人を羨まず生きるにはどうしたらよいのでしょうか
過去にうつ状態で休職となり天職だ。と思っていた仕事を手放し復職後は別の内容の仕事に移りました。あのときは仕方がなかった、と思う一方で手放したことで自分が大切にしていたものを無くした気持ちになってしまい虚しい気持ちや悲しい気持ちになることが数年経った今でもあります。
順調にキャリアを重ねていく後輩や休職前は同じ立場で切磋琢磨していた同僚がいまいろいろなことを成し遂げていく姿を見て苦しくなってしまうこともあります。そんな妬ましい感情を持つ自分も嫌いです。というよりそんなふうに人の活躍を喜べない自分を認めるのが本当は嫌です。
そんなことよりこれから自分がいまの場所で輝けるように努力すればいいのに、とも思います。でもどうしたらよいかが見つからずもう何年も霧のなかにいるような状態で晴れ晴れとした気持ちになることがありません。
でも今の仕事を辞めることは逃げになる気がしてそれはしたくありません。
穏やかに晴れやかに自分の役割を全うし人の努力を認め羨まず過ごすには私は何を心がけるべきなのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不完全な自分を許してあげてください。
かよさん
天職だと思っていた仕事を、
うつ状態になったことにより手放してしまい、
あのときは仕方がなかったと思う一方
実は仕方がないと思えていない
そのため
自分の手放してしまったものを
後輩や同僚の中に見てしまい
苦しくなり、妬ましくなってしまう。
自分自身が成し遂げたかったことを
他者がしているのを見て妬ましく思ってしまうのは
あなたの人間性の問題ではなく、
起きてしまう自然な感情だと思います。
まずはそういう嫌な自分を受け入れてあげましょう。
また
そういうかよさんにとって
今の職場は辛い場所といえると思います。
「今の仕事を辞めることは逃げになる気がしてそれはしたくありません。」
ということですが
あなたの本音は今の仕事を辞めて、逃げたいのかも知れません。
あなたの心は傷ついています。
手放してしまった自分
妬んでしまう自分
逃げたい自分
あなたにとっては受け入れがたい
許せない自分かもしれませんが
全て大切なあなたです。
不完全な自分を許してあげてください。
そして改めて
仕事を通して自分は何をしたいのか
ステップアップすることなのか
他者に勝つことなのか
そうではないはずです。
真の意義を確かめてみて下さい。
土俵は一つだけじゃない
会社視点で考えましょう。
あなたの会社で作っている物がありながら、他の会社のものが優れているならば、なぜさらにその製品の品質を高めようとしないのでしょうか。
身体能力視点で考えましょう。
あなたはあなたの持っている眼があります、観る力があります。
聞く力、嗅ぎ取る力、読む力、伝える力、感性、観点、独自の頭脳があります。
それこそがあなたの最高の商品力、想像力、アナタ力なのです。
あなたの眠っている能力を引き出す以前から表面的な比較で勝敗優劣を競っているだけなのではありませんか?
たとえばCMを流し見してみてください。
どれ一つをとっても同じものはないでしょう。
ですが、どれもみんなそれぞれの個性があります。
また、それを受け止めた人が必ずしも購買意欲を起こすかと言えばそんなこともありません。
ただ認知されるだけにとどまるCMもあれば、お笑いだけで何の商品かわからないものもあります。
ものも人も存在するだけで、どこの誰にどのような効果をもたらせるは無限の可能性を秘めているものです。比較するならば、具体的に何という点に於いてどちらがどのような効果があるのか。
誰もがインプット、アウトプットの能力があります。
インプットされたものをあなたの中で消化し、あなた独自のエフェクトをかけて、あなたの言葉、あなたの勘性、あなたの持ち味で、あなたが送り出して最高になれるものを作り出してください。
努力は要ります。
成果を出している人は、それなりに他のものを捨てているからこそ、その成果を出しているのです。
まずは、人と比べず、人を意識せず、努力を怠らず、人の畑の作物は意識せず、自分が本当に安心して食べられる野菜、人に提供しても大上手な野菜作りとでもいうべき、自分のアート、作品、仕事づくりをしていきましょう。
人との比較のために良いものを作るのではありません。
自分が喜ばしいものを作って、自分が納得するように努めていくべきです。
質問者からのお礼
中根信雄様
お返事をいただきましてありがとうございました。
「不完全な自分を許す」自分の心が「傷ついている」というお言葉にそうなのか。とはじめてふに落ちた感じがしました。
これまでまず「許す」べき相手は妬ましく思う人に対してだと思っていた(そうすればいつかは自分も周りを温かく見られるのかなと思っていました)のでそれができないことが駄目な人間の
ようで苦しかったのかもしれません。更に自分で自分を傷つけていたのかもしれません。
それから、自分が本当にやりたかったことは出世ではなかったことも改めて思い出しました。やりたかったのは「自分の勤める施設に入所しているお年寄りが『人生いろいろあったけどまあここに住んでみてそれも良かったな』と日々思うこと。それと施設に預けたご家族が
『ここに預けておばあさん(おじいさん)がいつも笑っていて良かった』と思うこと」そんな
支援ができる介護士であり続けること。
立場が上がれば自分が積んできた知識技術思いを研修等で後輩らに広く継承していけると考えていたからそれができなくなったことを悲しいと思っていましたがそれ自体おごりだったかもしれません。
大事なことに気付かせていただきありがとうご
ざいました。立場などなくても自分にもできることはある。そう思います。自分を許し、他人を許し介護という仕事を大切にしていきたいと思います。