座禅をする事で何か変わった事はありましたか?
先日、修学旅行の際に京都の妙心寺大本山にて座禅体験をさせていただきました。
その際に住職さんが「毎日するといいよ」というような事を仰っていました。
毎日する事で内面だけではなく外面等でも変わった事はありましたか?
また、座禅をする際に警策は必要不可欠なのでしょうか?
残念ながら警策は持っていませんし、叩ける人もいません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
んー…坐禅で変わったわけではありませんが、関連したこととして。
摂心をご存知でしょうか?集中坐禅期間みたいなものです。その期間中、修行道場の老師と一対一の問答をする機会をいただきました。臨済宗さんの公案のように老師から修行僧に問題を提示されるのではなく、修行僧から聴きたいことを質問できる場です。
私は大学の卒論で扱って、消化しきれなかったテーマをぶつけました。「非思量とは、何でしょうか?」老師はそこらにあった仏具を手に取り、おっしゃりました。「これが、こんな風で、これが、こんな風で、これが、こんな風で、私がこんな風なんです。」ハッとさせられました。ワケが分からないでしょうが、涙があふれそうになりました。
翌日から、坐禅の間の休憩時間もトイレだけ行って、すぐに戻って休憩時間も自ら坐りました。当然、脚が痛い。でも、私がその痛い状態を嫌うから、辛くなるんだ。痛いのは当たり前。痛くて良いんだ!
気持ちわりぃでしょ(笑)でも、そんな坐禅が変わった体験はありました。
さて、臨済宗さんは邪念が入っているのを見抜いて警策を入れるという話をうかがいますが、曹洞宗では眠たい時に入れてもらうという感じです。同じく坐禅ですけど、違うことをする坐禅ですからね。たしか臨済宗さんも夜の坐禅では警策なしだったはず。
あと、私の友人が「最近、どうも怒りっぽくなって困ってたんだけど、昔習った坐禅をやってみたら次の日から怒らなくなった!すごい!」と言っていました。その友人は女性なのですが、女性の方がライフステージの中でホルモンバランスや脳内分泌物の不順によって苦しむことが多いので、坐禅の効果を感じやすいのでしょうね。私たち男にはよく分からない世界です。
外面に関しては、「よく修行道場の修行僧ってなんであんなに綺麗な顔をしているのかしら」と言われます。でも多分それは坐禅だけではなく、生活全体からくるものでしょうね。それから私の師匠はそう問われた時、「競わないからです」と答えています。
最後に、ウチの奥さんがなかなか終わらないお買い物をしている間にそこらのベンチに座って坐禅すると楽しいです。脚は組みませんし、警策もありませんけどね。お釈迦さまも木陰に坐るのを楽しみました。正しく正しくと堅く考えるより、気軽に親しんでいただきたいものです。
警策に頼らない禅
アポロさん
坐禅とは悟りそのもの。内面的に真実が見えるようになるのでしょう。というより、もうすでに見えているものを思考が邪魔しているということに気付き、事実のまんまに生きられる幸福感があるのでしょう。警策なんていりません。叩かれたって意味ないでしょう。そんなもんに頼らず座っていたらいい。
坐禅は座るものですが、禅の生き方は24時間できるものです。
禅を通した生き方を身につけ、実践していきましょう。
質問者からのお礼
邦元さん、大慈さん、ご回答ありがとうございました!
邦元さん、座禅はともかく、禅の生き方を意識して生活していこうと思います!
まずは、「人と比べる」という事をよくしてしまうのでこれをしないようにしてみようと思います!
大慈さん、分かりやすい回答で助かりました!
奥様のお話、少しクスッときました(笑)
何か暇がある時には座禅をしてみようと思います!気軽にやってみます!
これから何だか気持ちいい、清々しい毎日が遅れそうな気がします。
御二方、今回はどうもありがとうございました!