躁鬱病
躁鬱病と診断されました。大丈夫な日もあるのですが、今は過去の忘れたいことに捕らわれて憂鬱です。悲しいです。辛いです。怖いです。
いつまでこの状態が続くのだろうと、過去になどとらわれず日々生きてた自分は取り戻せるのかと心配です。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫。治りますよ。(訂正有)
本回答は医学的見地に基づいたものではありません。僧侶があえて「必ず治る」と発信することで躁うつ病に悩むご本人の生きる力となることを目的とし回答しましたが、躁うつ病は必ず治るものではなく、むしろ受容し病気とつきあっていくことが大切とのご指摘をいただきました。
ご本人及び本回答を閲覧したことによりご負担をかけてしまった皆様にお詫び申し上げます。
りりー様はじめまして、以前のご質問とあわせてご相談拝見しました。まず、躁鬱病は病気です。病気ですから治すことができます。必ず治りますから大丈夫。仏教的に言えば”必ず”なんてことは言えないのですがあえてこう言わせてください。
りりー様のご病気は必ず治ります。
ですから診断された病院でも、そのほか自分がよいと感じた病院でもかまいませんので継続して受診してください。治療はそこでがメインです、以下に述べることは参考程度に聞き流してください。
過去の出来事は大変辛く、ショックが大きかったことと存じます。それについて私ならどうだったかと考えるとやはり心が苦しくなります。大変なご苦労をされましたね。
さて、生きていれば大小の差はあれど辛いことがあるのが人生です。むしろお釈迦さまは一切皆苦(一切全ては皆苦しみである)とおっしゃっています。
しかし、そんな苦しみの中で過去にとらわれる人、とらわれない人がいるのはなぜでしょうか。
よくよく考えてみると過去はみんなにありますね。過去があるから今があります。過去が懐かしいなあ、素敵な思い出だなあと思うこともあれば、嫌だなあ、思い出したくないなあと思うこともあります。
でもどの過去も全てりりー様のいまに影響を及ぼしています。他の人も皆同じ。みんな実は過去にとらわれているんです。
では、とらえている過去ってなんですか?自分の出来事ですね。とらえているのも自分、とらわれているのも自分。どっちも自分です。全部含めてまるごと自分なんですね。
だとしたらとらわれるも、逃がすも、活かすも自分次第。せっかくなら過去を今に活かしてしまいましょう。
辛い経験をしたからこそ他人の気持ちがわかる、人を思いやれる、そんな一面もあるかもしれません。
忘れられないくらいな大きな過去。とらわれているだけじゃもったいない。忘れてなかったことにするのではなく、それも含めてまるごと自分と認めて、今・これからに活かしてみませんか?
質問者からのお礼
ありがとうございます。もしお坊様と一緒に苦しみをわかちあっていただけたのなら・・・そう思うと気持ちが軽くなりました。
躁鬱病、必ず治りますよね。そう信じていきます。ありがとうございます。