こんばんは、般若心経について質問させて頂きます。 幾つかの本や、ネットで般若心経の意味を調べました。この世の全ては「実体がない」という事は分かりました。しかしその「実体がない」という事が何なのかが、どうしても分かり切る事ができないのです。私達が見ているもの感じているもの、そして私達自身、世の中のあらゆるもの、実体がないとはいえここに私の身体はあります。 「実体がない」とはどういう事なのでしょうか?このような疑問も実体がないのでしょうが、どうか教えて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
平成22年6月20日 長野市ビッグハットにて行われたダライ・ラマ法王14世の来日特別記念講演に行ったときのことです。 開講に先立って、参加者全員で般若心経のお祈り(適当な言葉が分かりません)されたのです。当日あの会場に何人の方がいたのか分かりませんが、間違いなく私の人生で聴いた最多人数による般若心経でした。 すっかり感動して、私も般若心経が読めるようになりたいと思い、その後CD「みんなで般若心経」を買いました。しばらくは毎日CDを聴きながら、経文を読んでいたのですが、いつの間にかその存在さえ忘れていました。 こちらのサイトを知って、仏教の奥深さと日常を生きる知恵を再認識しました。改めて般若心経にトライしてみようと思います。 さてそこでご相談です。折角思い立ったので、できるだけ継続して習慣にしたいのです。練習するのに相応しい時間帯とか、心構えがありましたらご教示をお願いいたします。
時間があるときに般若心経を唱えると(何回も繰り返し)唱えるたびに身体が前 後に揺れてしまいます。もちろんわざと揺らしているのではありません ほんと 勝手に揺れだして恐くなって途中で唱えることをやめてしまうこともあります。 一体何なのでしょうか?変なのが憑いたりしてるのでしょうか?
子供の頃祖母の付き合いでよくお寺に行ったりしていました。精神を落ち着けたい時や、物事に迷ったときにはよく祖母から教えて貰った般若神妙を唱えたりしています。しかし般若神妙の意味を知りません。お経の意味を教えて頂けたら幸いです。
般若心経を素人が唱えると、成仏出来ない霊が寄って来る、取り付かれると聞きましたが本当ですか? 後、寝る前に聞いたり唱えたりすると悪夢を見るとも聞きました、、 写経や坐禅に興味があるのですがこの事を聞いて恐くなり始める勇気がありません。
主人の両親は御墓参りなどにとても熱心です。 週に一度は御墓参りをしています。 私は育った環境が複雑で祖父母も分かりませし、ご先祖様のお墓も知りません。 親戚なども会ったことがないので御墓参りをした経験がありません。 義理の両親が熱心ですし、私の子供達には御墓参りをと思いよく一緒に行っています。とても晴れやかな気持ちになれます。 が、行っても月1多くて月2回くらいしかいけません。でも、私の感覚や周りの感覚でも多い方だとは思うんですが。。。 色々思うところがあり義理母から「毎朝温かいお茶を入れて北向きに手を合わせてご先祖様(嫁いだ先の)の成仏を唱えるとよい」とアドバイスを受けもぉずっとやっております。 般若心経も完璧ですし幼い子供達まで唱えられる程です。 ですが。。唱える間、雑念が半端ないです。今日の晩御飯や。。。今日の予定。。お腹すいたなぁ。。とか。 無になろうとするほど雑念の嵐です。 こんな感じで唱えてて大丈夫でしょうか? 失礼極まりないのでしょうか?
昨年より般若心経を覚えようと、無理のない努力…しいて言うならば覚える過程を楽しみとして過ごしていました。 意味と漢字を意識しながら、通勤途中に「今日はここまで覚えれると良いな」とぼんやりとした目標を決め 仕事中に集中力が切れた際などは、覚えている箇所までを思い出しながら空想にふけり、頭のなかだけで気分転換の世界に入れる為ある意味生活のツールとしても勝手に役立てておりました。 「空」や宇宙のこと、そして色んな事に縛られない、とらわれないという事が仕事等の失敗を小さく感じさせてくれ、非常に日々のストレスを和らげてくれました。 しかしながら、順調に楽しく覚えていったのは良いものの どうしても引っかかるというか覚えられない、身につかない箇所があります。 無有恐怖 から 即説呪曰までがどうしても覚えられないのです。 冒頭から「無罣礙故」までは気が向いた日、時に楽しく覚えていたので1ヶ月半程でおぼえられたのですが、その後が詰まってからそろそろ1年が経過しようとしています。 その部分の意味の内容が自分にとって感銘を受ける度合いが低いのか、はたまた(自分の中で)読みのテンポの雰囲気が変わるからかは解りませんが 何か良い覚え方、考え方はないでしょうか? こんな事にとらわれている事自体がそもそも苦を産んでいるのかもしれませんが…
僕は般若心経を最近覚えました。 ここで般若心経について質問です。 ネットなどでよく「般若心経を唱えると霊が寄ってくる」などいろんな事を聞きますが、本当に霊は寄ってくるのでしょうか? また、その場にいる霊をはらったり、人についている霊をはらったりはできますか?
仏師になろうと思い、本日届いた般若心経と金剛般若経の本を読みました。 そして私なりの解釈をしたのですが、間違った解釈をするといけないと思い、専門家の方々に聞こうと思いました。 私は赤子に戻って本を読んで思ったのは、「全ては空である。」です。 空とは無であり無限であることだと思います。 人間は苦しみを持ちますが、それはあると思うからあるのです。 本当はそんなものはありません。 さらに言えば自分というものさえありません。 とはいえ、世界が無なのではありません。 その逆に世界は無限です。 何故ならば、個がないのだから、他者も自分、万物も自分だからです。 全ての人々が他者も自分と思えば世界から苦しみがなくなります。 般若心経が呪文で終わっていたのが印象的でした。 頭でっかちになりがちな現代人に対する大変効果的な修行です。 金剛般若心経の「○○といったから○○ではない。それ故に○○である」の部分も興味深かったです。 確かに空となったらそうなります。 他者との視点と自分の視点の事象を、空としてとらえると面白い論理になると思いました。 総じて懐かしい感じがしました。 不思議なことに以前から知っていたような気がします。 人は誰しも生まれる前に仏の説法を聞いて生まれてくるのかもしれません。 私の般若心経の解釈はあっていますか?
私は今日、般若心経を学びたいと思いました。 ですが、私は無知なのでどうやって学べばよいのかわかりません。 ひとまず本を買おうと思ったのですが、般若心経に関する本が多くてどれを読めばいいのかわかりません。 それで専門家であられるお坊様方にお聞きしたいと思いました。 般若心経を学ぶにはどうすればいいのでしょうか? 本で学ぶ場合、どの本がおすすめでしょうか? お答えを頂ければ幸せです。
毎朝仏壇に向かいお経をあげています。 ところが、ある生き神様(仏教系の霊能者)から「般若心経くらいにしときなさい」と言われましたので、いかがなものなのかお尋ねいたします。 我が家は浄土真宗ですが、真言宗に魅かれて四国八十八か所巡礼の際唱える、 「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒・発菩提心真言・三摩耶戒真言・般若心経・光明真言・御宝号・回向」。 加えて「十三仏真言・観音経」を読誦しています。 ところが、生き神様が「それらは何のお経?」と言われましたので、 「遍路の際各お寺で上げるお経」と言いましたところ、あまりご存じなかったようです。 さらに「巡礼の経験もなくして、それらを上げるのは間違っている。まったくムダです」と言われました。 家族や親族への日々の御守護に感謝し、これらのお経をあげているのですが、いかがなものでしょうか。
若いころから仏教に興味があり、5年ほど前から毎朝仏壇に向かいお経をあげています。(40分程度) ところが、ある生き神様(仏教系の霊能者)から「般若心経くらいにしときなさい」と言われましたので、いかがなものなのかお尋ねいたします。 我が家は浄土真宗ですが、真言宗に魅かれて四国八十八か所巡礼の際唱える、 「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒・発菩提心真言・三摩耶戒真言・般若心経・光明真言・御宝号・回向」。 加えて「十三仏真言・観音経」を読誦しています。 ところが、生き神様が「それらは何のお経?」と言われましたので、 「遍路の際各お寺で上げるお経」と言いましたところ、あまりご存じなかったようです。 さらに「巡礼の経験もなくして、それらを上げるのは順序が間違っている。まったくムダです」と言われました。 家族や親族への日々の御守護に感謝し、これらのお経をあげているのですが、いけないのでしょうか。
般若心経の意味と般若心経を仏壇等に対して唱える意味を教えて下さい。
私が仏教に関心を持つようになったのは最近の事です。 あまりにも辛い出来事があり、うつ病になりかけた時に、偶然テレビで般若心経を解説するプログラムを見て、心がすっと軽くなった、というのがきっかけでした。 ところで、わが家は浄土真宗なのですが、浄土真宗では般若心経を唱えるべきではない、と聞き拍子抜けしてしまいました。般若心経の教えに救われた私としては、何だかスッキリしません…。 実際に浄土真宗のお坊さまたちは、般若心経についてどのようにお考えなのか、お聞きしたいです。
空とはなんですか? 私たちは存在しないと書いてある本もありました。確かに昨日今日では変わりはわからないと思います。それが10年なら変化もわかるし、もしかしたらこの世にいないかもしれません。 でも、諸行無常と言うように毎日移ろい変わっているんですよね。同じように見えて同じ毎日はないんですよね。だから一日一日を大切にしなければならないのに、その有り難みがなかなか解らないんですよね。
以前、友人とお参りしたお寺で「般若心経を写経すると病気が治る」等のお話を聞かせてもらいました。 大学時代から仏教が好きで個人的に学んでいたのですが、「般若心経を写経するとご利益がある」等の考えにどうも違和感を覚えます。 般若心経を写経すると願いが叶うのでしょうか?
般若心経に「不生不滅、不垢不浄、不増不減」とありますが、 生じることもなく、滅することもなく、汚くもきれいなものでもない、減りも増えもしないものとは、具体的に何のことを言っているのですか? 教えて下さい。宜しくお願いいたします。