生きるのが怖い
先日、愛がわからないでご相談させていただきました。
その際は暖かいお返事ありがとうございます。
もう1つ長年心にあることについて、ご相談させてください。
タイトルに載せた通り、生きるのが怖いです。
自ら命を絶とうとは思いません。生きるのが怖くて、逃げたくて、消えたくなります。
両親も元気、仕事もある、友達もいる… 環境的には恵まれています。
ただ、パートナーがいない不安、お金に関しての不安…仕事を、今後どうするのかということ…様々な不安感がどうしても消えません。
人生における目的もわかりません。
なぜ貯金をするのか、なぜ働くのか、なぜ生きるのか。
ないものにフォーカスしすぎているだけなのでしょうか。
情熱的に生きていきたいのに、一丁前にああしたい、こうしたいという気持ちがあってと、パワー不足になってしまうのです。
そこから自己嫌悪の始まりです。
生きるのが怖い気持ち、少しでも軽くすることはできるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
共に充実して生きていきましょうね
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる生きることが怖い、それはどなたもが潜在的に持ち合わせている思いだと思います。今も私は生きることや病いになること、年をとること、死ぬことがとても怖いです。頭ではどれも人間だから生き物だから当たり前なのですが、向き合うと、考え想像するととても怖いですね。子供の頃私は考え始めると恐ろしくなって一歩も外に出られませんでした。学校にも行けなくなりました。今考えると不思議に思いますね。
私達は様々なご縁によって今を生き、様々なものや人々によって生かされおります。私達の生命は自分のものでもありますが、自分だけのものでは有りません。又次から次へと移り変わる存在なのです。そしてあまたのものや人々に囲まれて今を、そしてこれからも生きていきます。そう考えるとどうでしょうか。不思議と怖さが少しずつ引いていくように思います。
あなたも私もあまたのもの人々に守られて生きています。どうかそのことを踏まえてこれからの人生を様々な方々に出会いそして様々な経験からあなた自身がご成長なさって頂きたいと思います。同じ時を生きる同僚として共に充実して生きていきましょうね。かげながら応援させて頂きます。
「不生不滅」
なー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「生きる」ことや「死ぬ」ことについての色々な不安や恐怖というものは、おおよそ「無知」からきてしまうものであると考えることができます。
仏教的には、「無明」(むみょう)と申しまして、真理を知らない愚かな心の状態のことを申します。
では、その不安や恐怖を無くすためには、どうすれば良いのかと申しますと、「生死」の真理をしっかりと理解して見極めることが必要となります。
その真理の見極めへと向けたヒントの一つとしては、「般若心経」の中にも出て参ります「不生不滅」という言葉の示めそうとしているような内容の理解となります。それは、簡単に申せば、「空と縁起」についての正しい理解となります。
では、その内容は・・と、ここで説明を始めさせて頂いたとしても、まだまだ理解されていくのは難しいのではないかと存じます。
そこで、是非、これから、その不安や恐怖を無くすために、「不生不滅」の内容の理解へと向けて、仏教にもっと興味を持って頂きまして、一から学ばれていって頂けましたら有り難くに存じます。もちろん、その中で分からないことがございましたら、hasunohaもどうぞ頼りになされて下さいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo AzumA様
お返事ありがとうございます。
私は自分1人で存在しているわけではないのですね。
今まで出会ってきた方々の力で生かされている…それだけで、少しパワーが出てきたのと、幸せだなぁ、と心があったかくなるような気持ちになりました。
忙しさを理由に、周りが見えていなかったように思います。気づきをくださって、どうもありがとうございました。
川口 英俊様
お返事ありがとうございます。
とても深い内容で…是非理解を深めていきたいと思います。
アドバイスをくださってありがとうございます。