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自分は自分と割りきる方法

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有り難し有り難し 61

22歳、大学四年生女です。

機能不全家庭で育ちました。父親の愛情不足も一因か、自尊心がまるでありません。
ゆえに、自分のやることなすこと満足できません。
何をしても後悔し、卑下してしまいます。
そして他人(友達や知人)を羨み、僻んでしまいます。
私だって一生懸命やってるのに、コツコツ努力しているのに報われない……
他人のために尽くしてきたし、人に迷惑かけず一人で頑張ってるのに成果が出ない……
成功している人(例えばワガママ自己中な友達に彼氏が出来たり、ちゃらんぽらんでカンニングするような知人が就活上手くいったり)に対し、不幸になれ!死ね!と願ってしまいます。
表にはそのような態度は出しません。
むしろ良い人ぶって、いつも他者優先です。

隣の芝生は青く見えると言う通り、私も他人から見たら恵まれているのでしょうが
周りが羨ましくて憎くてなりません。

どうすれば嫉妬せず、自分は自分と割りきることができますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

孤立感、孤独感を、孤峰観に。

人間はみな一人一人が違うカタチの峰、山です。
山は手入れは要らないものです。
ボーボーでも良し、刈り取られればそれはそれで、のびたら悪いもの扱いにされてしまう。
川口さんとのやりとりを拝見しましたが、あなたは「それ」をやってはいけないと思うよ。
「それ」とは、あなたが周りから受けてきた「人間のものさし」による「さばき」のことです。
あなたもお父さんや周りから白い目で見られたら孤独感や孤立感を感じるでしょう。
高い山ばかりがいいわけではありません。人も寄り付かんからです。
「孤峰」とは、天地にただ一つの峰。
名も無い峰。人間の手入れが入る以前の大いに茂っている山です。いいんですよ、茫々だって。野菜や木々やジャングルだったらぼうぼうの方が健康的なのですから。
キレイに刈り取られた方が良い場合もあるにはありますが、今日、知り合いのお坊さんが指を切ってしまいました。機能不全な家庭、理想的でない父親。うちだって同じですわ。ですが、こうしてやっています。
ある時、それは「私の家庭への理想的なありかたを要求していた不満」が自分を苦しめていたと悟ったからです。あなたの親父に対しても「孤峰」を見出してあげてください。冷たいオヤジだったかもしれません。ですが、お父さんも色々あった末の、残念ながらも情けないながらも有り難いことに、それがアタシの父なのです。孤峰なのです。それはそれで、私の理想とは異なるけれど「孤峰」なのです。
わたしとは無縁、わたしの願いや理想が介入されないエベレストのような。
全てがそういう存在です。
そこを悟ると、あなたの家庭や父親や川口さんの回答も、元々、その通りだったという事が分るはずです。
そこに、私たちは不足感を抱いてしまった。
願わくば理想的な家庭、父、自分を要求していましたが、実際がそうではなかった。
そのそれぞれの「孤峰」を尊重してみてください。すべての過去が許せるようになり、あなたもあなたとして誰とも比べようのない、絶対の孤峰としてそびえ立つ自身が生まれるでしょう。

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お詫び申し上げます。

希、様

この度は私の拙い回答にて不快な思いをされてしまわれたようにて、誠にお詫び申し上げます。すみませんでした。希、さんが誠実に生きておられることとが理解できました。憎まれっ子世に憚るとは申しますが、しっかりと誠実に生きていくことが何より芯のある人生、実りある人生になるかと存じております。お幸せを祈念申し上げます。これに失望なされずに、また気軽にご質問下さいませ。私は回答を控えさせて頂きますが、優秀な回答僧侶様方からまた良い回答を頂けるかと存じます。どうか宜しくお願い申し上げます。川口英俊合掌 平成28年6月19日記

・・

他人とあれやこれやと比べてしまうことは、実は仕方がありません。私たちは他と比べなければ自分が何ものであるかもわからなくなってしまうからであります。

しかし、どうしても目につくのは、自分の足らないところ、至らないところばかりとなってしまい、嫉妬したり、劣等感や自己嫌悪に陥ってしまうところもあるかとは存じます。それも仕方のないことですが、できれば、他と比べることにより、自分というものを正確に知れるという利点を活かして、では、どのように自分を変えていくべきであるのかをしっかりと考えて、実行していければ、自己向上へと確実に繋げることができていくのではないかと存じます。

「隣の芝生は青い」のも、何もそれは始めから青いものではありません。実際の芝生に例えますとよく分かりますが、放ったらかしにしておくと、当然に茫々となり、醜いものになってしまいます。

仏教では、モノ・コトは、因縁(原因と条件)によって成り立っていると、ご説明申し上げます。

芝が青いのにも、青くするための因・縁(原因や条件)が必ずあることになります。

肥糧をあげたり、こまめに刈り込んだり、水を絶やさずあげたりと、よく手入れをしているからこその青さになります。

それだけの因・縁を調えてこその青さということは、表面上だけを見ていては、なかなか理解できないものとなります。

青いのには、必ずそれなりの努力や精進があるということです。

何事もそうですが、善い結果を得たいとするならば、善き因縁を調えてこそとなって参ります。

できれば「比べる」ことも、その良き因縁を調えていくことに役立てて参りたいものでございます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

では私の芝は手入れしようともしないボーボーの物ということでしょうか?
もっときちんと手入れを、もっと頑張れということでしょうか?
まだ精進が足りないと?
私は自分なりには頑張ってる、いえ他の家庭環境等を思えばかなり頑張っているのに報われないから嫉妬していました。
でも、川口さんにとって、私は手入れも努力もしてないくせに隣の(運や他人の力が大きいために綺麗な)芝生を羨んでいるということですね。
分かりました。有難うございました。

本当に傷つきました。
私が頑張っていないせいなんですね。
ボーボーの芝生だからですね。

もう二度とこのサイトは使いませんので、今後ご回答は結構です。
有難うございました。

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