遭えばいいのにと願わずにはいられません。 しかし人を憎む自分も嫌で、考え方を変えたいとも思っています。ご助言をいただけると幸いです。

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指導教員との関わり方が難しい

大学の卒業研究で指導して下さる教授が、プライドの高い方です。周りの大人も先生をヨイショしまくっており、時にはそのヨイショに良い気持ちになり言動が大きく(悪口など)なることが多々あります。 研究者として非常に優秀な方ですが、近年ではハラスメントと言われる言動を周りを気にせず、担当の学生に行います。特に私が気にられていて(退官前最後の学生だからか)、同級生の前でイジリを繰り返してきます。 この半年間、先生は一種の愛情表現としてそのような態度を取ってくるのだろうと、必死にそれを理解して上手く対応しようとしてきました。しかし院試を半年後に控え卒業研究が残り1年になった今、わからなくなっています。精神的にまいってしまった、とは被害者ヅラするようで言いたくありませんが、辛いです。そこで今後の展望と伴うリスクを以下に書きます。 1) この研究分野に今後も影響力を与える先生を、上司として割り切った上で自分を演じ、轢かれたレールで比較的順調な学生時代とその後の研究人生を過ごす。すると先生と、表面的にはより良い一生の付き合いを続けることになるが、先生との関係は続く。 2) 今与えられている環境を捨てて(他大学や海外)、自分の研究人生を自分で切り開いていく。影響力のある先生なのでどこかで何かしら私の悪口を言ってそれが耳に入ることがあるだろう。または研究分野の学会で不評を流される可能性もある。 今考えないと、きっと流されて今後もずっと先生の言うことを聞く弟子でしかなくなってしまうと思うのです。割り切って付き合うのか、いっそ離れるか。院試を控えた今、悩んでいます。 (古いタイプの人間は今後より淘汰されていくと一般的に言われますが、研究界ではまだまだ強く深く根付いています。時間はかかれども私たちの世代が変えていきたいという気持ちです。)

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ