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喜びすぎると痛い目にあいますか?

私はサラリーマンで、さらにスキルを伸ばそうと転職活動をしているのですが、かなり行きたかった会社の面接に今日落ちてしまいました。面接の感じがよかったと思っていたので期待していたのですが結果は「お見送り」でした。正直ショックです。
昔片思いしていた大好きな女性に告白して振られたときを思い出しました。
絶望感と虚無感、お先真っ暗な感じで今日は気がふさぎこみました。
期待しすぎるとだめだったときの失望が大きいので、ものごとは期待しすぎない方がいいのでしょうか?何も期待しない人生もつまらないなあと思いながらどうしたらいいんでしょうか?

学校・会社・働く
有り難し 117
回答 2

質問投稿日: 2013年3月29日 15:48

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

お任せしてみる。

転職活動がうまくいかない、ふられてしまう、いずれもつらい思いをされたことでしょう。
うまくいった人のことを聞くと、「何で私は・・・」と思いたくなってしますね。
特に、面接がいい感じだったということですから、辛さもひとしおだったのではないかと、お察しいたします。

しかし、思ったことがすべてかなう、自分にとっていいことばかりが起こるという方は、この世にどれくらいおいでなのでしょう?
人間は泣きながら生まれ、泣きながら一生を送る。などともいわれます。
生きている限り、悲しみや辛さを一つも抱かない人というのは、きっと一人もいらっしゃらないのだと思います。
期待は裏切られる、というのは、あるいは真実のことばなのかもしれません。
しかし、何かに期待し、その期待が実現したときの喜びが大きいこともまた事実だと思います。

私の寺は、浄土真宗の寺ですが、浄土真宗の考えを元にお話しさせていただきます。

清沢満之という僧侶は、「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉を残されました。
ここでいう天命とは、浄土真宗でご本尊としている阿弥陀如来の本願を指しているのでしょう。
阿弥陀様は、すべての衆生を救うという願を立てられました。
故に私たちは救われていると信じることができます。
どのような悲しみや辛さに出会っても、私たちはすでに救われるという安心の地にいるわけです。

ですから、自分のできることは人事を尽くす。それ以上のことは、阿弥陀様にお任せする。私のはからいにはこだわらない。

自分にとってよくない結果は、実は自分がそのためにしたことへのこだわりから、その結果を受けとめるとき、悲しみや辛さを感じるのではないでしょうか。

つらい結果は身の事実ですが、その受けとめは「仏様のおはからい」

一度人間を超えた大きな存在のことを考え、そういうところから自分に起こった事実を考えてみてはいかがでしょう。
事実の受けとめ方が少しは変わってくるのではないでしょうか。

5年1ヶ月前

「求不得苦」へのアプローチ

sec 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

なかなか思うようにはならないのが人生ではありますが、精一杯努力して頑張って期待していた中において、思うような結果が得れなかった時、特に大きな苦しみ、悲しみが生じてしまうのはある程度仕方のないことでございます。

求めても求めても思うように満足できないという苦しみを八苦の一つで「求不得苦」と申します。

この苦しみは、私たちがモノ・コトを実体視してしまう中で、モノ・コトに対してのとらわれ、執着が起こることによる弊害によってもたらされる苦しみと考えることができます。

そのとらわれ、執着が強ければ強いほどに現実のありようがなかなか受け入れられず、よりいっそうに苦しんでしまうことになってしまいます。その苦しみが、絶望感や虚無感にまで至れば、なおさらにしんどくなってしまうのは拙経験からも理解できるところでございます。

「求不得苦」の苦しみから解放されるには、仏教における「空」と「縁起」の理解が欠かせないものとなります。あらゆるモノ・コトは、私たち凡夫が実体視して捉えてしまっているようなものとして成り立っているのではなくて、本来、「空」であり、永久永遠に(実体として)「有る」・「有り続ける」と言えるものではあり得ません。

しかし、全く何もないという「無」というわけでもありません。

モノ・コトは、「無」ではなくて、「縁起」として一応は成り立っていると説明することとなります。「縁起」につきましては、主に三層に分けて説明致しますが、とりあえずのところは「原因・条件・結果の因縁果の依存関係」を理解することでも良いかとは存じます。あらゆるモノ・コトは、様々な原因や条件が作用しあって成立しているだけであり、また様々な原因や条件次第において刻々と変化していくもの(無常)にしか過ぎないのであります。

このことは逆に、原因や条件をできる限りにしっかりと調えていくことができれば、しかるべくの結果も(可能性として)あり得るということであり、ことさらに絶望感や虚無感に陥る必要もないと考えることができるのではないだろうかとも存じております。

「何も期待しない」ということではなくて、結果を出すための条件をまだまだ調えていくための機会が与えられているのだと前向きにお考え頂けましたら誠に幸いでございます。

川口英俊 合掌

5年1ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

ご回答ありがとうございます。
人事を尽くして天命を待つということわざを聞いたことがありますが、それと同じ意味でしょうか?
自分のやれることを精いっぱいやる。結果は天のみぞ知る。確かにそうですね。
どんな結果になってもそれは変化していくもので、どんどん整えていけば結果が出てくるというご回答もありがとうございました。気が楽になりました。またがんばろうと思います!

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