hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

息子をダメにした先生が許せません

回答数回答 1
有り難し有り難し 35

私には中一の不登校の息子がいます。
4年前、息子は担任の先生からの体罰を含めた厳しい指導があり、ボロボロに自信をなくしすべての教師に対して強い恐怖心を持ってしまい、学校に行けるようになっても授業や先生を受け入れることが出来ず本人も私も先生も大変な苦労がありました。(学校側は過失を認め謝罪も受けてます)

いろいろなサポート機関を利用し、今は毎日登校でき一日一人で学校に居られるようになり恐怖心も抜けましたが、教師とのコミュニケーションは自らは難しく授業の参加もまだ出来ないところはあり、先生のトラウマで学校では牛乳も飲めません。

幸い友達には恵まれ学校生活は友達が支えになってくれ明るく元気な息子なのですが、当時の先生とのトラブルがなければ息子はみんなと同じように授業を受けれて(一年半学習が抜けてます)学校生活ももっと楽に過ごせたはずで、私も仕事を辞めずにすみ経済的にも安定していたのではないかと思うとこの代償は大きいです。

当時の担任の先生は息子のことを本当に気にかけてくれ、他のことでは支えにもなってくれ信頼関係もありました。しかし熱心とはいえ、行き過ぎた指導でここまで息子を追い詰め深い傷を負わせたことは今でも水に流すことは出来ません。

目の前で苦しむ息子をみるとどうしてこんなになるまで追い詰めたのか心の整理も出来ず、自責の念にもかられました。
先生を憎むことが出来れば楽だったかもしれません。気持ちをどこにも向けられないまま日々が過ぎ息子と二人で泥水を飲まされるような日々でした。

今はだいぶ克服したのですが、中学生にもなり参加出来ない授業があると内申に響くので心配です。
息子には「過去に何があっても自分の人生は自分のもの。人のせいでなく切り開くのは自分だ」と伝えてあります。
私は当時の先生のせいで息子の人生に影響が出てしまうのだけは嫌で受け入れられません。

当時の先生への思いはどうしたらよいのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゆっくりと

ご子息は、とても辛い思いをなされたのですね。そして同時に、親であるすみれ様も我が子が苦しんでいる姿を見て、それ以上にお苦しみのことだろうと思うと胸が張り裂けそうです。

そのような状況へと至った原因である先生のことを、なかなか許せないのは親として当たり前の感情だと思います。学校が謝罪しようと、先生が反省しようと、結果は変えられませんから気持ちのぶつけ場所がありませんね。この事を思うたびに、すみれ様は思い悩まれることだろうと推察します。

そのような時は、現実は変えられませんので、その現実を受け止め、その苦しみに向き合っていくのも大事な心持ちなのかもしれません。一度、許せないという気持ちを整理して、心の持ちようを変えてみると、たとえ許せないという気持ちは消えなくても、きっとそこから今までは見えなかったものが、みえてくることだろうと思います。

親の子供に対する感情は、仏教では「慈悲」と申します。慈とはいつくしみの心。悲とは、子供に寄り添い、一緒に悲しみ、泣いて、悩んであげることだと言います。おそらくすみれ様の、そのような感情が、ご子息様の心を楽にし、苦しみを少しずつ抜いていってることだろうと思います。

許すというのは、一番難しい心持ちかもしれません。そしてとても長い時間が必要となります。それでも少しずつ、少しずつ、気持ちを整理して、過去ではなく、未来に向けて進んでいければいいですね。

許すことは、相手のためではなく、本当は自分の苦しみを取り除くために必要な心持ちなのですから。

{{count}}
有り難し
おきもち

昭和51年6月14日生まれ 日蓮宗新聞 編集委員 本山 妙傳寺 執...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございました。
なかなか同じ体験をした人は身近にいなくずっと抱え込み苦しかったです。
息子が少しずつ復学出来ていることで苦しみも和らいできているのですが、許せないと思うと苦しく許してしまうとこれまでの苦しみや涙までもなかったことになってしまいそうで勇気のいることです。
向き合うというのは白黒つけることではないのですね。ゆっくりとゆっくりとこの思いに縛られなくなりたいです。「許す」という言葉が受け入れられなくても、相手でなく自分が楽になれることだということを忘れないようにしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ