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苦手な上司と付き合っていく方法

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

職場内外誰それかまわず正論をぶつけ、
周りから警戒されている上司がいます。

事務所の中では、正社員もパートもみんな萎縮して、
極力かかわらないようにしています。

それでも、報告などをしなければならないときは
何を言われるかわからないと思うと緊張してしまい、
言われた後も何を指示されたのか分からず、
その後、全く動けなくなってしまうことがあります。
今まで担当してきた仕事上でも、
細かく指摘されて自身をなくしてしまっています。

仕事が終わっても、翌日職場でまた顔を合わせると思うと
自宅で気分が落ちています。

私は異動で今の支店に来たばかりで、
本社もその上司を異動させない方針なので、
長い付き合いになりそうです。

このような上司と少しでも
良い関係で付き合っていくには、どうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手をどうこう変えるのではなく

メリークリスマスですね。
変わらないものを変えたいと思い、そしてそれが変わらないで苦しい。
苦しみの典型ですね。メニ―苦しみマスですね。
まずは、そういう上司、そういう人間、そういうタイプのキャラクターであると認識しましょう。
ただし、そこにメッセージ、情報、いわんとすることだけを受け取る事です。
たとえばクレーム係に勤める人は、相手がいくら起こっていてもそこに相手からのメッセージをちゃんと受け止めます。怒り声、がなり声、イラつき、威圧感、ピーピーはメインではありません。
ローストチキンでいうと、焦げ目であると思いましょう。
焦げ目のパリパリ感も楽しみましょう。
あなたがメインディッシュを取り違えなければ毎回、毎回すべてが授かりモノです。
どんな痛みも苦しみも授かりモノなんです。そこで学ばないことはありません。
あなたもその上司から痛い目にあわされるという授かりがあったからこそこちらに足が向いたのです。
そうです。どんな不運も授かり、恵みと致すべきなのです。
それが❝いかす❞心です。自分を活かしてください。相手からも、不運不幸メッセージばかりをキャッチせずに、授かり、気づきに感謝する姿勢を持ってみてください。
「色々、私の至らないところに気づかせを与えてくださってありがとうございます」という謙遜謙虚な気持ちを持ってみましょう。そうすればあなたから争いが無くなります。対立心が無くなります。
メニ―苦しみマスにもクリスマス停戦を。
神仏を隔てず、手を取り合いましょう。
祈りの手も、合掌の手も、握手も、本質は❝手❞でやることですが、手の形がどうであれ、そこに謙遜、慎みの心が生まれるjことがメインです。メインディッシュを取り違えてはいけません。
すべてが授かりなのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

怨憎会苦にも生かされいる

huki さん、初めまして
石川県の大熊と申します。

huki さんは「怨憎会苦」という仏教用語をご存知でしょうか?
いわゆる「四苦八苦」の苦のひとつ、単純に言えば「怨み憎い人とも会わねばならない苦」です。現在のhuki さんはこの状態でしょう。
しかしこれは反面教師と考えればどうでしょう?
本社がその上司を評価しているから今の立場に置いているのであり、部下を成長させるためにも色々言うのかもしれません。また同僚の方々が皆萎縮しているということですが、本当にそうなら組織として成り立たなくなっていくはずです。皆色々納得しないまでも、会社としての実績が出ているのなら正しい方向に向かっているのかもしれません。
上司の方も中間管理職の立場で、huki さんよりストレスが溜まっているかも?
huki さんが上司や同僚の様子を、人として・社会人として冷静に見ることが出来れば、将来huki さん自身が管理職になったときの力になるでしょう。
人生は全てご縁によって生かされているのです。
良いご縁も、今回のhuki さんにとっては悪い(?)ご縁も、あなたを人として成長させ生かしてくれるはずです。
理想としては、部下同僚に好かれ仕事も出来る上司に成れれば良いのですが、それが難しいのも世の常です。
たまには、上司の良さも探して下さいネ!

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有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしております。 過去の経験から、僧侶が聴聞の方々に一方的に話すだけの法話スタイルに疑問を感じ、悩んでる人・苦しんでいる人・勿論そうではないチョット仏教に興味がある人のお話しを聞き、対話する中でより良い方向を一緒に探す事を重要視しています。 お気軽にご相談下さい。

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