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好きになれない人と結婚をしていいのか悩んでいます。

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目を通して頂きありがとうございます。
相手の方は6年前に知り合ってその当時から何度か告白されていたんですが、男性としては生理的にどうしても受け付けられなかったため、ずっとお断りをしていました。その度、友達としてならと言われ、たまに子供と一緒に食事などをしていました。しかし、私が毎日朝から夜中の2時近くまで働いていたため、下の子が寂しさから具合を悪くしてしまいました。その子が受験生ということもあり、一緒に居てあげたいけど働かなければと悩んでいた時に、彼から生活を支えてあげたいから、仕事を辞めて子供の側に居てあげてほしいと言ってもらいました。相当悩んでいた私はその言葉に甘えてしまいました。そこからはどんどん結婚の話が進み、両親もとても喜んで結婚式の話まであっと言う間に決まりました。そして彼は私たちのためにと言って、マンションを購入してくださいました。最初の頃はこれでみんなが幸せになるんだと言い聞かせていましたが、食事だけしてた時にはわからなかった、私の意見に従ってしか行動出来ないところや話し合いになると何一つ話が出来なくなるところや私達がチンピラみたいな人に絡まれた時に謝る私をよそに他人のふりみたいにして対応してくれない姿や私の両親の悪口を言う姿を見てしまい、生理的に受け付けないだけじゃなく人間的にも信じられなくなってきてしまいました。こんな気持ちで一緒になるのは彼にも彼のご両親にも失礼だからもう少し気持ちが入っていくまで結婚を待ってほしいと頼んだんですが、それだけは出来ない、俺のことは好きじゃなくてもいいからと言われ話が進んでしまいました。今、現在はすごく悪いところがある訳でもないし、仕事も一生懸命、私も年齢も年齢なので好きという感情なんて夫婦になればうすくなるもの、もっと相手の良いところを見てあげるように目線を変えよう、生活を共にし始めれば感謝の気持ちから情が生まれるかもしれないので、相手の方に感謝し前向きに考えるように努めようとする私と、やっぱり気持ちは大事、生理的なものは一生変わらないかも、籍だけは入れずに一緒に暮らしながら考えるのも一つの手ではないかと考える自分がいます。こんな年にまでなって、彼や彼のご両親、そして周りの方々に感謝して奉仕の心を持てない自分の欲の深さに反省しています。どうか辛口でも良いので良きアドバイスを頂けたら幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「やっぱりごめんなさい」と、まず、二度断りましょう。

本心からのSOS信号を見逃してはいけない。
自分にはウソをつけない生き物。それが人間です。
古典仏教的に言うと閻魔のさばきとはそれのこってすぢゃ。
自分に嘘をつけば閻魔からの裁きを受ける。
それが苦しみとなって表れるのですぢゃ。
結論、やめなさい。それがお前はんの為ぢゃわいの。←誰?
まぁ、それか、100歩譲って、人間それぞれ良い所も悪い所もある。アンタにもある。だから互いに向上してゆくことを絶対の条件にして心の閻魔を背負いながらの妥協結婚かのう。
さて、ここからはまじめな話。
結婚する気が強くなったのであれば、二つの質問を理由に断りなさい。
Q1「あの時チンピラに絡まれていた時、みて見ぬふりをしていたのは許せなかった。口先では守るとは言っておきながら肝心な時に裏切るような人とは結婚できません。」
といって、その時の相手の反応を心理分析官のように、相手に嘘があるかどうかを見抜いてください。
Q2「自分の良心の悪口を言われるは許せない。あなたにとって都合が悪いところがあるにせよ、アタシをこの世に生んだ存在である親を悪く言う人は信じられません」
この二つを理由に関係を断つことです。
それで追ってこないならば大した奴じゃありません。自分に取り付いた妖怪自我にゃんを改善する気も起こさない人だからです。
そこであなたは相手の本当の姿を知る事になる。
口先だけか、彼の都合か、真実の愛か。
三度目の質問はあなたが考えてください。あなたが彼を一番よく知っているはずです。
結婚する前はどちらもソトヅラよしこにソトヅラよしおなのです。
本音、本気の語らい無くしてどうしてシアワセになれましょうか。
あなたは子供の事を考えるあまりワレを失っているのです。
彼がその二つの山を乗り越えて迎えに来てくれる人であることを願いましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分の声を聞いて下さい

ゆうさん
相談の文章にあなたの本当の気持ちが表れているような気がします。

「好きになれない人と結婚をしていいのか悩んでいます。」
好きになれない人と結婚をしたくない

「最初の頃はこれでみんなが幸せになるんだと言い聞かせていましたが」
私は幸せを感じられません

「生理的に受け付けないだけじゃなく人間的にも信じられなくなってきてしまいました。」
異性として惹かれ、人間的にも信頼できる人と結婚したい

ゆうさんは彼と結婚したくない
ただ彼と結婚しないと生活が成り立たない

頭は結婚した方がいいと言っているが
心が結婚したくないと言っている

だから生活を支えてもらいながら
結婚を先延ばしにしておきたい
こんなところでしょうか

私は人間が幸せになるには
本音に背かないことが
重要ではないかと思っています。

ただ、生活という現実もありますので
悩みながら結論を出して下さい。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ