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死後について

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有り難し有り難し 26

人は死んだ後、その人生において大切であった人達に再会できるのでしょうか。

数年前に祖父を亡くしました。
身近な人の死は初めてで、すぐには現実味がなく何も感じず、今更になって悲しいです。

うちは浄土真宗らしいので、仏様になっている筈なんですが…。
後からいった人は会えるのでしょうか。
仏様になる、というのがいまいちピンときません。

また、宗派が違うと(例えばキリスト教など)、別々の世界?に行ってしまい会えなくなるのでしょうか。。
実際はどうあれ、意見を聞いてみたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死んだらどうなると問う、説くのは生きている人間の行い。

私の知る限りの事でございますが、人は生きている人で誰も死んだことのある人間はいません。
故に、どんな宗教宗派で死後の世界をどう説こうとそれは生きている人間の想像の域を出でてはいませぬ。その宗教宗派に於いて「死後はこうなる」と想定しただけの事でござろう。
仏陀も禅も絵空事は説きませぬ。
死んだこともないのに「死後にはこんなことがある」などと無責任な事は申し上げません。
もちろん、小さな子供にサンタクロースはいるんだよ、と説くように、人は死んだら安らかな世界で愛する人たちみんなと会えるんだよ、というような事を言う事は時と場合によって、心のトゲ抜きのために相手に応じて説いたという事はあるでしょう。
ところが、それでは救われんという人のためにこそ禅の悟りや明晰な仏教がある。
仏教徒でも何でもない人にこそ、真実を説く必要がある。
人は、死んだらどこかに行くのではない。
ろーそくの火を吹き消して「どこかに行った」と思う人がありましょうか?
どこかに行ったと思うのは個人の二次的な創作世界。二次的な想念による、推測、願望、セルフストーリーというものでござろう。
故に、本当の仏教者は自己の脳内で独自に展開される一切の絵空事、夢から覚まさせるのであります。
あなたがもし、亡くなった人たちが天国に似たような所で共にやすらけく過ごしていることを願われるのであれば心底そう思われたら良いでしょう。実際、この世という名の極楽浄土、彼岸、大宇宙はその生命の死後も生きている人間たちと空間的にも同居して、永遠の昔から永遠の未来に向けて今日もちゃぁンと存在しておるでしょう。どこに他の極楽浄土、天国らしきものを想定する必要がありましょうや。
今、ここ、おのれ、ただ、この事。
この確かな目前の極楽を除外、度外視して、心の外に虚像のファンタジーワールドを想定する。
これが仏教においては迷いとされるものでございます。
実際はどうあれ、とおたずねですが、本当に実際を見極めることです。
真如実際という言葉が古来より伝わっております。
そこを深く参究される事であなたは人間の見解でわけ隔てる所の生死を超越した覚者になることができましょう。
「ワシには生死というものがない」関山慧玄
「頭ン中でことが生じる前を不生という」盤珪永琢
「心の外に絵空事の浄土を描くな」道元
「生死の一念生ずる以前に現前に極楽あり」了叡覚元

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死後について

真理様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後に関しましては、現在の仏教各派においても色々と解釈がございますが、お釈迦様におかれましては、議論してもあまり意味のないことであるとして、さほど重視はなさられずに、それよりも現実、今の迷い苦しみにどう対処していくべきであるのかの方が大切であるとして、様々に善き教えをお説きになられておられました。

もちろん、死後についてのことが、今の迷い苦しみへの対処となり、より良い生き方へと直接に繋がるのであれば、それを方便的に扱うことも否定はなさられないのではないだろうかとは存じます。

さて、浄土真宗さんでは、極楽往生にて倶会一処という考え方があり、また共に極楽にてお会いできると言われております。

ただ、往生してもすぐに成仏というわけではないのではないかとは存じます。阿弥陀様のもとにて、しっかりと成仏へ向けての何らかの成仏の因縁(原因と条件)となる修行は、必ず必要になるのではないかと考えます。

次に、宗派によっての浄土について、確かに色々と説かれてはいますが、では、それぞれ赴く先が違うのかと言われると・・うーん、違うのでもないし、かと言って同じでもないとして、一応、「不一不異」とだけ、苦しいところですが、今はお答えさせて頂いておきたいと存じます。

まあ、世間世俗の考え方、認識においては、なかなかそのあたりのところの理解が及びきれないものもあるのだとして、どうか今のところはお許し下さいませ。

とにかく、しっかりとまず、この現実においては、浄土へと赴くための因縁を、仏教を学び実践する中で調えて参りたいものとなります。

是非、これを機会に更に仏教を学ばれて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
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