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生きることについて

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有り難し有り難し 21

現在、うつ病で通院しています。かれこれ発病から10年以上経つでしょうか。

現在はかなり症状も落ち着き、パートという立場ですが、仕事に就くこともできています。上司も病気のことは理解してくれていて、それとなく気を遣ってくれたりもします。恵まれた環境で、今は幸せです。

ですが、ここまで来るのは本当に大変でした。病気の症状ももちろん苦しかったのですが、それ以上に世間のこころの病気に対する差別と偏見の目に苦しみました。たとえば、アルバイトの面接などでも、病気のことは絶対に話せません。

「うつ病の人を採用するわけにはいかない」

病気のことを正直に話すと、そんな言葉が返ってくることもありました。そのせいで激しい人間不信に陥り、よけいに病気が悪くなる。・・・そんな時期もありました。

その時期のトラウマなのでしょうか。今でもふと人間について、生きることについて考えることがあります。いくら法の下の平等を叫んでも、差別はある。人生、どこでつまづいてしまうかわからない。・・・そういったことを思うと、何だか人間や人生というものが、とてつもなく怖いものに思えるのです。

正直、人間として今ここにいることを後悔する時もあります。なぜ、僕は生まれて来なければならなかったか。死にたい、とまではさすがに思いませんが、生きることが怖い、というのが正直な気持ちなのです。

なぜ、こんな恐怖を感じながら生きなければならないのでしょう?
生きることが苦しいのは、やはり当たり前のことなのでしょうか?

よろしければ、ご回答の程よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えより 事実を大事にしましょう

ここに二人の人間がいるとします、。
Aさんは極度の不安症
Bさんは精神的にタフな人
不安を感じやすいAさんは、失うかもしれないことを失う前から、まだ失ってもいないのに「失ったらどうしよう」と思いの上で恐れています。相手にしているのは自分の思いの世界が中心です。
また、過去の経験を終わったことにもかかわらず、いつまでも思い起こす習慣、クセがついています。
ですから毎回、失う前から失ってもいないのに「失うのではないか」と恐れているだけなのです。
自分のその仕組みに気づいていないだけなのです。
そもそも失うとは何でしょうか。
具体的に❝どうなる事❞が現実の世界で❝失う❞ことであるのでしょうか。
それすら明確でない内から失うことをおそれているのがAさんをはじめ、多くの人たちの生きざまです。
さてさて、Bさんには、失うことがありません。
いつも、であっている世界、相手にしている事が❝いま❞の事だからです。
世間の人がいうところの失い、損失、メンツが潰れる、ようなことがありません。
もちろん失敗はするのです。ですが、心に於いて悔やみやクヨクヨがないだけなのです。
現実の今を生きているので、頭の中でのイメージで生きていません。
ですから、何かをやらかした時にもすぐに対処、対応するだけです。
Aさんには特徴があります。Bさんと次の点で異なるだけなのです。
その点に注意すればAさんもBさんと同じくタフになれるのです。
Aさんは考えの世界を中心とした生き方をしているのです。
Bさんは考えや思い、イメージの世界ではなく、事実の世界を生きているだけです。
タフに生きようとか、恐れない様にしよう、などということすらやっていません。
ただ自分の考え、思いというものを良く見つめて、そこに染まらない生き方をしているだけなのです。
もし、そういう生き方を望むのであれば、事実の世界を中心に生きる事です。
それが坐禅です。そういう指導をする指導者の下で学ぶことで必ず、自分の思いに溺れない生き方を手にすることができます。
私もかつてA的人間だったからです。
今、禅を学んだおかげで、自分の思いに惑わされない生き方を手にすることができました。
ぜひ、機会がありましたら学びに来てください。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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「一切行苦」について

しげ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

長らくうつ病を患っておられまして、誠におつらいことでございます・・

うつ病も少しずつ社会的な理解が広がってきてはおりますが、まだまだ色々な偏見や差別もありますのは、誠に残念なことでございます。社会全体が更に理解を深めてもう少し寛容さを滋養していくことができると良いのですが・・なかなか難しいところもございます。

ただ、本当に人間、生きていくということにおいては、代表的にも「八苦」という色々な悩み苦しみが伴うものでありますので、皆大小それぞれでつらくしんどいことをいくらでも経験していくのではないかと存じます。

また、しげ様のように、「生きることが怖い」という想いも皆一様にどこか持ってしまっているものではないかと存じます。

「生きることが苦しいのは、やはり当たり前のことなのでしょうか?」・・釈尊は、私たちが苦しむあり様を「苦諦」としてお説きになられました。「一切行苦」でございます。「行苦」とは、この世には永久永遠なるモノ・コトのあり得ない世界、無実体(無自性・無自相)の世界でありながら、実体視(執着)してしまうことで、無常であること、様々な移ろい行く現象が苦しみとなってしまっているということでございます。

そして、この生きる事における苦しみ、恐怖、不安を無くすための教えをお説きになられましたのが釈尊でございます。

それが、まず代表的な教えとしての「四聖諦」であり、「四法印」という仏法の要となる教えでございます。是非、このご縁によりまして、釈尊の教えを少しずつでも学ばれていかれるきっかけとして頂けましたら幸いに存じております。

また、「生きる事」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いて参りましたのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318925.html

また、上記とも幾つか重複致しますが、「生きる意味」につきましても下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

丹下覚元様
しげです。今回はご回答いただき、ありがとうございました。
失う「かも知れない」という、まだ起きてもいないことについて頭を使い、悩む。・・・まったくもって滑稽ですよね。わかってはいるんです。うつ病には調子の良い時と悪い時があり、僕も調子の良い時はB的考えができるのですが、調子の悪い時にはA的考えが顔を出す。そんな感じです。ですが、覚元様のご回答を拝読させていただき、病気に振り回されない生き方の貴重なヒントをいただいた思いがします。
まずは、自分に今できることを愚直にやっていきたいと思っております。今回の問答も含め、人生は学びの連続なのですね。座禅を学ぶことも今後考えていきたいと思います。
最後に、重ねて今回はご回答いただき、ありがとうございました。

川口英俊様
ご回答ありがとうございます。
そうですね。・・・『一切行苦』、苦しみは僕だけではなく、誰もが皆平等に感じていることなんですよね。頭で理解しているつもりでも、そういった学びの実践はなかなか難しいように感じます。
ですが、これを機に自分なりに生き方、学び方すべてを考え直していきたいと考えております。もちろん、仏法の教えも学び、今後の人生に取り入れていくことができれば、と考えております。
最後になりますが、今回はご回答いただき、誠にありがとうございます。

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一番大切なものはなにか、生きるとは何か

夏に初産を控えてる者です。 何度か転職をしながら10年ちょっと、正社員で勤めてきました。 現職では3年ほど前から勤めてきましたが、1年前から徐々に上司の当たりが強くなり、パワーハラスメントに該当すること(無視、暴言)をされ続け、毎朝突然涙がでる、何も楽しくなり、難聴や吐気、生理不順等の体調変化もではじめ、 心療内科に通うようになっていました。 こんな思いをしながら働く意味はあるのか…と密かに転職活動を進める中で妊娠が判明しました。 上司へ妊娠したことを伝えると「体調を気づかうことはできない。周りに迷惑をかけることを謝罪と説明しろ」と言われて 精神的な糸が切れた感覚と身の危険、胎児の命に危険を及ぼされるのではないかと危機を覚え退職を決意しました。 退職を申し出てからというもの、上司の態度はなぜか軟化し優しくなりました。 きっと私を辞めさせたかったんだと思います。 本来貰えるはずだった出産に関する手当を棒に振ってまで退職を決意したのにあんまりだという思いが強くなる日々。 今はお金が惜しくて悔しくて、日々鬱々と過ごしています。 旦那の稼ぎも決して高くはありません。 あわせて毎月大きな税金をひかれ、怖くて怖くてしかたありません。 胎児の安全の為、と考えた結果なはずなのですが、私がもっと割り切って我慢して在職を続けることで金銭を受け取り続けたほうが胎児のためになったのかも…といまさら悶々と考え続ける日々です。 こんな思いをするなら消えたい、死にたいと考えることも増えてきました。 後悔なのか未練なのか怒りなのか。 お金への執着なのか。 自分自身での収入が途切れることも人生で初めての経験なので、申し訳なさと不甲斐なさ、恐怖心もあります。 そして胎児への喜びや夫婦生活のことより お金お金お金……自分への不当な扱い……のことばかり考え涙が出たりボロボロ毎日です。一体私は何をしたいのか。何が大切なのか。 気持ちの持っていき方、割り切り方がわかりません。

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生きることについて

はじめまして。 いつも有難いお言葉をたくさん拝見させていただいています。 私はずっと努力をしてきませんでした。 本当に典型的な弱い人間だと思います。 勉強も運動も何も出来ません。人間関係でも気を遣ったり努力することが出来ず、またとても影響を受けやすい部分もあり性格の悪い人が集まった場所で幼少期青春時代過ごしていたため無意識に自分がされて嫌だったことを平気で人にしてしまったり嫌と思うだろうなということをわざとしたり相手の気持ちを考え大切にするということがどういうことなのかわかりません。いつも自分に対して雑な人にばかり気を使い、優しくしてくれた人チャンスをくれた人には失礼な態度をとってしまいました。今は反省しているのですが、色々な人に迷惑をかけ気持ちを踏みにじり罪悪感でもう死んだ方がいいのではないかと思いました。心が酷く汚れてしまって取り返しもつきません。油断すれば常に周りの人に嫉妬し努力もしてないのに自分ばっかりこんな嫌な目に会うのかと不満でいっぱいになってイライラしてしまいます。まだそばにいてくれる人はいますがその人たちにも過去に自分の考えを押し付けたり陰口を言ったり嫌な気分にさせ傷つけました。もう関わらない方が相手のためになるでしょうか。もう何も楽しめる気がしません。楽しいと感じることがわかりません。自分の好きなことやりたいこともわかりません。口を開けば愚痴かネガティブなことしか話せないので申し訳なくて人に会うことももう辞めてしまいました。気力が湧きません。辞めたいと思っていることもなかなか辞められません。ずっと寂しくて仕方がありません。容量が悪く学歴も何の取り柄もない努力できない私はどうやったらダメな自分から変われるでしょうか?まとまらない文章で申し訳ありません。お手隙の際にご回答いただければ幸いです。

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毎日悲しみを感じて生きる人は沢山いますか

毎日悲しみを感じて生きる人は沢山いますか? 当たり前の事ですか? 私は障害者で学問の夢もスポーツの夢も恋愛の夢も叶いません。 経済的自立は奇跡が起こらないと難しく、努力不足というより同じ病気の人なら当たり前のようです。 もちろん家庭を持っても家事育児には体力が足りません。 だから大学受験も就活も婚活もできません。 特にパートナーがいないのが寂しくて悲しくて仕方なく、毎日泣いています。 私のように毎日悲しい人は珍しい事ですか、当たり前にいますか。 若い人は、そんな人はあまりいないのですが、お年寄りなどは、周りがどんどん死にますし、毎日悲しい人もいるでしょうか。 私は希望とは、都合のいい妄想を信じ込む事ではなく、悲しくても現実を生きる暮らしにあるのではないかとこの頃思います。 毎日悲しさを感じる事は異常ですか? 現実を変えようにも、私の努力では、今の医学では、普通は無理なのです。 毎日悲しくても、いいんでしょうか。 自立は無理でも、家でできる仕事があり、それで何か奇跡的にヒットしたら経済的には自立できるかもしれないので、その可能性にかけて仕事はできる範囲でやっています。 ただ、学問の夢、スポーツの夢、恋愛の夢、新しい家族を作る夢は、自分の努力ではコントロールできません。 自分の努力不足でもないのに自分を責めるのはやめようと心がけていますが、失った青春に対する悲しみ、同世代の友達が掴んでいく幸せと自分の違いは生まれつき健康だったかだけで、それを学校の先生からは努力不足と責められてきました。 大人になり、学校の先生は医学的知識が無いという事情があった事に気付きました。 私はずっと先生の言う通り努力不足かと思い、体に鞭打ってきましたが、どうにも治りませんし、医者が言うには当たり前で、精神論で治る訳が無いそうです。 ただ、今まで先生が言うように心さえ成長すれば治るという希望があったのに、それが現実を理解して打ち砕かれました。 だから悲しいのです。 ありえない事を信じるのではなく、現実を見た上で生きるには、毎日悲しい思いが湧いてきても仕方がないように思います。 医学的にあり得ないことを信じていた頃は幸せだったのです。 現実世界を生きるためには毎日の悲しみとどう向き合えばいいでしょうか?

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真剣に生きるとは

真剣に生きるとはどういうことでしょうか。 私には2歳6ヶ月と1歳の娘2人がいます。子供たちにご飯を食べさせて、洗濯物を干して畳んで、子供たちと遊んで、買い物に行って、家族のお夕飯を作って、子供たちをお風呂に入れて、寝かしつける毎日です。 お掃除は苦手なので、お風呂掃除は夫が毎日していて、掃除機かけはお休みの日に夫がしてくれます。たまに私もやります。 ひとりになる時間はほとんどありません。日中は子育てサロンに行ったり、自分の実家に行ったり、お家の中で遊んだり公園に行ったりしています。 毎日同じように過ごしていて、自分が何のために生きているのかわからなくなりました。 というのも、昨日、夫から「真剣に生きてる?真面目に生きてる?」と聞かれたからです。 その瞬間、自分の存在を否定されたような気がして、涙が出て止まりませんでした。 たしかに、日々努力して何かを頑張ってやったり、目標というものはないです。ですが、毎日必死に子供のことやお家のことをやっているつもりでした。 子供たちにイライラしてしまうことがあって手が出そうになったりすることもあります。毎晩、反省しています。 しかし、やっているつもりで、本当はできていなかったのでしょうか。 私は、自分の時間を犠牲にして子供やお家のことをやっているとは思っていません。家事育児は当然だと思っています。 でも心のどこかで、自分は自分の時間を犠牲にしてるのにと思っているのかもしれません。 夫は仕事で夜21時過ぎに帰ってきて、好きなテレビを観て笑っています。 家庭のために遅くまで仕事をして、収入を得てくれているし、家事もやってくれています。 私は何をしたらいいのでしょうか。真剣に生きるとはどういうことなのでしょうか。

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