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結婚に向けての話し合い

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有り難し有り難し 21

私は現在、30代で同じく30代後半の女性とお付き合いをさせていただいております。
彼女の方には70代の父親と10代の子供がおり、3人で生活をしております。
彼女と私は将来結婚をしたいと考えておりますが、二人の話より前に彼女の父親は自分の考えを一方的に話し、言うことを聞けと言わんばかりです。
彼女の父親は養子に来てもらう事を望んでるようですが、私と彼女は私が養子に入ることは考えておりません。
私の父親と母親は現在50代ですが20年後30年後の私の両親の介護のことを話され、彼女と私が面倒をみないといけないから彼女の父親は自分の家と土地を売って老人ホームに入ると一方的に話して聞きません。
現在彼女の父親は70代ですので私の両親の介護問題より先に彼女の父親の介護問題が発生してしまいますので先に彼女の父親自身に介護問題を考えてもらいたいと考えます。
彼女は老人ホームとかは考えておらず面倒は見たいと言っておりますそ私もその考えで意見を合わせております。
私は先々の話しより、今の話しの方が大切で将来の事を今、決めても状況が大きく変わる事が多いので今全てを決める事は出来ません。
ですが、彼女の父親は全てを決めようとしてるみたいで困り果てております。
全て自分の思うようにされたいと考えてる所をどうやって話せばわかってもらえるのか教えていただけませんでしょうか。
彼女の父親は自分の言う事は間違って無いと頑固な部分があると思われます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その時になって、そうなった結果こそが真の解決。

今の時点で私がこうしたい、あの人がこうしたいということは残念ながらお互いの机上の空論です。
しかるべき時が来たら、そうならざるを得ないものです。
必ず、ある形の結果におさまります。
それが誰が望んだ形であれ、
それこそが、あなたが自分を介入させる前の解決のカタチです。
もちろん、あなたはそれを嫌がるでしょうから、現在の結果を若葉と見るならば、次の結果を花を咲かせるべく、今の若葉を「原因」として捉え、つぎなる「結果」のために、水、肥料、太陽となる、【縁】を働きかけることです。それがあなたの役割です。
すると結果が変わります。
働きかける行い次第で咲く花の様子も変わるのです。
ちなみに「結果」をさらなる実り、果実とさせるために私が今、あなたに働きかけている縁とは、あなたが「どっちに進んでも大丈夫になる」ようになることです。
もっと大きな男になってもらうことです。 
今から、そうなる前に嫌だイヤだとごねるのではなく、どうなっても目の前のことをやるよ売り他ありません。
私もたった今留守番で赤ちゃんがウ〇コ漏らしでギャーでしたが、洗って、おむつ変えて、今これを打っています。あ、手は洗いましたが。
「世紀末だって過ぎれば昨日さ」とHOTEIボサツも歌っていますように、おむつ替えだって過ぎればさっきです。あなたは最悪の事態を事前に想定して、それをやる前から大騒ぎし過ぎているような気がします。
仮にそうなっても、その世紀末の中、好きになった相手のおむつ替えぐらいできないでどうしますか。
介護の人たちを見倣って、何でもできるようになって下さい。
プロポーズのことば(案)
(´◉◞౪◟◉)
「キミのお父さんとボクらの赤ちゃんのオムツ、ボクに変えさせてもらえないかな?」
指輪を渡しつつ片手にアテント(介護用おむつ)

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有り難し
おきもち

過去の幻影にとらわれぬように

こんにちは。拝見いたしました。

失恋、結婚、出産、と人生の様々な局面を生き、そして今は夫婦関係の不安の中で生活しておられるとのこと。多くの悩みを抱えながらもお子さんを大事に育てよう、家族、両親のためになんとかしようと頑張ってこられたのは本当に頭が下がる思いです。今抱えている苦しみは決してあなた自身が駄目な人間だからではなく、今ある目の前の現実から「逃げずに向き合っている」証拠です。その事は逆に自信を持って良いことだと思いますが、やっぱりしんどくなってしまうこともありますよね。

また、いくつかの悩み事がこんがらがってしまって余計にどうしようと苦しんでしまっているので、解決を考えるのでしたらしんどいですが一つ一つ取り組んでいくしかないようです。肝心なのは「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」ということです。

他人は自分の都合を満たすために生まれてきたのではありません。
自分もまた他人の都合を満たすために生まれてきたのではありません。
例え自分自身を生きて他人に嫌われたとしてもそれは「相手の問題」です。

愚痴をはいて気がすむのでしたらそれはそれでよいと思います。愚痴をはくことも大事です。ただ、解決を求めるならば、「相手をどうしかしたい」という考えをいったん置いて、「自分はどうしたいのか」と心を見つめることです。今嫌な状況でもそれを動かせば失うものはでます。何しても苦労はしますし、状況を変えるのには力もいります。「いつか相手がかわるはず」という希望を持つこともよいですが希望を持った責任はあくまで自分にあって相手にありません。

後悔や「もしあのときああしていれば」という気持ちは、例えそれが現実になったとしても同じような苦しみに陥っていたかもしれません。失ったものや思い出を美化していくのが人間の有り様だからです。そして後悔する時やあの時ああしていればと考えるときは「今に満足していない心」が生み出す幻影です。

ないものを数える人生を送りますか?それともあなた自身に「ある」ものを見つける人生を送りますか?どう転んでも人生は苦しいです。ならば自分が納得できる苦しさを選んでみてはいかがでしょうか。どの道を進まれても応援しております。

合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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