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友人の悲報を伝えるべきか、伝えないべきか

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長文失礼します。

先日、私の先輩が亡くなられました。
その先輩は、人付き合いが苦手な私を叱咤激励してくれて、いつも心配してくれる。
優しくて本当に明るい方でした。

亡くなられた日、先輩が危篤だと聞いて、先輩に会いに行きました。
いざ、死を目の前にすると言葉が出ないものですね。黙ったまま先輩のそばに立ってることしか出来ませんでしたが、先輩は、安らかに眠られました。

その時、先輩の旦那様からは、先輩の死を周りに知られたくないと言うことで、他には言わなくて良いと言われてました。

すいません、ここからが本題です。

先輩のお通夜の当日です。
偶然に、先輩と親交のある方で、私も面識がある方に道端でお会いしました。
その方をAさんと呼ばせてもらいます。

Aさんは、私と先輩が仲が良いことをよく知っていました。先輩が、Aさんに私の話を話したり、あの子をよろしくっと言われたことがあると、Aさんからと聞いたことがありました。

挨拶をしてすぐにAさんから先輩はどうしているか?と聞かれるだろうと、絶対心配してるから予想はしていました。
ご家族の意向もあるので、先輩のことは、黙っておこうと最初に決意していたのに、実際先輩のことを聞かれるとすごく戸惑いました。
この方に嘘はつきたくないし、最後のお別れをせず、後日に人の噂で先輩のことを聞くのは、どうなのだろうかと思ったのです。

その友人の方は、先輩の病気のことも体調がここ数日悪いことも知っていましたし、
あまり会いに行けば気を使うし、無理をさせると遠慮されていたのを、私はよく分かっていました。
私に会えば、まず最初に先輩の体調を聞いてくるような方です。

結局、私は先輩が亡くなられたと言う事と、
今日がお通夜があることを伝えてしまいました。

私のこの行いは、ただ自己満足の話で、先輩に対してもご友人の方に対しても果たして良かったのか。

寝る前や、1人になった時、とてつもなく後悔の気持ちが溢れてきて、ごめんなさいと何度も泣きたくなり、私の旦那からもいつまでもくよくよするなと怒られる始末です。

皆様なら私のような状況の時、どのような行為を取られますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでいいですよ。

忘れな草さん。
すてきなお名前ですね。

Aさんの故人に対する思いを分かった上でも、遺族の方が同じコトバをあなたに伝えたかどうかというとそうではないような気がします。

Aさんがあなたの言葉を聞いても、通夜に参列する・しないの決定権は忘れな草サンではなくAさんが持っていらっしゃいます。
万一、Aさんが追悼の意を先輩の旦那様にお伝えしても、Aさんの先輩の旦那様との関係性の中で責任を取るべきもの。忘れな草さんが責任を取るべきものではありません。

忘れな草さんのできることは自分を責めることではなく、先輩のことを思うこと。
「自分のこと」でメソメソして体調を崩すより、「先輩の尊さ」を忘れずにいる。
先輩がご存命ならどんなフォローの言葉をあなたにかけたと思いますでしょうか。

自分への執着より、先輩のおかげで今の自分があった。そのことへの尊さを大事にしてあげてください。

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泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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故人は家族ばかりを照らしてきた訳では無いから

人はいずれ亡くなりますね。
人の死は誰かが個人的に隠して知らせなくても、その方の人生が終焉となった、亡くなられたということは事実です。
誰に対する尊厳をこそ優先するべきでしょうか。
その方はあなたと同じく亡くなられた先輩と親しかった方です。
別にその後、あなたも誰それ構わずにべらべらとしゃべったわけではありませんし、確かにご遺族からはそのように伝えられたにせよ、その方の❝死❞は誰のものでもありません。
月は誰でも照らします。人は縁ある人を照らします。その光を浴びた人には縁ができます。
数か月前、あるお寺で一日に同時に2件お葬式がありました。A家B家とします。
A家は、親戚だけで大型バス2台で火葬場まで弔問客があふれ、故人様の徳がしのばれました。
B家は、お葬式などしなくてイイ、ネットで調べたらもっと安い方法があるお布施を安くしてくれ、海か山に捨ててしまおう、今後お盆やお彼岸にお参りに来るのもめんどうだからお墓も要らんので、檀家にもならない、家族も不仲でもめている、でも火葬が済んだらお寺でお経だけあげてくれという完全にご都合主義な家族でした。当日「あ、弁当急きょ2つ追加してくれる?」と段取りハチャメチャ場当たり的自分主義で業者もさんざん振り回して困らせた程でした。
何がこの二つの家を大きく変えたのでしょうか?
それは生前の故人様の生き方にこそあると思いました。
どれだけの人を照らしたか、どれだけ人とのかかわりを重宝されてきたか、そして個人様の意思が尊重されているか、にこそあると感じました。そして遺族に公共心があるか、ということです。
人の死って、本当はワタクシしちゃいけないことだと思います。
私の親友が亡くなったら、遺族が知らせんでくれ、といってもお通夜やお葬式の日にちが公表されなかったにせよ「せめて最期くらいはお別れをしたい」というのが人間の心情というものです。
高齢など余程ご遺族の御事情でもない限りは、家族とはいえ、その方が生前関わりが深かった方とは最後のお別れを出来るよう、はからいをするのが遺族の故人への最後の務め、お通夜、葬儀式、告別式というものであると考えています。

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質問者からのお礼

泰庵様
お返事ありがとうございます。

確かに私は自分のことだけで、先輩のことを思っていなかったことにおかげで気づくことができました。

思い起こせば先輩はとても明るい方でしたので、何言ってるの?って笑いながら言ってくれるようなそんな気がします。

先輩からもらった言葉を思い出しながら、自分に出来なかったこと、足りなかったことを一つ一つ実行して、感謝の気持ちを先輩に報告しにいきたいと思います!

丹下覚元様
お返事ありがとうございます。

先輩のお葬式が終わり、2週間ほど経ちましたが、今だに心残りがあるのが事実でして。

ご家族の考えを否定するものではないのですが、
お通夜の参列の際、会社関係、身内の方のみの参列に言葉に出来ない疑問がありました。

生前の先輩は、とてもたくさんの方に囲まれいつも笑い声が聞こえるそんな姿ばかり見てきたものですから、あまりの現実とのギャップに、頭がついていかないような気持ちでした。

告別式の後、悲報を風の噂などで耳にしたまわりの友人からは、なぜ教えてくれなかったのか、最後のお別れをしたかった、などの声ばかりです。

覚元さんのように、私も、友人のお通夜にはどうにかして参加したいと思いますし、お世話になった方なら尚更言葉を伝えたいと思います。現に皆、同じ思いであった事を実感しています。

まだ四十九日も終わっていませんので、
友人の方には、先輩の家にあるお骨に手を合わせられるように私がご家族の方に連絡取りながら、機会を作ることをしてあげれればと思っています。

安穏寺 丹下様
回答のほど、ありがとうございます。
お返事が遅れましたことお詫びいたします。

あまりに自分思考で勝手な考えであったことに気づいたおかげで、
今出来ることをしようと前向きになれました。

後にご家族の方をお話する機会がありまして、少し気持ちの程を伝えることが出来ました。

先輩を見送りたかったという方はとてもたくさんおられたんだということ、みんな先輩のことが忘れられないということ。

そして、四十九日まで実家の方に居てるので連絡をいただければ、手を合わせに来てくれたら良いという返事をいただきまして、後日数名を連れて実家に行く予定です。

ありがとうございました。

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