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不倫させながらの介護

回答数回答 1
有り難し有り難し 45

結婚して23年目の夫と自営をしているものです
主人は今年の10月ごろから不倫していてその人との将来を考えていると言います。3年前からアルツハイマーの義母を介護しています。
子供が巣立つまで3年ありますがどのような心持ちで過ごせば良いですか?途方にくれるぐらい長く感じます。諦めと、絶望と、親としての責任と
考えが着かず苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

(´◉◞౪◟◉)ホナ、取れるもんはトコトンとったりまひょか。

まずは、心の中に希望的扉を3つほど設置しましょ。
離婚するなら本当に、本当に、本当~に賢くなった方がアンタの将来のためでっせ。
まずご主人より先に賢くなっておきまひょ。
離婚した女性のみならず、必ず女性を擁護するタイプの離婚の専門家からどんどん情報を集めるこってす。取れるもんトコトンとったれや(´◉◞౪◟◉)←誰?
まずは司法書士、離婚コンサルタント、弁護士…。
いますぐ古本屋で「婦人公論」を10冊ゲットでんがな。賢い離婚ができまっせ。(´◉◞౪◟◉)ニヤリ
「婦人公論」はオシドリ夫婦、新婚のラブラブ夫婦でさえ即日離婚させることができる魔の経典ぢゃ。
女性の自立を説く禁断のバイブル。その効果たるや仏の秘経典バリ。
カンジョー的になってすぐにホナサイナラ、では。相手はウハウハで不倫相手とムチュムチュでっせ。
離婚届けは、絶対にアンタの方が印を押すこと!絶対に判も署名もしてはいけまへん。
何故かわかりまっか。旦那サンは不倫相手とウマくいきたいちゅうことは内心バレンようにあなたと何としてでも離婚したい。だから安易に離婚したら相手の思うツボ、笑いの壺、桜田のツボでんがな。
奧さん。いっそのことトコトンガッポリとれるもんとったりーましょーや。ケケケ(´◉◞౪◟◉)👈誰?
早いうちに財布、通帳押さえておきまひょ。キッチリ財産半分もろて円満離婚でんがな。子供は別れても親子のつながりは永遠。会いとうなったら合いに行けばいいんですわい。
まず離婚することが確定したら不倫相手を訴えることですぢゃ。女の本気、見せたりまひょ?(´◉◞౪◟◉)
介護は不倫相手にやらせたらええんじゃぁ。条件飲むまでは荷物まとめてご実家に帰られたらどうでしょうか。相手にきずかれんように夜逃げするつもりで一遍に行動するこってす。引っ越しのサカイやったら他の見積もり会社より安くやってくれまっせ。
彼にあなたがいなくなったことを経験させ、それでも不倫相手の方を選択するのであればそれまでの愛。
家族…。
あなたの本当の家族のもとに帰られたらよいかと思います。
ご実家のご両親の介護を優先しましょう。
私があんさんの親だったらそんなひどい奴んとこにいるよりは帰ってこい、言いますがな。(´◉◞౪◟◉)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早速のご回答有難うございました。
長年、主人は私の給料も管理して少しずつ食費のみくれます。何か言うと何とか死んでないやろと言われます。怒鳴られたり物を投げたりするので子供の事もあり我慢してました。
なのに不倫、何処まで馬鹿にするのかと介護している義母にさえ憎しみを覚えます。最悪な事になる前に何もかも捨てて逃げようと思います。有難うございます。

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