hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お葬式の晩に起きたことの意味

回答数回答 3
有り難し有り難し 46

実家の父が亡くなったときのことです。無事にお葬式を終えた晩のことだったと思います。
寝室を暗くしたあと、なかなか寝付けずにいました。
やっと、うとうとしてきたときに、押し入れから「チャリン....チャリン...」と金属音がするのです。驚いて意識がはっきりした後も数回聞こえました。
そんなことが2日程続きましたが、どういう意味なのでしょうか?

押し入れには布団しか入っておらず、金属製の物なんて入っていません。
私は勝手に亡くなった父が6問銭を鳴らしていると思ってしまいましたが、なにしろ深夜のことでしたので怖かったです。

我が家は浄土真宗なのに葬儀屋さんの言われるままに、旅装束を着させてしまったから怒って現れたのでしょうか?それとも、逆に感謝してくれたのでしょうか?それとも、何か他に心配事があったのでしょうか?

と言いますのも、実は母が亡くなり、これからお葬式をしなければなりません。
今度は旅装束を着させないつもりですが、金属製の6問銭や護り刀をどうすべきか悩んでしまいます。

※参考までに、ですが...父のお通夜から49日まで、透明な煙のようなものが鏡越しにみえたり、家鳴りなどの物音がよくしたりしていました。不思議なことに49日が過ぎたら、その様なことは起こらなくなりましたが....。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝まれる者

ふくまる様

はじめまして、釋慧心と申します。

お葬儀の晩の体験、読ませて頂きました。
また、この度はお母様のこと、お察し申し上げます。

私は、母の通夜の晩に、寝室で母の姿を見たように思います。
また母の満中陰には、まさかと思うのですが、大阪の空に流れ星を見た、と思っております。

見間違いなのか、何か未だに分かりません。
ですが、先日祖母の葬儀や満中陰を勤修しましたが、何も見ておりません。
勝手なものなのかも知れません。
人間の脳は意外にアヤフヤなものらしいですね。

私事を沢山書いてしまいましたが、
浄土真宗をご信仰頂いておられるということですので、
葬儀での浄土真宗の作法や取り決めでは、
故人に旅装束を着せたり、六問銭や守り刀、杖を持たせることはしません。
また、清め塩や、棺を回したり、お茶碗を割ることも御座いません。

臨終をお迎え頂きますと、すみやかに仏さまの働きにより、必ずお成仏して頂くと考えるので、
臨終の場所が浄土であり、死後に旅をされたり、迷いの世界に留まったりされません。

それをしたからといって、怒られることは御座いませんが、仏さまのお心に叶わないからしない、する必要がないということです。

仏さまの願いのまま、既に成仏されておられる方のお成仏を我々人間が願うというのは、
仏さまのおはたらきにお疑いを持つことになりかねないので、死後、仏前や尊前において、我々が成仏を願うということもしません。

成仏とは、成る仏と書いております。

仏に成る。それが成仏と言えます。
では、仏とは何を指しますでしょう。

仏とは、救う者と言い換えても良いでしょう。
もちろん他にも仏を指し示す定義はあります。
衆生を救う働きをされるものを仏と呼びます。

我々は、救われる側です。
救う者をもう一つ言い換えますと、
拝まれる者と言えないでしょうか。
我々は拝む者です。
拝まれる者は、拝む者の正しい導き、
変わることのない拠り所、揺るぎない支えになって頂きます。

一つには、これに成ることを成仏と呼んでいるのでしょう。

お葬儀の晩の出来事の是非や真意の判断は簡単には出来ませんが、
成仏して頂くということは、私の拠り所、支えに、これからもなり続けるぞと、私に呼び掛けて下さっているのです。
それに感謝申し上げ、ご苦労を偲び、素直にそのお声を頂くことが大切です。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派です。 有髪に非僧非俗、 肉食妻帯(現在は独身ですが)...
このお坊さんを応援する

父は成仏していったのです。

ふくまるさんへ、こんにちは。

不思議な経験をしたのですね。
私もそうでしたが、親の葬式にはいろいろな体験をするものです。私もそうでした。
それは不吉ではありません。念仏を唱えているのですねから、極楽浄土に向けての御霊の動きが不思議な体験をさせているのかも知れません。
念仏をとなえて、是非親の成仏をお祈りください。念仏を心を込めてあげれば大丈夫です。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email...
このお坊さんを応援する

阿弥陀様にお任せいたしましょう。

こんにちは。拝見いたしました。

葬儀が続きお疲れのことと思います。

この世には不思議な事はたくさんあります。不思議でないことを探す方が難しいでしょう。浄土真宗の作法にて葬儀が出来なかったとしても問題はないと思います。阿弥陀様という仏様は生きとし生けるものを「比べず、嫌わず、見捨てず」と誓っておられる方です。信仰篤い方であったかどうか、心の中のことは本人にしかわかりませんが、例えそうでなかったとしても、だからこそ葬儀という儀式によって阿弥陀様との仏縁(仏様にさせていただく絆)を頂戴いたします。49日間とは人が次の迷いの生へと生まれ変わる期間と言われております。お父様(お母様も)阿弥陀様の誓いによって安らかなお浄土へと生まれておられることと思います。

答えを急がずゆっくりと味わう時間、悲しみから学ぶ時間を大切にしていただければと思います。あるいは仏様について考えるきっかけを残していってくださったのかもしれませんね。さて今度は私たちの番です。仏様との御縁を共に大事にさせていただきましょう。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

染川智勇さま
お答えくださり誠にありがとうございます。心が少し楽になりました。

本当に49日を過ぎてからは不思議な現象が起こらなくなり驚きました。
実はそこで悩んでしまったのです。

浄土真宗では亡くなった後、魂はすぐに極楽浄土へ向かうとお聞きしました。
でも父と思われる魂はは49日まで、私の周りにいたのです。

私が旅装束を着させたから、すぐに極楽浄土へいけなかったのではないか、心配になりました。

それとも父のようにあまり熱心ではない浄土真宗信徒の葬儀では一般的な旅装束のような用意が良いのでしょうか...?

母の葬儀を数日後に控えた今悩んでしまっているのです。

釋慧心さま

詳しくお教えくださりありがとうございます。
迷わずに仏さまを拝み、教えを信じることが大事なんですね。
母の死が辛すぎて色々なことを考え、迷ってしまっていました。

でも、もう大丈夫です。
心がスッキリしました。
迷わずに、疑わずに、信じて送り出せます。
ありがとうございました。

釋 健樹さま

ご回答ありがとうございます。
そうですね。
父が亡くなったことによって、仏さまとの"ご縁"をいただいたのですね。

父のことがあって、初めて浄土真宗について調べました。家のお仏壇や法要の仕方も間違いだらけと気づかせてくれたのも"ご縁"があったからなんですよね。

この"ご縁"によって、怖くて話しかけられなかったご住職も、実は優しいお方だと気付かせていただきました。

折角いただいた"ご縁"ですので、ゆっくり考え、心で思い、大事にいたします。

ありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ