お坊様ならこの場合どのようにアドバイスなさいますか、教えて下さい
毎日の診療で(内科)、患者さんや家族の方にアドバイスをすることが多いのでご相談致します。
ストレートにありのままアドバイスして、すぐ受け入れて理解して実行してくださる時は問題ないのですが、自分の都合やアドバイスを受け入れたくない方へのアドバイスはとても苦労します。
認知症の始まりの方では、薬だけでは効果が弱く、ほとんどの場合、家族との人間関係をしっかり構築することの方が、認知機能が回復しやすいのです。
具体的には、配偶者に先立たれた方の場合、人間関係が希薄になり、周囲との会話や買い物などの日常生活を行わなくなることにより、曜日や日付を間違えたり、釣銭を計算できにくくなります。寝たきりの入院患者さんもそのようになりますので、リハビリで回復が望めます。実際、私の患者さんは、私が毎日お話ししたり、会計をすると、2週間で回復が見られました。しかし、家族にそのことを伝えても、毎日の相手をするのが大変なのか、薬だけに頼ろうとして、アドバイスを聞き入れてもらえません。
私のようなストレートはアドバイスで無理な場合、お坊様のような、人生経験の豊かな方は、どのようになさるか教えて頂きたいです。
ぜひ、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先生が与えるものは「いきなり薬を与えない」…を与えること。
引用してアレンジさせていただきます。
「認知症の場合…回復しやすいと言われます。
具体的には…なると言われています。
寝たきりさんも統計的にそのようになりやすくなるそうですので、リハビリで回復が望ましいと言われています。」
語尾の断定をチョットだけ第三者からの客観的な表現に変えさせて頂きました。
お釈迦様の対機説法のように診療も相手に応じて、断定形で効き目がなければ、医療業界ではこう言われていますよ、と第三者的な通告型式で、伝えられてはいかがでしょうか。
あとは相手が聞こうが聞くまいが相手次第…。
さて…
実はここまでワザとこのように安っぽい処方を致しました。
これ、先生は素直に聞きとめてくださっていましたでしょうか?イラッとされませんでしたか?失礼しました。
先生はあえて患者様側に立たれました。素晴らしい御姿勢です。
僧侶も医者も法話、処方、アウトプットは得意です。そこがいけないのです。
診察、問答というものは、本当に聴くことです。
アウトプットを必ずしも相手が望んでいるでしょうか。まさかと思うくらいに、まず、とにかく先生に話を聞いて頂きたい、受け止めて頂きたい。家族と仲良くすることができるならやってるだ。じゃ、まず先生。家族に代わって聞きとめて受け止めてくんろ、という声を、聴き、留め、肯き、眼を真剣に見つめ、居場所を作ってもらえんじゃろか。患者さんは先生の処方というアウトプット、アドバイスよりも、そこ!を求めているんじゃないでしょうか。
ここhasunohaでの質問者さん=患者さん方は何も治そう、治ろうと思ってきて下さっている方ばかりではありません。まず、内科で先生のところで話を聞いてもらいたい、受け止めて欲しい、という目線の方が多いです。
最近上手な患者さんになる方法の本が出ています。
それもイイですが、
「先生。私が求めているのは、答えや処方、解決法ではなく、先生がどこまでオラのことを受け止めてくれるか。そのキャッチャーミットの大きさなんです。」
さて、回答が遅くなりました。
そうでしたか。本当におつらかったですよね。大丈夫です。時間ありますから。もっとお話聞かせてくれますか?
素敵、シンプル、ストレート
お医者さまほど、生死に関わる仕事ではありませんが、坊さんをしながら整骨院をやっています。もちろん、現場にでております。私は単純なので、オブラートには包みますが、いいますね。本人のためになると思えば、門がたっても言います。先生と同じ立場なら、ご家族にお電話してご協力を仰ぎますね。認知症にとっての最高の治療は回りの方とのコミュニケーションです。会話を増やして関わるようにしていただけないでしょうか?懇願します。聞いていただけなければやむを得ませんが、言ってみます。その時は、反応がなくとも、必ず心の底に響いてはいるのではないかと思います。私は声が大きいとか、煩いと厳しいご批判を受けることあります。たぶん私の言動で転院されたんだろうなと、思う時もございます。ダメですね。反省です。しかし、メンタル面のケア、サポートを含めて来院いただいています。このハスノハに来ましたのは、患者さまから、先生、参加して答えてよ?というアドバイスによるものでした。整骨院で目の前の患者さまの施術をさせていただく時も、坊さんとしてご相談を受ける時も、真剣に聞く、とことん理解できるまで聞く、限られた知識と経験、足らない能力の限りを振り絞り対応させていただいています。いけないことだとは、思いますが、表現は常に楽観的、肯定的な言葉を使うようにしております。例えば、変形性膝関節症は、免荷が効果的ですが、痩せたら?ではなく、まだまだお美しいのだから、若さに磨きをかけませんか?あと5キロ減ると楽ですよ。お食事は楽しみですからね。1日30分、公園の散歩しませんか?ロマンスが芽生えるかもよ。とご主人を亡くされたご婦人に申し上げたりします。調子がいい、口先三寸ですが、まあ、患者さまには心も身体も楽になって帰っていただけたら、それだけを願っています。とりとめもなく、自慢げな話をしてしまいました。失礼いたしました。参考にはならないかもしれませんが、こんなコミュニケーション法もあるんだなと。先生のご活躍を祈念しております。浄光寺
私なら、嘘をつきます。
ECOHDAISUKI様
釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。
心ある先生でいらっしゃいますね。
日本では中々難しいところもありますが、
宗教と医療、病院は本来もっと密であるものですよね。
ありのままの事実を真っ直ぐにお伝えすることも、誠実で素晴らしいことですし、
本来そうあるべきかと思います。
ちょっと作戦の変更もありだと思うのです。
子供だましのようですが、
白衣のお姿、僧侶でしたら法衣姿、また先生というお立場、
私は先生ではないですが、よくセンセーと呼ばれます。
葬儀の際には、葬儀社の方が、センセーお荷物お持ち致します!
と、車のそばまでやって来られます。
何も私の事を先生とは思っていないのは明白ですし、大事な袈裟の入ったカバンを持って頂きたいとも思いませんが、
その場がこれから厳かな儀式に挑むんだという心構えに繋がりますので、ご参拝の方々の前では、役割を振る舞うことも大事なことです。
立場や役割、身なりは、多分に力を持っております。
是非その力をお借りして頂ければと思います。
お父さん、ご家族が来られるときは何時間も前から凄く嬉しそうで、薬も使わないのに、症状が出ないことがあるんですよ!
不思議ですよね~、やっぱりご家族の力は絶大なんですね。
是非会話の機会を増やしてみてください。
私も大変興味があります。
のような、ことです。
日常にありふれたやり方ですが、
ご家族にとってみましたら、
誰よりもその場の中心にある先生の言葉です。
言い切ると本当になります。
法話も全部が全部そのまんまの話は出来ません。
良い意味での脚色はありますよ。
私のしていることとあまり変わりません。
私はその通りだと思います。貴方は対応が間違っていません。患者さんの立場だけでなく、その家族も同じように対応するともっと解決に近づけると思います。私は普段、介護士もしておりますが、私の姿勢はお世話するのは利用者さんではありません、「生きとし生けるもの」です。職場の人達にも言ってますから、ちょっと引かれておりますが、僧侶である以上特定の人のみという訳には参りません。
私が心がけているのはそれですかね。
病気の対応も人生そのもの。
ECHODAISUKIさんへ、
お仕事、お疲れ様です。
患者さんが聞き入れてくれないのが大変なのは、よく伺う話しです。
心の実践のところは先達の皆様と同じです。
そこで現実対応として自分ならどうするかと知恵を絞ったところ・・・
言葉と形の影響の違いに受け止め方の違いがあると考えます。
言葉は聞いているようで実はスルーが多いです。薬は形があるため、行動しやすいのです。
アドバイスも薬の処方箋のように、ペーパーに重々しく書いたチェックノートを作ってみてはどうでしょうか。診断する前のチェックシートみたいなものです。
例えば、毎日10分×3回以上の会話をする、とか。そして、飲んだかどうかのように、話はできたか?など、毎日のチェック項目にして次の検診までのチェックノートを提出してくださいと、チェックノートを作った方が治療方法の重みとしては良いと思います。
たぶん家族は形のあるチェックノートがあると、これは大切な治療方法なんだと認識し毎日つける気持ちが起こりやすくなります(家族は面倒かも知れませんが)
どうでしょうか?合掌
質問者からのお礼
早速、ご回答いただき、本当にありがとうございました。確かに、おっしゃるように、このようにして下さいと一方的でした。家族の方々の、日常生活でどこまで認知症の家族を面倒みれるかというのは、具体的にお話をしていなかったようです。そのことに気づかせて頂きありがとうございました。家族の方ともっと具体的に向き合ってお話ししようと思います。今まで、家族は病人を面倒みるべき、と一方的に私の価値観で考えてしまっていました。反省しました。今後ともよろしくご教示お願い致します。
言い方、というのは大変難しくて、常に試行錯誤していますが、おっしゃるように、これこれこうですと、正論を論理立てて言って自己満足していたようです。そのことに気づかせて頂きありがとうございます。語尾を、何何と言われています、などのように第三者の立場で言うということは、相手に説明するのに弱々しくて解りづらいかなと思っていたのですが、むしろ相手の心に寄り添ってお話をすることになると教えて頂きました。本当にいろいろと気づかせて頂き、ご相談してよかったです。明日からもまた仕事がんばれます。今後ともよろしくお願い致します。
本当に、複数のお坊様からご助言を頂き、大変感謝しております。言い方を工夫して和やかにしてこちらの伝えたいことを伝えていく、ということも必要だと感じました。なかなかできないですが、日々努力だと思い、精進してまいります。はっきり言うのも良し、とのご助言も、ありがとうございます。自分だけの世界で考えて会話を日々行っている中、別の言い方も必要ではないかと、このサイトにご相談した次第ですから、本当に様々はご助言を賜り、とてもとても参考になり、勇気も頂きました。お陰様で今日の午前診も、患者様と和やかに過ごせました。私自身の精神的にも安定し、会話ひとつひとつを大事にするよう意識できましたので、とても有意義な時間を過ごせました。ここに相談させていただいて本当によかったと思います。ありがとうございました。いろいろ思い悩む性格ですので、またご相談させていただけますか。よろしくお願い致します。
またまた、ご助言を賜りありがとうございました。これでよいのかと、毎日試行錯誤して反省の繰り返しをしていますので、別の言い方がありますよとか、別の考え方がありますよとか、いやいやそのままで良いのですよとか、様々な意見やご助言を頂けて、本当にありがとうございます。どうしても、自分の世界が小さくなりがちなので、このように多方面からご助言を頂けることがありがたいです。ご意見ご助言の一言一言が私の宝物となりました。患者様やご家族の方や、周囲の方々には、誠心誠意をもって対応して生きていますが、これが真の正解だというような対応はできなくても、努力している姿をお見せすることはできますので、不器用ながらも一つ一つ大切に過ごして参ります。ほんの一つまみの幸せを大きな喜びとして過ごして参ります。今後ともよろしくお願い致します。
3日前に、このサイトにご相談してから、私の中でトゲトゲしたものが柔らかく丸いものに変わったようで、認知症初期の患者様のご家族からの相談に、しっかりと対応できました。ご家族も体力的に不安を抱えておられる年代なので、お坊様方のおっしゃるように、寄り添って話し合うことができました。今日のところは笑顔を取り戻して介護に帰って行かれました。毎日こつこつと、一つずつ丁寧に過ごして参ります。お坊様方にご相談することで、考えの整理がつきましたし、落ち着きを取り戻すことができました。本当に有難うございます。今後も相談に乗っていただけますか。よろしくお願い致します。
再度、またまた、有り難い具体的なご助言を賜り、本当に心からお礼申し上げます。言葉と形の影響力の違い、そこから発展させて具体的にアドバイスをチェックシートでご家族の方に提示する、それをフィードバックする、というとても良いアドバイスを賜りました。早速、実践させていただきたいと存じます。これは、私自身にとっても、アドバイスが偏らないように、アドバイスが現実にご家庭での介護に反映されているかの把握ができ、さらなる良いアドバイスを提供するための、良い方法だと存じます。本当に有難うございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。