お葬式の晩に起きたことの意味
実家の父が亡くなったときのことです。無事にお葬式を終えた晩のことだったと思います。
寝室を暗くしたあと、なかなか寝付けずにいました。
やっと、うとうとしてきたときに、押し入れから「チャリン....チャリン...」と金属音がするのです。驚いて意識がはっきりした後も数回聞こえました。
そんなことが2日程続きましたが、どういう意味なのでしょうか?
押し入れには布団しか入っておらず、金属製の物なんて入っていません。
私は勝手に亡くなった父が6問銭を鳴らしていると思ってしまいましたが、なにしろ深夜のことでしたので怖かったです。
我が家は浄土真宗なのに葬儀屋さんの言われるままに、旅装束を着させてしまったから怒って現れたのでしょうか?それとも、逆に感謝してくれたのでしょうか?それとも、何か他に心配事があったのでしょうか?
と言いますのも、実は母が亡くなり、これからお葬式をしなければなりません。
今度は旅装束を着させないつもりですが、金属製の6問銭や護り刀をどうすべきか悩んでしまいます。
※参考までに、ですが...父のお通夜から49日まで、透明な煙のようなものが鏡越しにみえたり、家鳴りなどの物音がよくしたりしていました。不思議なことに49日が過ぎたら、その様なことは起こらなくなりましたが....。
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拝まれる者
ふくまる様
はじめまして、釋慧心と申します。
お葬儀の晩の体験、読ませて頂きました。
また、この度はお母様のこと、お察し申し上げます。
私は、母の通夜の晩に、寝室で母の姿を見たように思います。
また母の満中陰には、まさかと思うのですが、大阪の空に流れ星を見た、と思っております。
見間違いなのか、何か未だに分かりません。
ですが、先日祖母の葬儀や満中陰を勤修しましたが、何も見ておりません。
勝手なものなのかも知れません。
人間の脳は意外にアヤフヤなものらしいですね。
私事を沢山書いてしまいましたが、
浄土真宗をご信仰頂いておられるということですので、
葬儀での浄土真宗の作法や取り決めでは、
故人に旅装束を着せたり、六問銭や守り刀、杖を持たせることはしません。
また、清め塩や、棺を回したり、お茶碗を割ることも御座いません。
臨終をお迎え頂きますと、すみやかに仏さまの働きにより、必ずお成仏して頂くと考えるので、
臨終の場所が浄土であり、死後に旅をされたり、迷いの世界に留まったりされません。
それをしたからといって、怒られることは御座いませんが、仏さまのお心に叶わないからしない、する必要がないということです。
仏さまの願いのまま、既に成仏されておられる方のお成仏を我々人間が願うというのは、
仏さまのおはたらきにお疑いを持つことになりかねないので、死後、仏前や尊前において、我々が成仏を願うということもしません。
成仏とは、成る仏と書いております。
仏に成る。それが成仏と言えます。
では、仏とは何を指しますでしょう。
仏とは、救う者と言い換えても良いでしょう。
もちろん他にも仏を指し示す定義はあります。
衆生を救う働きをされるものを仏と呼びます。
我々は、救われる側です。
救う者をもう一つ言い換えますと、
拝まれる者と言えないでしょうか。
我々は拝む者です。
拝まれる者は、拝む者の正しい導き、
変わることのない拠り所、揺るぎない支えになって頂きます。
一つには、これに成ることを成仏と呼んでいるのでしょう。
お葬儀の晩の出来事の是非や真意の判断は簡単には出来ませんが、
成仏して頂くということは、私の拠り所、支えに、これからもなり続けるぞと、私に呼び掛けて下さっているのです。
それに感謝申し上げ、ご苦労を偲び、素直にそのお声を頂くことが大切です。
父は成仏していったのです。
ふくまるさんへ、こんにちは。
不思議な経験をしたのですね。
私もそうでしたが、親の葬式にはいろいろな体験をするものです。私もそうでした。
それは不吉ではありません。念仏を唱えているのですねから、極楽浄土に向けての御霊の動きが不思議な体験をさせているのかも知れません。
念仏をとなえて、是非親の成仏をお祈りください。念仏を心を込めてあげれば大丈夫です。
合掌
阿弥陀様にお任せいたしましょう。
こんにちは。拝見いたしました。
葬儀が続きお疲れのことと思います。
この世には不思議な事はたくさんあります。不思議でないことを探す方が難しいでしょう。浄土真宗の作法にて葬儀が出来なかったとしても問題はないと思います。阿弥陀様という仏様は生きとし生けるものを「比べず、嫌わず、見捨てず」と誓っておられる方です。信仰篤い方であったかどうか、心の中のことは本人にしかわかりませんが、例えそうでなかったとしても、だからこそ葬儀という儀式によって阿弥陀様との仏縁(仏様にさせていただく絆)を頂戴いたします。49日間とは人が次の迷いの生へと生まれ変わる期間と言われております。お父様(お母様も)阿弥陀様の誓いによって安らかなお浄土へと生まれておられることと思います。
答えを急がずゆっくりと味わう時間、悲しみから学ぶ時間を大切にしていただければと思います。あるいは仏様について考えるきっかけを残していってくださったのかもしれませんね。さて今度は私たちの番です。仏様との御縁を共に大事にさせていただきましょう。
合掌
質問者からのお礼
染川智勇さま
お答えくださり誠にありがとうございます。心が少し楽になりました。
本当に49日を過ぎてからは不思議な現象が起こらなくなり驚きました。
実はそこで悩んでしまったのです。
浄土真宗では亡くなった後、魂はすぐに極楽浄土へ向かうとお聞きしました。
でも父と思われる魂はは49日まで、私の周りにいたのです。
私が旅装束を着させたから、すぐに極楽浄土へいけなかったのではないか、心配になりました。
それとも父のようにあまり熱心ではない浄土真宗信徒の葬儀では一般的な旅装束のような用意が良いのでしょうか...?
母の葬儀を数日後に控えた今悩んでしまっているのです。
釋慧心さま
詳しくお教えくださりありがとうございます。
迷わずに仏さまを拝み、教えを信じることが大事なんですね。
母の死が辛すぎて色々なことを考え、迷ってしまっていました。
でも、もう大丈夫です。
心がスッキリしました。
迷わずに、疑わずに、信じて送り出せます。
ありがとうございました。
釋 健樹さま
ご回答ありがとうございます。
そうですね。
父が亡くなったことによって、仏さまとの"ご縁"をいただいたのですね。
父のことがあって、初めて浄土真宗について調べました。家のお仏壇や法要の仕方も間違いだらけと気づかせてくれたのも"ご縁"があったからなんですよね。
この"ご縁"によって、怖くて話しかけられなかったご住職も、実は優しいお方だと気付かせていただきました。
折角いただいた"ご縁"ですので、ゆっくり考え、心で思い、大事にいたします。
ありがとうございました。