ペットが死んだ悲しみと後悔が強くて、辛いです。
こんにちは。
初めて、質問させて頂きます。
私は一人暮らしの学生の者です。
昨日、愛していたハリネズミが旅立ちました。
その子を飼い始めたのは1年弱前からで、当時はまだ2歳でした。
それから一人暮らしの私のお家に来てくれて、たくさん私を癒してくれました。その子は臆病でしたので、触ると針を立てて威嚇しましたが、頑張ってお風呂にも入れてあげました。
最近は就活や学校の事で忙しい事もあり、ゲージ内をあまり掃除してあげられなかったり、お水を変えてあげなかった事もあります。
そして、昨日、とても体調が悪くなり、餌も食べられなかったので、手元で動物用ミルクを与えてあげました。辛そうですが、頑張って力を振り絞って飲んでくれました。
その後、通っているのが県外の大学で、午後は大学に行かなくてはなりませんでした。その間にあの子は死んでしまったのです。苦しんで死んでいったのかと思うと、あの子がとても可哀想になりました。
そうした、飼い主としてはあってはならないことをしてしまい、あの子が幸せに生きてくれたのか、もっと生きてたかったのだろうと、いうことを考えますと、とても罪悪感と後悔に苛まれ、涙が止まりません。
私はあの子にきっと恨まれているのでしょうか。
あの子に許して欲しいです。
幸せにしてあげられなかった後悔と罪悪感をどうすれば良いのでしょうか。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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念仏・題目を唱えてご供養をしてあげてください。
たかさん、こんにちは。
自分の不手際で、ペットがなくなったことに罪悪感があるのですね。
私のお寺ではペット供養をしています。そこでお話をすることは、ペットも生命を預かった以上は大切な家族ということです。ペットを自分の子供のように大切にしなければなりません。
ペットはゲームではなく、ナマの生命なので、水や餌をきちんとあげなければ死んでしまいます。なのでペットとして買うという事は大変な覚悟がいるということです。そのペットを買うルールが守れない、いいかげんな心は必ず、自分の人生のあり方にも関わってくるはずです。
ただ、ペットを殺してしまうことは罪にはなりません(罪になる場合も出てきましたが)。今回の事を通して、是非自分の生き方、生活の方法を見つめてください。それが不幸で亡くなったペットの死に対する報いなのです。
その心構えと誓いとしてのペット供養。お寺に頼んでもいいし、お寺に頼まなくても大丈夫ですから、お仏壇でもかまわないし、なければ、心の中で思い出しながら、南無阿弥陀仏のお念仏、あるいは南無妙法蓮華経のお題目を数辺となえて、ペットの成仏をお祈りしてください。
つらくなったらお寺にお参りして仏さまにお祈りしてください。亡くしたことは不幸ですが、それを通して自分の生き方を見つめられたことに感謝してください。それこそが人間と共生するペットの役割だからです。
合掌
命の大切さ
家族の一員として、又、心の支えとしてのペットを亡くされ、お辛いことと思います。
とても大事に育ててこられたこと思います。
自分がいない間に、死んでしまった、もっとできることがあったのではと後悔されていますが、充分に育てられたのではないでしょうか。
「生きとし生きるものは、必ず死す」とあります。これはいかなる聖人君子であっても、同じで、それはこの世の定めです。
ゆえに、可愛がっていたペットでも同じで、いつかは別れなくてはなりません。又、その時期は誰にも分りません。この1年間、一緒にいる間は、精一杯育てられたことと思いますので、それでハリネズミさんも充分だったと思います。
それよりも、いつまでも悲しんでいることの方が、良くないことですので、心から、一緒にいてくれて「ありがとう」と言ってあげてください。
私のお寺にも、檀家さんやそうでない方も、ペットが亡くなると箱に入れて来られます。お経とお題目(南無妙法蓮華経)をお唱えし、ご供養と感謝を捧げます。
たかさんも、ぜひ、ねんごろにご供養してあげてください。
そうすることで、今の悲しみは癒され、罪悪感もきえていきます。一番大切な、生きること死ぬこと、そして命の尊さを教えてくれたのです。