仕事について
最近、転職を繰り返していますが昔から2年単位で繰り返しています。
いつからか仕事は楽するものという考えが定着してしまいました。
ちょっとでも苦しいことがあるとなげやりな態度を取ってしまいます。
どういうもちべ-しょんを持てば苦しいとき乗り越えれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私個人の考えですが…
RPGゲーム(ドラクエやFFなど)を思い出して下さい。
地味にポイントを稼いだりする時期や、勇気をもって挑む時があったと思います。
「何か」を努力して乗り越えないと次ぎに進めなかったと思います。
もちろん、ゲームの途中だけでそのままいる事もできますが、それでは面白くないですよね。
「何か」困難を乗り越えるとそれに見合ったワクワクした世界が広がったのではと思います。
人生もそれに似ているのではと思うのです。
乗り越えた先には新しい世界が広がるかもしれませんよ。
享受 (きょうじゅ)することを 教授させていただきます。
それはある種、力ですね。
無駄な労力を省いて物事を合理的に処理する力にするべきです。
わたしもズボラ人間です。ここでの回答も当初はスマホやタブレットで対応していましたが、全く追いつきませんでした。あえてPCで回答しています。その方が効率よく、素早く回答できるからです。
合理的、利便性を追求することは悪いことではありません。
自分が❝モエる❞スタンスでこなすことです。
そうすると今まで困難だと思っていたことをサクサクこなせる自分にウットリちゃんです。
目的が変わるからモチベーションが高まる子ちゃんなのです。
仕事に行く前に「今日もいつものあの仕事が待っているやれやれ」ではなく、①誰かのお役に立とう②あの人と時間を共に過ごすことを目的としよう③4時間の仕事を2時間で終わらせる負荷を自分に課そう④…など目的を変えてしまうのです。そうすると仕事は楽しめます。
おそらく人間のアタマの中では「仕事にいく」というと「仕事に行く」ということしか見えなくなってしまうのです。それは観念的なものの見方です。あなたの中で仕事に対するイノベーションを起こさないといけません。それは❝享受すること❞なのです。
坐禅会に来られる70過ぎの逞しいおばちゃんが「私は新聞配達をしているけどこの心身がやっている事は新聞の配達だけではないことに気づいた」と悟りを開かれた妙好人のような話をされていました。
これってすごく大事ですよね。べつに新聞配達だけをやっている訳では無い。そんな機械やロボットのような生き方ではないのですよ人間様は。(^<^)
家に居ながら、TVやスマホだけやっているようではツマランでしょう。
5感を開放してみてください。眼にも耳にも心身にも素晴らしいことがずっと享受されているのです。
それを見出すのが仕事の喜びっていうものではないでしょうか。(^<^)