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明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?

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「明日死んでも悔いのないように生きる」
という考え方と

「目標にむかってコツコツ努力する」
という行動が、どうしても矛盾してしまうように思います。

1日で達成できない目標がある場合、その過程で死んでしまったら悔いが残るように思えて、コツコツ努力できない自分がいます。

もし本当に明日死んでしまうのであれば、1日でやりきれる楽しいことを選んでしまうのが普通ではないでしょうか?

目標に向かって進んでいれば、道半ばで死んでしまっても救われるのですか?

教えて下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

80歳まで生きるかもしれないのに、努力しないのはなぜですか?

仰る通り、
明日明後日死ぬのが分かっていれば、
努力する必要なんて無いですね。

でも、
いつ死ぬか分からないのですから、
目標が達成できるように日々生きるしかないですよね。

コツコツ頑張っていれば達成できたのに、
明日死ぬかもしれないからとサボっていたのでは、
それこそ悔いが残るのではありませんか?
死んでも死にきれないのではないでしょうか?

マハトマ・ガンジーの言葉を贈ります。
『明日死ぬかのように生きよ
 永遠に生きるつもりで学びなさい』

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

時は今 ところ足元 その事に打ち込む命 永遠の 御命

人は死ぬことは有りません、しかし、身体には 寿命が決まっています。

一歩一歩 例え少しでも、進むことが、大切なのではないでしょうか。

結果なんて、正直どうでも良いですよ。

人間には、俗に死が、三度あると言われます。

一度めの死は、 肉体と命が離れた時

二度めの死は、皆に忘れられた時

三度めの死は、その名前がなくなった時

です、今を真っ当しましょう。

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有り難し
おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

「目標」をどこに設定するのか

キトス様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生の「目標」をどこに設定するのかによって変わってくるかとは存じますが、今生における世間世俗的な幸せ(お金や地位や名誉や権力など死ねば消えてしまうような幸せ)を目標とするのであれば、死んでしまえばそれで終わりとなってしまいます。

一方、仏教では、今生だけではなく、来世、来来世も引き続いていく心(心の連続体・心相続)の向上に取り組むことで、やがて「悟り」へと至ることが目標となります。

今生だけの世俗的な幸せを目標とするのか、それとも仏教の目指す究極的な悟りという幸せを目標とするのか・・後者を目標とするならば、仏教を修習し、智慧の開発と福徳行(善徳行・方便行)に精進努力していくことが必要となって参ります。

何よりも、これからの心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、その赴く先、境涯が決まっていくこととなります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、確かなる仏道を歩みて、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い赴き先、境涯へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できましたらこれを機会に、少しなりにも仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

こんなに速く回答いただけると思ってませんでした。ありがとうございます。

「死」に対する感覚というか、知識?考えが自分に全く無いのだと痛感いたしました。

私は生まれてからずっと無宗教なので、信じるものや神様、仏様がありません。

こういった悩みをきっかけにみなさん宗教や仏教を学んでいくのですね。

回答くださったお坊さん、ありがとうございました。

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