浄土真宗では般若心経は無意味なのですか?
私が仏教に関心を持つようになったのは最近の事です。
あまりにも辛い出来事があり、うつ病になりかけた時に、偶然テレビで般若心経を解説するプログラムを見て、心がすっと軽くなった、というのがきっかけでした。
ところで、わが家は浄土真宗なのですが、浄土真宗では般若心経を唱えるべきではない、と聞き拍子抜けしてしまいました。般若心経の教えに救われた私としては、何だかスッキリしません…。
実際に浄土真宗のお坊さまたちは、般若心経についてどのようにお考えなのか、お聞きしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
浄土真宗のよりどころは浄土三部経なのです。
北斗星様「般若心経」と浄土真宗についてのご質問、ありがとうございます。
「般若心経」は、仏教のエッセンスを短いお経の中で伝えている、尊いお経
です。
そういう意味で、多くの宗派でこのお経は読誦されています。
詳しくは知りませんが、浄土真宗以外の宗派では、このお経を読誦されてい
るのではないかと思います。
「般若心経」に救われたと感じておられる北斗星様にとって、このお経を
読誦してはいけない と真宗の立場から言われるのは、スッキリしないと
感じられるのも無理からぬことかと思います。
浄土真宗は正依(よりどころ)の教典を浄土三部経としています。
その浄土三部経以外に親鸞聖人の作られた「正信偈」や七高僧といわれる
方々の漢文のお言葉を読誦することもあります。
ここからは、ある程度私見も交えて書くことに致しますので、ご承知く
ださい。
浄土真宗は阿弥陀さまの衆生を救うという願いを信じるということを
根本としています。
その願いを本願と申しますが、本願を信じるということを、親鸞聖人
より前に七高僧がお示しくださり、その中で、本願を信じるより他に
救われる道はないと、選び取られ、そのことをお伝えいただいたのが
親鸞聖人であるということです。
私たちには、多くの教典を読むことも難しく、どのお経によって生き
たらよいか選び取ることはなかなかできるものではありません。
「般若心経」が良いとか悪いとかいうのではなく、
真宗門徒としてのあり方として、本願を信じるという道以外のものは
しないという考え方からのお諭しであると思います。
ご本尊の前での読誦する経典としては、認められてはいませんが、
内容は仏教として大切なものです。
般若心経の学びと真宗の学びと、そういう意味ではどちらが正しく
てどちらかが間違いということではありません。
般若心経は仏教の理想が書かれており、
残念ながら煩悩にまみれた凡夫の私には、理想通りのことはできない。
その私が救われるのは、阿弥陀さまの本願によるのである。
そういう風にお考えになると、ご理解いただけるのではないでしょうか。
一つ申し添えておきますと、本願というのは、阿弥陀さまのお誓いです
から、阿弥陀さまの願いによって、私たちはすでに救われているのだ
そういうところを信じるのだ という考えであることを付け加えてお
きます。
浄土真宗では般若心経は不要なのです。
お経をマニュアル・ルールに例えれば、般若心経は違う競技のルール本のようなものでしょうか。
浄土真宗では般若心経を用いませんが、それを知ることは違う視点で浄土真宗を理解する手助けになるでしょう。決して無意味ではありません。
向かうベクトルが異なります
亀山純史と申します。浄土真宗本願寺派の僧侶です。
八万四千の法門と言われる仏教において、浄土真宗は浄土門の教えです。それに対して、浄土系の仏教以外の宗派の教えは聖道門と呼ばれます。般若心経に説かれている教えは、聖道門の教えとなります。浄土門と聖道門の違いを私なりに説明すれば、浄土門は「仏様が私にやって来る教え」であり、聖道門は「私が仏様に向かって行く教え」であろうと思います。向かうベクトルが異なりますので、浄土真宗では般若心経は唱えないのです。
しかし、ベクトルこそ異なっていても、その究極の目的は、ともにこの私が仏になることにあります。ですので、仏教の信仰においては、(浄土門の立場に立てば)私が仏様に向かっていると思っていたら、実は仏様の方から私に近づいてきてくださっていた、ということに気づくかもしれません。浄土真宗では般若心経は唱えませんが、般若心経の教え(聖道門)に触れたご縁を通し、浄土門の教えの素晴らしさに気づいてくだされば幸いです。
追記:
私は大学(仏教学専攻)では般若心経で説かれている空思想を説いた龍樹菩薩著の『中論』を卒論テーマにしました。空思想は大乗仏教の基礎となる思想です。浄土門にも空思想は反映されています。たとえば、(初版が1967年と古い書物ですが)山口 益著『空の世界―龍樹から親鸞へ』は空思想と浄土思想のつながりを述べています。
般若心経の教えは仏教の根幹と言える教えです。
決して無駄なことはありません。
般若経は沢山あってその中の一つが般若心経です。
般若とは智慧のことであり、仏さまの智慧が説かれたお経です。
だからとても尊いお経です。
般若心経は「空」が説かれています。
大乗仏教における縁起論であり、簡潔にまとめられた論文のようなお経とも言えると思います。
しかし大きく2つの理由から般若心経を読経することはありません。
※個々に読んで勉強することはしています。
①【阿弥陀如来が出てこない】
浄土真宗は阿弥陀如来だけを信仰するいわゆる一神教ですから、阿弥陀如来がでてこないお経はお仏壇の前で読経することはありません。
②【内容がとても難しい】
般若経はとても難しい部類のお経です。理解することも難しければ、実践することはなお難しいものです。
浄土真宗は阿弥陀如来の他力に任せる宗教なので、難しいお経を読んで理解し実践する必要がないと考えています。
般若心経を説かれた龍樹菩薩というインドのお坊さんは親鸞聖人が挙げられる7人の師匠のお一方です。
龍樹菩薩の功績はとても大きいもので、浄土真宗でも龍樹菩薩が説かれた他の経典を読経しています。
決して龍樹菩薩や般若心経をダメだと言っている訳ではありません。
もし宜しければ、般若心経のどのような教えに救われたのか教えて下さい。
私も学びたいと思います。
質問者からのお礼
亀山純史 様 ご丁寧でわかりやすいご回答ありがとうございます。 とても勉強になりました。 浄土門と聖道門という言葉も初めて耳にしました。 実際私は仏教においては初心者であり、般若心経についても全然理解しているわけではありません。今後自分なりに納得がいくまで、ちゃんと学んでみようと思います。
藤堂尚夫 様 ご丁寧で親身なご回答ありがとうございます。 ベクトルが異なっていても、その究極の目的は同じというお言葉に安心しました。 阿弥陀さまの願いによって、私たちはすでに救われている、という考えは、実際にはまだピンと理解できませんが、なんだか温かく響いくお言葉ですね。 まだまだ勉強不足ですが、今後学んでいくことで心の平安を求めたいという希望は持っております。ありがとうございます。
和田隆恩 様 とても明快なご回答、ありがとうございます! 違う競技のルール本というお言葉、わかりやすいです。 般若心経を知ることは決して無意味ではないというお言葉に安心いたしました。 今後自分なりにもう少し深く学んでいきたいとおもいます。
釈心誓 様 ご丁寧で理路整然としたご回答ありがとうございます。般若心経は無駄ではないと断言して下さったので安心いたしました。
私が般若心経のどの部分に救われたか、というのは、うまく表現できません。 しかし、頻出する「無」という言葉を聞いているうちに、気が遠くなるような「無」の大きさを感じ、それに比べて自分の後悔や悩みが小さく思えたような気がします。そして自分の今の苦しみもいずれは無くなると信じることができたのです。 まだまだ勉強不足ですが少しずつ自分なりに理解できるようになりたいです。