意識の違い
少し前の話になりますが、4年ほど密に交流をしていた方とお別れしました。
ただ食事だけのときもあり、同じ趣味を持っていたので一つの作品を作り上げていくことも行ってきました。
原因は小さなことで意識・価値観の違いにより話が噛み合わないことが多くなり、その状況に私が疲れてしまったからでした。
以前からこちらの言いたいことが十分に伝わっていないことを頭のどこかで感じており、その度に色々な角度から噛み砕いて説明することを強いられていたように思います。
限界を感じて少し距離を置くことを考え始めた頃、決定的な問題が起こり現在に至ります。
ですが、共通の友人が多いため相手の情報が入ってきてしまいます。
そして私のことをどう思っていたのかも。
相手は謝ったので許されて当然、それでも許さないのはノンシュガーが悪いなどつらつらと共通の友人たちに経緯を説明していました。
私としてはどちらかに原因を探すのではなく、双方悪くこちらも謝って御仕舞い。
すぐ元のように接するのは無理なので、互いに頭を冷やす時間が必要なのではないかと考えた末の決断でした。
生きている限り何があるか分かりません、同じ趣味を持っている以上どこかで逢う可能性も十分にあります。
「そのときまた縁があればあればいいな・・・」という願いも込めてお別れしましたが、上のようなことを吹聴して周っているのを見てしまい悲しくなりました。
またそのことを知った共通の友人たちへ、どのように接していけばよいのかわからなくなってしまいました。
他の友人たちは何事もなかったかのように接してくれています。
しかし心のどこかで無理をさせているのではないか、何か思うところがあるのではないかと勘繰ってしまいます。
不本意な終わりを迎えた思いにいつまでもモヤモヤさせられ続けています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
物言えば唇寒さし秋の風
秋は風が冷たく、喋ると唇が冷たくなるということから、人の噂話や批判をすると、翻ってかならず自分に帰るということわざです。情けない人物だなあと言うのが、率直な気持ちです。こどもなら兎も角、ある程度の人生経験を積んだ人間であるならば、クロスオーバーする人間関係の中で、余分なことは言わないことが、お互いのためと言うのが、定石だと思います。それはまず今までお付き合いしてくださった相手に対する思い遣り、配慮、感謝ですよね。私なら、理由がなんであれ、こちらの配慮が足らずに申し訳ない。と、いう言葉を繰り返し、絶対に相手を守ります。これはマナーだと思いますし、逆に相手を非難しないことが、翻って自分のプライドを守ることだと思いますよ。お粗末ですね。あなたは、不快な思いをされたことでしょうし、何とも後味の悪い思いをされていることでしょう。でも、まともな方なら、彼の話は一応聞きますし、敢えて反論もしませんが、私なら彼を軽蔑しますよ。何ていう人物なんだと。まさに、物言えばです。別れた理由なんて、ゴシップ雑誌じゃあるまいし、本人同士の問題ですよ。合わないから別れた。それだけすよ。人は噂が好きですからね、興味本位で聴く人多いでしょう。でも、聞いたら彼の評価を下げるだげです。私なら、彼との関わり方を再考しますね。あとで悪い噂を流されたらたまりません。その程度の人物のために、心を煩わさないでください。別れて正解でした。沈黙は金なりですよ。良い方を見つけてくださいね。お幸せを祈っています。浄光寺