後悔で苦しくてたまりません。
昨年の秋に大切な人を亡くしました。
それからずっと苦しくてたまりません。
私はその人の仕事仲間でしか無いので出来る事がありません。
私は結婚していますが、その人の事が大好きでした。
ただ好きなだけで何も言うつもりはありませんでした。
その人が亡くなる前に職場がギクシャクする時期があり、私もその人に冷たい態度をとった事もあります。
好きだったのになんでそんな態度をとったのか、なんであんな事を言ったのか…と後悔が絶えません。
その人の前にいるとどんな態度をとって良いか上手くいかず、自分の失言を思い出して苦しくてなりません。
今は私は別の仕事をしています。
その人と一緒にいた職場は、体調を崩して退職しました。
前の職場の友人とは、家庭の事情や仕事で疎遠になり滅多に会う事はできません。
たまに会えても私のその人への想いは、今までの思い出を違う物にしてしまいそうで言えません。
メールなどでも、もう前を向いている友人にいつまでも私の悲しみを話すのも悪く思えて、その人の話題は出せなくなりました。
亡くなって直ぐの頃に前の職場仲間が、私がそんなに悲しんでるとその人が成仏出来ないし、恋人でも身内でも無いのにそんなに思っちゃいけないと言った事がありました。
それを聞いてとても悲しく、その通りかもとも思いました。
私には悲しめる程の関係性も無いかもと。
お葬式と四十九日は行く事ができました。
一緒にお葬式に行った友人達は「これでお別れが出来たからふっきれる」と言っていました。
それは友人達にとって良い事だし正しい考えだと思っていますが、私はどうしても同調できません。お別れしたくないのです。
四十九日は、仕事仲間では私だけが行きました。
一度お墓参りにも行きました。
家ではお線香のつもりでお香を立てて焚いています。
この事は気持ち悪く思われそうで誰にも言えません。
その人とそんなに親密ではないのですが、私も連れて行ってくれてたら良かったのにと思う事もあります。
家族は、私が元気がない事があるとは思っているようですが特に何も言いません。
結婚して住み始めた土地なので、悲しみを打ち明けられる人がいません。
こうして文章にして打ち明けられて、少し落ち着きました。
自分がアドバイスを求めているのか分かりませんが、読んで下さってありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
また会える世界があります。
亡くなった人とは永遠の別れではありません。
仏説阿弥陀経には「俱会一処」と説かれています。
いのち尽きた後に「一つの処で俱(とも)に会える」と言う意味です。
その場所が極楽浄土であります。
私たちは、大切な人といつか必ず別れなければなりません。
しかしそれは一時の別れです。
いつかいのち尽きてお浄土に参ったとき、また会いたいと思えば会いに行けます。
今はなかなか以前の心持ちにはなれないと思います。
そういう時はただただ毎日の生活をこなすしかないのかもしれません。
日にち薬は大きな効能があるようですから。
それでも一人(いちにん)で生きていく
どんなに愛する人でも仮に食べちゃったとしても自分のものにはなりません。
どこまで行っても、相手は相手。自分は自分なのです。
親子であっても、家族であっても。
愛は、その愛の道を深め、究めれば、この道理に辿り着きます。
相手と私とはどこまで行っても究極的には別箇の存在。
だからゆかせるのも愛。見守るのも愛。
愛ゆえに、その道理に矛盾する行為をしようとすると苦しむのです。
それは本当の愛に軌道修正をしてくれているのでしょう。
「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」
これはお葬式の時に唱える言葉です。
簡単に申し上げますと、迷い苦しみ多き世界に私たちは生まれ、恩や愛情を断つことはできない。
断つことはできないが、恩や愛を棄て(はなれて)て、為す事の無き世界にはいることこそ、本当に恩に報いるものなのである。
ここでいう所の❝棄てる❞ということを、よくよく参究なされると、最終的には、相手をわたくししないという所に到ると思います。
好きであっていいです。愛していてイイのです。
それでも、相手を自分のものにできない。
だから、尊重し、敬い、真実の愛に目覚めるべきなのです。
愛する人がこの世にいても、それでも私はわたしをいきていく。あなたがいなくても大丈夫で、強く生きていく。本当に本当に一人であることを自覚して、多くの人たちの愛に囲まれた究極の一人(いちにん)をいきてゆくこと。それもほとけの道なのです。
悲しんでいいのです
昨年秋からお辛い年末年始でしたね。
残った人が悲しむと故人が成仏できないということはありません。亡くなったことを悲しむのは、残された方にしかできないことです。そしてお別れしたくないという気持ちは誰もが自然に持つものです。じほうさんは心配なさらないで大丈夫ですよ。
>私には悲しめる程の関係性も無いかもと
それを決めるのは、じほうさんです。私は非常に強い心の結びつきを感じました。
もし、一人で立ち上がるのが辛いというのでしたら、カウンセリングや電話相談などを利用するのも方法の一つです。
失言を後悔されているとありましたが、その気持ちはきっと故人に届いておりますのでご安心ください。早く地元によいお友だちができるといいですね。
お寺参りをなさるといいと思います。
大切に思うお方を亡くされたとの事、お辛かったと思います。
家族にもまわりの方にも話せなかったとのこと、よく我慢されましたね。
話さない事が家族や他の方を傷付けないためにも善い選択であったと思います。
よく耐えられましたね。
ご自身でその方のために何も出来ないとお嘆きですが、
出来る事はあります。
その方の菩提を弔うために、霊場やお寺をお参りする事です。
余暇を利用して少しずつお参りする事も出来ますし、
家の中でお香を焚いているよりはお寺で本尊様にお香を手向け大切な方の安寧を祈る方が善いのではと思います。
お参りするといろいろなお寺があると思います。
その空間の中で貴女の心も少しずつ癒されると思います。
まずは近くのお寺にお出かけになって手を合わせてみてはいかがでしょうか?
ご自分を責めるより、お寺で御本尊様に心を打ち明けてみて下さい。
どうぞ、お身体をお大事になさってくださいね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
頂いたコメントを読んで涙が溢れました。
菩提を弔う事を始めてみようと思います。
今年の初めに家族とお寺や神社に初詣に行ったのですが、願うのはその人の事ばかりになってしまいました。
その人の菩提寺にも雪が溶けた頃にまた行ってみたいと思っています。
どうもありがとうございます。
釈心誓様ありがとうございます。
あの人にまた会えると思うと、とても救われます。
あの人は考えもしないほど早くいってしまいました。出会ってから2年弱でした。
法要の時にあの人のお父様が「楽しかった思い出を心に残してほしい」と仰っていました。
そうしたいのですが、今は苦しかった事ばかり思い出してしまいます。
悟東様も仰ったように、供養をする事で自分の慰めにもしていきたいと思います。
こうして心を打ち明ける事が出来るのがとても助かります。
ありがとうございました。
増田様、安心させて下さってありがとうございます。
「成仏出来ない〜」は、そんな事は無いと思いながら心に引っかかっていました。
結びつきを感じると言って下さったのも、とても嬉しく思っています。
ありがとうございました。
丹下様ありがとうございます。
まだまだ前向きにみる事は出来ませんが、お言葉をありがたく頂きます。
こうして回答を頂ける事がとても救いになります。
ありがとうございました。