生まれてきた意味
初めまして、よろしくお願いします。私は小さい頃大きな病気をしたせいで足も遅いし、軽い知的障害者にもなりました。中学まで一般の学校に行かせてもらった事だけには親に感謝していますが、私が持病もちということと障害者だということが関係してだと思いますが非常に親が私に対して過干渉な事で私の自由がなく仕事もしていない為ストレスも溜まりつらい状況にいます。とはいえ成人になった時点でバイトでもしていればよかったのでしょうがそういう考えもできなかった私にも否がないとは言い切れません・・・。人のせいにするわけではないのですがろくに恋愛もできずつらいです。色々したいこともあったのに・・・。そんなこんなで結果的には、ニート状態の私が子供の頃 生死をさまよいそれでも奇跡的に助かり今ではこんな生活を送っている状態でそれでも生かされたのはなんでしょうか?長文失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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やってみる
アイランド様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「病気」、「障害」という言葉のマイナスイメージに支配され続けてしまわれているところもあるかもしれません。
「病気だから・・」、「障害があるから・・」と。
もちろん、大小さまざまであり、どう努力しても仕方のないこともありますが、とにかく、何でもそうですが、最初から「諦め」てしまっているところがないでしょうか。
正直、できるかどうかは、実際にやってみないと分からないものでございます。
まずやってみる。もちろん、周りの理解やサポートも必要なこともあるでしょうし、独りでできることも限られています。だからこそ、助け合い、支え合い、分かち合いも私たちには必要となります。
過去の大病で助かった命をどうとらえるのかも、捉え方次第です。
せっかく助かった命、精一杯生きていこうと思う方と、後遺症もあって、普通の人と比べたら劣っていてできることも少ない、どうせやっても無理だからやめておこうと思う方、正直、後者では何も良いことは望めなくなってしまいます。
モノ・コトは全て因縁(原因と条件)によって成り立っています。
私たちの場合では、幸せという結果へと向けての動機と行動が必要となります。まず最初に肝要である動機からして悪い動機であれば、決して良い結果など出るわけはありません。
もちろん、良い動機を持っていても、何もしなければ条件が調わず、結果も望めなくなってしまいます。
良い動機と良い行動、これにより、良い結果も望めるものとなるのでございます。
まだ間に合います。是非、良い動機と良い行動、明日からでも少しずつ調えていくことで幸せへと向かって頂きたいと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌