祖母を亡くして悲しくてたまらないです
今日母方の祖母を亡くしました。臨終にも立ち合いました。病気でもう長くないとは言われており、遅かれ早かれこういう時が来るとは覚悟していましたが、やはりとてつもなく悲しいです。
小さいころから可愛がってもらい、いつもにこにこしていた優しいおばあちゃんでした。あのおばあちゃんにもう会えないかと思うと悲しくて仕方ありません。今も涙が止まりません。どうすればこの悲しみを克服できるでしょうか。女々しい男で申し訳ありません。ご回答お願い致します。
どうしても楽な道を選んでしまう。自分の見てくれが良くないくせに、美人と付き合いたいとか思ってしまう。立場を利用して偉そうにしたり、私腹を肥やそうとする人間を殺してやりたい位憎んでしまうことがある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しむことも大事。愛情に応えて生きていくことがもっと大事
小さいころから可愛がってくれたおばあちゃんを亡くされ、本当に悲しいことと思います。御愁傷様です。心より哀悼の意を表しますと共に、あばあさまのご冥福をお祈り申し上げます。
「どうすればこの悲しみを克服できるでしょうか。」というご質問ですが、「無理に克服しようと考える必要は無い。」と私は思います。何故なら、人間は感情の生き物です。悲しみを克服しようと思っても、直ちに克服できるものでは無いと思います。悲しみから立ち直るには或る程度の時間が必要であり、中陰供養等「故人を供養する」ための行が必要であると思います。
敢えて分析させていただきますと、
1、 仏教では四苦八苦と言って、「8種類の苦しみがある」と説きます。その1つに愛別離苦という苦しみを説いています。愛する者と別れる事、大切な方との別れることが辛く苦しいものであると説いています。しかし、命ある者は必ず死を迎えます。おばあさまはあなたよりかなり年長ですから、一般的にはあなたより先に死を迎えます。あなたがこの世に生を受けた時点から、ほぼ予定されていたことです。
2、 あなたは、ものごとの道理として、おばあさまが自分より先に人生を終え死んでいく事を理解していると思います。
3、 理屈の上で「死に納得」しても、感情の面で「納得できない。」だから、悲しくて「今も涙が止まりません」という状態なのだと思います。
あばあさまは仏弟子として御仏の世界に旅立たれたと思います。おばあさまの旅路を応援し後押しするための供養として「初七日から四十九日までの中陰供養」があります。宗派や菩提寺によって流儀の違いはありますが、おばあさまの菩提寺の流儀にしたがって読経・焼香・礼拝・立塔等お勤め下さい。
それと同時に心掛けて頂きたいことがあります。あなたは生前おばあさまから多くの愛情を頂いたと思いますが、おばさんからの愛情をあなたの現在の仕事・勉学・人間関係に活かしていくことです。要は、「現在のあなたの姿を見て、おばあさんが喜んでくれる」ような生き方を続けていく事です。
悲しみは完全には消えません。何日経っても、何年経っても、愛する人を喪った悲しみは蘇ってきます。でも、おばあさんの愛情に応える日々を送っていれば、悲しみを蘇らせる以上に美しい思い出を蘇らせることが出来ますよ。
追善供養・功徳回向について
ミジンコ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
既に御礼を拝見させて頂きました。仏教を少しづつ勉強なさられておられますこと、誠に尊く有り難いことでございます。
「愛別離苦」・・愛別離苦に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いて参りました。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319854.html
しかし、誠にその現実に直面致しますと、例え頭では理解していたとしても悲しみや苦しみは当然にあるものでございます・・むしろ、吉田様もおっしゃられてますように、それも人間の情としてある意味では大切なことではないかと存じております。
問題は、その「愛別離苦」や数々の苦しみを乗り越えていくために、しっかりと仏教の説く真理について学び修していくことで、やがて解決を目指すことが求められる次第となります。
百箇日忌を卒哭忌とも申しますが、少なくともそれまではまだ無理に悲しみや苦しみを無くそうとなさられるのではなく、その現実を少しずつ受け入れつつに、お祖母様とのご縁を有り難くに感謝なされて、報恩を想い、ゆっくりと心の整理を時間を掛けてなさられていかれるのが良いのではないかと存じております。
そして、できましたら、お祖母様に仏様の善きお導きがありますようにとして、追善供養・功徳回向をして頂けましたらと存じております。このことにつきましては、下記の拙小論をご参照下さいませ。
コラム「追善供養・功徳回向の考え方について」 1~5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html
追善供養・功徳回向とは、善き行いとしての功徳をお祖母様を含めてのあらゆる迷い苦しみにあるものたちの悟りへと向けて及ぼすものとなります。吉田様のご回答の通りにお祖母様が喜んでくれるような生き方としての善徳の行いにしっかりとこれからも努め励んで参りたいものでございます。是非、共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
吉田様、私の質問への丁寧なご回答、大変ありがとうございました。本日をもって葬儀は終了いたしました。ご回答を読ませて頂きましたが、私のような者の質問にこれだけ親身になってご回答頂けたことへの有難さと、祖母の事を思いだしてまた涙があふれて参りました。数年前にも肉親を亡くした時から、仏教についての勉強を少しづつ始めて、愛別離苦の苦しみも人間が逃れることが出来ない苦しみであるということは頭ではわかっているつもりでした。ですが、実際それに直面しますととてつもない悲しみでした。吉田様のご回答の通り、祖母が喜んでくれるような生き方を、私のような凡夫でも、していけるよう頑張っていきたいと思います。ご回答頂き、本当にありがとうございました。
川口様もご丁寧なご回答ありがとうございます。祖母が亡くなってそろそろ1か月がたちます。少し気持ちも落ち着いてはきましたが、ふと何かの拍子に祖母の事を思い出し、目がうるんでしまいます。半年位前までは私たちといっしょに外出したりして、表面上は健康そうに見えましたので、末期癌で余命いくばくもないと聞いたときは本当にショックでした。今は祖母の冥福を祈り、しっかりご供養したいと思います。吉田様も川口様も本当にありがとうございます。今後ともお導きをよろしくお願い致します。